第31話 色々と古びている
「あの、今日もお仕事ですか?」
手合わせのあと、街に戻ってきた途端にティグリスが聞いてきた。ちなみに今日の戦績は、俺の十二勝無敗。
「いえ、今日は違います。このあとは、なんの予定もありません」
「で、では! 一緒に・・・、昼食など、どうでしょうか?」
「あ・・・、えっと・・・」
昨日の晩飯のあと、腹は全然減っていない。ほぼ満腹に近い、と言ってもイイ。だから俺は返答に窮した。
「そそ、そうですよね! ワタシなどと食事を共にするなど、リュート殿にとっては迷惑ですよね!」
あたふたと慌てたあと、少し俯いて視線を斜め下に移したティグリス。その顔は、なんとも寂しそうだ。しかし彼女の卑屈さは、なんなのだろうか。
「いや、そういうことじゃないんですけど・・・」
「いえいえ、お気遣いなく! そ、それでは!」
ティグリスは立ち去ろうとし、その体を反転させた。その直後、俺は彼女の肩に右手を乗せる。
「ふぇっ!? な、なんですか?」
体をビクッと震わせて振り返ったティグリスの顔は、驚きに満ちていた。
「腹が減ってないので俺は食べれませんけど、それでもイイなら構いませんよ」
「本当ですか!? では、参りましょう!」
こうして俺は、ティグリスに連れられて街なかを歩くことに。
やって来たのは一軒の酒場の前。そこは、ティグリスお気に入りの例の店ではなかった。周りに建ち並ぶ他の建物に比べ、些か古びている。・・・いや、率直に言おう。かなりボロい外観だ。
外壁にはいくつかの穴があいていて、窓は一ヶ所割れている。更には出入りするためのドアは結構傾いていて、キチンと閉まっていない。上下二ヶ所の
そんな店構えに、俺の心は曇る。
大丈夫なのか、この店・・・。
しかし俺の不安をよそに、笑顔を見せるティグリス。
「昨日見つけたのですが、中々に良い酒場ですよ」
ティグリスがそういうのなら、おそらく大丈夫だろう。・・・そう思いたい。
「ささっ、どうぞ」
ティグリスは例の如くドアマンを務める。しかしその姿はこれまでのドアマンぶりとは異なり、颯爽とは していなかった。ボロいドアをこれ以上壊さないように、恐る恐る慎重に開けていた。
俺が店の中へと入ると、ティグリスはこれまた慎重にドアを閉める。
店内を見渡すと外観に負けず劣らず、内装もヒドい。テーブルもイスもボロいし、床に穴まであいている。しかも客は一人もいない。そして店員も見当たらない。不安が増した俺は、ティグリスに確認する。
「ホントに、ここで食べるんですか?」
「た、たしかに店の造りは褒められたモノではありませんが、味は良いですし、なにより安いのです」
左の人差指で頬をカリカリと掻きながら、引きつった笑みを見せるティグリス。彼女の言葉に、俺の不安は急激に増大する。
え? 安い? それはそれで大丈夫なのか? 変な食材を使ってるんじゃないのか?
キョロキョロと首を振り、比較的マシなテーブルとイスを見つけ、その席に着いたティグリス。俺は大人しく彼女に付き従う。
「すまない!! 注文を頼む!!」
ティグリスがやたらと大きな声で店員を呼んだ。その音量に俺が驚いていると、店の奥から一人の店員が姿を現す。
「あいあい・・・。今、行きますよぉ」
それは、見るからにお婆さん。腰は曲がっており、非常にゆっくりとした足取りでトボトボと俺達の方へと向かってきている。ハッキリ言って、ヨボヨボだ。おそらくは耳も遠いのだろう。ティグリスが大声を出した理由は、そこにあると思われる。
お婆さんが呟いた言葉は俺には聞こえたが、ティグリスには聞こえていないだろう。お婆さんが現れた瞬間に、俺の意識は無意識に彼女へと向けられ、その小さな呟きを聞くことが出来たのだ。
「え~・・・、なんにするかね?」
ようやく俺たちの元へと辿り着いたお婆さんは、少し震える声で言ってきた。彼女に対し、ティグリスは またも大きな声を出す。
「お薦めを一つ! それと、焼いた肉を頼む!」
「お薦めと・・・、肉、だね」
立ち去りつつ、そう言ったお婆さん。その背中に、俺は声を掛ける。
「酒以外の飲み物を一つ追加で!」
「あいあい・・・。飲み物ねぇ~」
極めて小さく呟いたお婆さん。するとティグリスが立ち上がる。
「あ、聞こえてないかもしれませんので、ワタシが言ってきますね」
「あ、いえ。大丈夫ですよ、伝わってるみたいです」
「・・・そうですか?」
「はい」
戸惑いつつも、ティグリスは腰を下ろした。そして、お婆さんは店の奥へと消えていく。
なんだろう、不思議な感じだ。先程までの不安はもう消えていた。
元の世界にいたとき、寂れた店を営む老夫婦をテレビで見たことがあった。その店は儲けを度外視した安い金額で料理を提供していて、店の修理も
そう思ったことにより、俺の不安はどこかに消えていたのだ。
やがて、店の奥から腰の曲がっているお婆さんが現れた。しかしそれは、先程とは別人。その手には、深い紫色の液体が入ったガラスのコップ。
あれ? 老夫婦が営んでるんじゃないのか・・・。
新たなお婆さんの登場に、俺は戸惑っていた。てっきり老夫婦で営んでいる店だと思っていたからだ。いや、もしかしたら、【老夫婦とその姉妹】という可能性もある。外部の人間を雇うと人件費が高くつく。だから、こういう店は家族経営が多い筈だ。
「ふぅ、ふぅ、はぁ。・・・ふぅ、ふぅ」
歩くたびに小さく声を発するお婆さん。なんだか ツラそうだ。居た
「あ、これ、貰いますね。いくらですか?」
「あぁ、ありがとね。二枚だよ」
お婆さんは貨幣の種類を言わなかったが、まさか銀貨や金貨のことではないだろう。飲み物を注文したあと、袋から銅貨を数枚取り出しておいた俺は、そのうちの二枚をお婆さんに渡した。そしてコップを受け取る。
席に戻りつつ、飲み物の香りを嗅ぐ。すると俺の鼻に
・・・
席に戻ると、左手で頬杖を突いているティグリスが柔らかい笑みを浮かべていた。
「リュート殿は、お優しいのですね」
「え、いや、そういうことじゃないですよ。ほら、取りに行った方が早いですから」
俺はティグリスの顔から目を背け、照れ隠し。暫くすると、店の奥から二人のお婆さんが現れた。一人は最初のお婆さん。もう一人は、また新顔だ。ちなみに、そのお婆さんの腰も曲がっている。
え、三人目? 何人いるんだ? お婆さんばっかり・・・。
戸惑う俺の視線の先にいる二人のお婆さん。それぞれの手には皿が持たれ、小刻みにカチャカチャと高い音が響いている。料理と共にナイフとフォークも乗っているのだ。彼女たちの体の震えにより、それらが鳴っている音だ。
二人のお婆さんの元へとティグリスが駆け寄る。もちろん俺も。そして、お婆さんたちの元へと着いた俺たちは驚くことに。
運ばれて来ていた料理は、どちらも焼いた肉だったのだ。
「えと・・・、一つは、お薦めを頼んだのだが」
困惑気味のティグリスに、新顔のお婆さんが言う。
「今日のお薦めは、熊肉のステーキだよ?」
その言葉のあと、最初のお婆さんが続ける。
「そんでこっちが・・・、鹿のステーキ」
二人の言葉に、ティグリスの顔が引きつる。
「そ、そうか・・・。いくらだ?」
「十二枚だね」
そう答えた新顔のお婆さんに、銅貨十二枚を支払ったティグリス。そうして料理の皿を受け取った俺たちは、席へと戻る。
それにしても、たしかに安い。俺が昨晩食べた猪のステーキは、銅貨二十五枚。それなのにこの店は、熊と鹿、二枚のステーキで、銅貨十二枚。それぞれの肉の相場は分からないが、明らかに安く思える。
着席したティグリスの前には二枚の皿。そして、二枚のステーキ。大した食いしん坊にも見えるその光景に、俺はプッと吹き出した。するとティグリスは眉をハの字にして、弁解する。
「ち、違うのです! 昨日は【蒸し野菜の盛り合わせ】が出てきたのです! だから、てっきり・・・」
なるほど、それなら
「はぁ・・・。肉が、こんなに・・・」
食べる前から食欲をなくしたようなティグリスの顔。そんな表情に俺はまた、プッと吹き出す。
「もう! 笑わないで下さい!」
眉をハの字にしたまま、眉間の
「うぅ・・・。脂が、重い・・・」
二枚のステーキをなんとか完食したティグリス。どうやら胃もたれ気味のようだ。とはいえ、鹿のステーキには目立った脂はなく、あっさりして見えた。ティグリスの胃を攻めているのは、熊の脂だろう。熊のステーキには、皮下脂肪と思われる脂がタップリと備わっていた。
食べる前と今は、げんなりとした顔のティグリスだが、食べ始めたときには笑顔を見せていた。旨そうに食べていたのだ。
腹を
その数、総勢六人。五人のお婆さんと、一人のお爺さん。
・・・どんだけいるの?
閑古鳥が鳴いているような店内の雰囲気とは裏腹に、やたらと多い店員の数。そのミスマッチに驚いている俺と別段気にしていないティグリスに対し、口々にお礼を言ってくる老人たち。俺とティグリスは一礼をして、ドアへと向かう。
その直後、大事件が。
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