第15話 美しい顔、汚い体

 どれくらい経っただろうか。


 奇妙な生き物は今や、完全に動かなくなっている。丸かった胴体はいびつな形にひしゃげ、辺りは青紫の液体にまみれている。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・」


 疲れた、とにかく疲れた。何十発、いや、何百発殴っただろうか。とてつもなく、しぶとかった。


 この世界には、こんなに厄介なヤツが普通にいるのか?


 奇妙な生き物のしぶとさに対し、大いに戸惑っている俺は立ち上がって腰を曲げ、膝に手を置く。そして暫くのあいだ、肩で息をしていた。






「た、倒したのか?」


「うひぇっ!?」


 突然の声に驚いた俺。振り返るとそこには、あの金髪の女がいた。


 ・・・なんでいるんだよ? 逃げろ、って言っただろ? ・・・いや、俺も言われたけど逃げなかったから、御相子おあいこか・・・。っていうか、変な声を出しちゃったよ! 恥ずかしいっ!!


 様々な感情が入り交じり、複雑な心境で女を見る俺。その一方で、女も複雑な面持ちをしていた。


 唖然としているような、気圧けおされているような、申し訳がないような───そんな表情を浮かべている金髪の女は、透き通るような白い顔だけを、木の裏から覗かせていた。






 やがて息を整えた俺は、今や無惨な姿を晒している奇妙な生き物から離れ、改めて女と対面する。


 背丈は今の俺とほぼ同じ。腰の近くまで伸びているストレートの金髪に、白みがかった顔と赤い瞳。そして、長い耳。


 首から上はそんな派手な感じなのに、下は全く違う。


 ベージュ色の長袖の服と長ズボン。腰には剣の鞘を携えているが、装飾といえるようなモノはなく、武骨な仕立て。


 なんともアンバランスな様相だ。そんな女の長い耳を見て、俺は思う。


 もしかしてコイツ・・・、エルフか?


 竜は言っていた。この世界にはエルフやドワーフがいる、と。



 ゲームなどによく出てくるエルフ。弓と魔法を操り、体はとても細く、男女ともに整った顔立ち。



 ・・・という風に思っていたが、俺の目の前にいるのは少し違う。


 弓は持っておらず、その代わりに剣。体もそこまで細くはない。とはいえ、太くもないが。顔に関しては知識のとおりで、 かなり整っている。間違いなく美人の部類に当て嵌まる。


 しかしまぁ俺の知識なんて、たいしたことはない。エルフにも色々なタイプがいるのだろう。そういえば、作品によっては剣を使うエルフもいたし、胸の大きなエルフもいたな。


「助かった・・・。いや、助かりました。有り難う ございます。ワタシの名は、ティグリスといいます」


 深々と頭を下げた女。その様子から見るに、悪いヤツではなさそうだ。まぁ俺を助けようとも、してくれていたしな。


「いえいえ、気にしないで下さい」


 おっと。ティグリスと名乗った女の敬語につられて、俺も敬語になってしまった。


 それにしても、どうしてティグリスは急に敬語になったのだろう。奇妙な生き物をグチャグチャにした俺にドン引きして、距離を取ったのだろうか。


 再び奇妙な生き物───いや、違うな。それはもう、生き物ではない。すでに死んでいるのだから。とりあえず、奇妙な残骸───とでも言おうか。


 俺は、奇妙な残骸を再び見た。


 胴体はベチャリに潰れ、その周りに大量の血を垂れ流し、かたわらには千切れた腕や足。


 うぇっ、気持ち悪っ!


 その残骸は、たしかに気持ち悪かった。しかし妙だ。これだけグロテスクな状態なら、俺は直視することなんて出来ない筈だ。もし見たら、すぐに吐き気を催す筈なのだ。少なくとも、以前の俺ならば。しかし今、俺はその残骸を直視している。気持ち悪い───とは思うが、吐き気は感じない。感受性が変化したのだろうか。


 この世界に召喚された影響か、はたまたこの体の影響か。とにかく今の俺は、死や血に対して、かなりの抵抗力を身に付けているようだ。


 自分の変化について不思議に思いつつ、視線をティグリスの顔へと戻す。


「・・・・・・・」


 ティグリスは両の口角を少し上げ、無言のまま俺の顔をジッと見続けている。


 ・・・なんだ? まだなにかあるのか?


 自身の左耳をキュッと摘まみ、再び口を開くティグリス。


「あの・・・、貴殿の名を、教えて頂けないでしょうか?」


 あぁ、そうか。自己紹介を待ってたのか。そうだよな、俺も名乗らないとな。


「俺は───」


 そこで言葉が止まった。俺の脳内に、疑問が湧いたからだ。


 名前? 本名を言えばイイのか? この世界で、俺の名前は普通なのか? 変じゃないのか? 思いっきり日本人の名前なんだけど・・・。


 言葉が止まったことに対し、ティグリスは小首を傾げている。俺は少しのあいだ、考えを巡らして、再び声を発する。


「・・・リュートです」


 俺は偽名を用意した、変な詮索を避けるために。


 ティグリスは名字を言わなかった。ということは、この世界には名字はないのかもしれない。もしくは名字は限られた者しか持っていないのかもしれない。だから俺は、名前だけを告げた。


 リュート───それはつまり、竜人りゅうとだ。竜の血肉から造られた体と、別世界から召喚された人間の魂を持つ存在───それが今の俺。だから竜人りゅうとであり、リュートだ。


 ・・・なんとも安直な名付け方だな、情けない。


 単純思考の自分に呆れ、少し恥ずかしくなる。だがイイだろう。この名前に問題はない筈だ・・・、たぶん。


「リュート殿ですか、良き名ですね」


「あ、どうも」


 後頭部に右手を添えて、ヘコヘコと頭を下げる俺は、ヘラヘラと笑っていた。


 なんだこれ? お見合いでもしてるのか?


「それでですね、リュート殿。実は・・・」


 ティグリスの顔が、真剣なモノへと変わった。その変化に、俺の顔も引き締まる。


「あ、いえ・・・。な、なんでもありません」


 絶対ウソだ、なにかある筈だ。


 ついさっき、ティグリスの様子が明らかに変わった。なにかを言いたそうにしていた。しかし、わざわざ問い詰める程ではないだろう。本人が言いたくないのなら、それでイイ。


「あ、そうだ! なにか、お礼をさせて下さい」


 ティグリスは胸の前で軽く手を叩き、そう言ってきた。


「お礼?」


「はい。リュート殿はワタシの命の恩人ですから、是非とも、お礼をさせて頂きたい」


 いや、そういうのは別にイイんだけど・・・。


 成り行きじょう、助けただけ───というか、ティグリスが俺の身を案じてくれたから俺はそのお礼をしただけ───というか・・・。それなのに、〈お礼のお礼〉なんてしていたらキリがない。


「えっと、遠慮し・・・」


「街で、なにか馳走ちそうします」


 チソウ? 地層? なんのことだ? ・・・あ、馳走か! いやいや、それよりも!


 ティグリスの言葉に、俺は考えを改める。


「じゃあ、お願いします」


 俺が目指していた街と、ティグリスが言っている街が同じかは分からない。しかし、この際それはイイ。とりあえず街に行きたい、見てみたい。だから俺は、ティグリスからのお礼を受け取ることにした。


「ではその前に、行水ぎょうずいをしましょう」


 ・・・ギョウズイ? なんだそれ?


「少し離れたところに池がありました。そちらに案内致しますので、そこで体をお洗い下さい」


 あ、水浴びのことか。この世界には、風呂はないのか? ・・・って、えっ? 俺、そんなに汚いのか? ・・・うわっ!?


 ふと自分の体を見ると、そんなにどころか、メチャクチャ汚かった。全身が青紫に染まっていた。あの奇妙な生き物の返り血だ。よくもまぁティグリスは、こんな汚いヤツ相手に平然と喋っていたものだ。






 その後、俺たちはそこそこ歩き、やがて池へと着いた。


「お召し物はワタシが洗いましょう。ささっ、どうぞ」


 俺に向けて、両腕を伸ばしてきたティグリス。その行動に俺は戸惑う。


 いやいや、ここで脱ぐのか? アンタの前で脱ぐのか? ムチャ言うなよ。


「じ、自分で洗いますから」


「何を仰られる、ワタシが・・・」


 ティグリスはそこで気づいたのだろう。途端に頬を赤く染めた。


「こ、これは失礼しました! あ、えと、ワタシは後ろを向いていますので、そのあいだにお脱ぎ頂き、池にお入り下さい。お召し物はワタシが洗いますので、その場に置いておいて下さい」


 そう言い終わる前に体を反転させたティグリス。そして俺は、服を着たままで池の中に全身を浸けた。



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