第29話 働いて、食べて、また手合わせ

 手合わせを終えて、街へと戻った俺とティグリス。その頃には、日は軌道の頂点へと差しかかろうとしていた。


「昼食を食べに行きませんか? 手合わせのお礼として奢らせて下さい」


 ニコニコとした笑顔で言ってきたティグリス。その表情は、天気と同様にとても晴れやかだ。しかし、俺の顔は曇る。


「あ、すみません。今から仕事があって」


 俺には現場監督との約束がある。およそ半日前だろうか、そのときにした約束があるのだ。


「仕事!? リュート殿は、仕事をされているのですか!?」


「え? はい・・・」


 なにをそんなに驚いているのだろうか。仕事をするのは普通のことだと思うのだが。


「そうですか・・・。えっと・・・、また、会って頂けるでしょうか?」


 軽く握った左拳を口元に当て、少し寂しげな表情を浮かべたティグリス。どうやら、また手合わせをしたいようだ。


「はい、明日でもイイですか?」


「本当ですか!? で、では、また明日!」


 再びにこやかに笑ったティグリスの顔からは、喜びが溢れ出ているかのようだった。彼女は、そんなに強くなりたいのだろうか。


 そうして俺はティグリスと別れて、東門の近くの仕事場へと向かった。






「よぉ、来たな」


 仕事場に着くと、現場監督が声を掛けてきた。昨晩か、今日の夜半過ぎかは分からないが、俺と会ったときにはそれなりに酔っていたように見えた現場監督。しかし、俺との会話は覚えていたようだ。


「昨日みたいに四個ずつ運んで、賃金は銅貨百二十枚でイイのか?」


「あぁ、そうだ」


 労働条件の確認を済ませると、俺はまた、周りの男たちを驚かせる仕事ぶりを発揮した。






 日が暮れて、俺は酒場にいた。と言っても、ティグリスが連れていってくれた例の店ではない。金貨三枚分のカネを手に入れた、あの店だ。


 昨晩、この店の人たちには些か迷惑を掛けた。バカな連中の相手をしたり、天秤を借りたり、袋を売ってもらったり。


 その罪滅ぼし、と言うワケではないが、今日の晩飯はこの店で摂ることにした。昨日は結局、この店ではなにも食べていなかったしな。ちなみに腹は減っていない。しかし満腹でもないので、一品くらいなら食べられるだろう。


「お薦めの料理を一つ」


 手を上げて呼んでいた店員に、注文。なにも知らない俺は、ティグリスの真似をした。




 やがて運ばれて来たのは、肉料理。分厚いステーキにも見えるが、なんの肉だろうか。


「お代は、銅貨二十五枚です」


 背中から大きな袋を下ろし、その中の小さな袋から銅貨を取り出しつつ、店員に聞く。


「これは、なんなの?」


「猪のステーキです」


 猪か・・・。


 俺は不安を感じた。たしか、猪には臭みがある、と聞いたことがあったからだ。文明の発達具合から、この世界の調理法が元の世界のそれを上回っている、とは考えにくい。


 代金を支払い終えた俺はナイフとフォークを手に取り、ステーキを切って、恐る恐る口にした。そしてゆっくりと咀嚼する。


 ・・・お! 旨い!


 猪のステーキは、何らかのハーブと香辛料の香りを纏っていて、臭みは全く感じられない。それに適度な弾力がありながらも、それなりに柔らかい。噛むたびに旨味が口の中に広がり、心地よい香りが鼻へと抜ける。


 そういえば、ティグリスと食べた昨晩の料理も旨かった。どうやらこの世界は、料理に関しては元の世界と遜色がないようだ。


 俺は極上のステーキをペロリと平らげて、店をあとにしようとした。すると、


「ギャハハハハッ! それでよぉ・・・」


 と大きな声で話をしているガラの悪い男が数人、店に入ってきた。その全員に見覚えがある。昨晩の連中だ。


「あっ!」


 連中の一人が俺に気づいた。それにつられ、残りの男たちも俺に気づく。


「ど、どうも・・・」


「・・・こんばんは」


 ヘコヘコと頭を下げる一行いっこう。俺はソイツらをたしなめる。


「あんまり騒ぐなよ? あと、周りに迷惑を掛けるな」


「は、はい・・・」


「すんません」


「分かりました」


 口々に答えた男たち。その様子を見て、俺は店から出た。そういえば、あの大男はいなかったが、病院にでも行っているのだろうか。






 その夜は、あの一角に行った。大人の店が建ち並ぶ一角だ。別に店内に入るつもりなかったが、店の前をウロウロとした。すると、色々な女性から声を掛けられた。


 なんだかイイ気分だな、モテモテの男になった気分だ。


 大人の女性に囲まれ、甘い言葉を全身に浴び、俺は有頂天。とはいえ、彼女たちの狙いはカネだ。そのことを分かっている俺は、気を引き締めて、その場から立ち去った。




 そのあとは、広場の隅で座って過ごした。ただひたすらに時が過ぎるのを待った。特にやることもないのに眠くならないのは、とてもツラかった。ヒマ過ぎたためだ。






 空が白み始め、俺は広場をあとにした。ようやく訪れた朝にささやかな感謝をしつつ、あの宿屋に向かう。すると井戸の列には、女将さんの姿。彼女は俺を見つけると、朗らかな笑顔を向けてくる。


「おはよう、今日もなの?」


「あぁ」


 返事をしながら、女将さんに近寄る俺。すると女将さんからの気遣い。


「中で待ってるとイイわ」


「ついでだから、水を運ぶよ」


 そう言って、女将さんから大きな壺を奪う。


「優しいのね」


「別に。大したことじゃないから」


 程なくして水汲みの順番が回ってきて、壺を一杯に満たした俺たちは、宿屋へと入った。






 それから、いくらかの時が過ぎ、またも街の外にいる俺とティグリス。


 ちなみに今日のティグリスは、マントは羽織っているが、剣もカバンも持っていない。宿屋に置いてきた、とのことだ。「大丈夫ですか?」と心配する俺に、「あの宿なら大丈夫です」とティグリスは答えた。女将さんのことを、よほど信頼しているみたいだ。


 そんなティグリスの左手には、一本の木の棒。それは、昨日俺が用意したモノ。彼女は、それを持ち帰っていたのだ。


「今日は、一勝はします!」


 やる気をみなぎらせるティグリスは、木の棒を構えた。



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