第11話 金髪の剣士、傑物に畏怖する

 行水ぎょうずいの部屋の前に立ち、ワタシは些か緊張していた。


 中はどうなっているのだろう。風呂屋のように、浴槽があるのだろうか? いや、それはないか。あくまでも行水をするための部屋だからな。


 部屋の扉の上には、水が流れ落ちているような絵が描いてある。滝のような絵、といった方が良いかもしれない。一目で行水の部屋だと分かるようにしてあるのだろう。


 部屋の中から物音はしない。扉を軽く三度叩くが、返事はない。どうやら誰も入ってはいないようだ。ワタシは扉を開けて、中を見た。




 そこは、かなり狭い板張りの部屋だった。


 床には光沢がある。水を弾くための塗料が塗られているようだ。左側の壁には、板が二枚取り付けられている。おそらくは衣類や荷物を置くための簡易的な棚だろう、上段と下段に分かれている。そして、扉の内側には鍵穴。外側にはなかったので、部屋の中からしか掛けられない仕組みだ。


 ここにたらいを置いて、行水をするのか?


 どんな部屋かと期待していたワタシは、かなり狭い床を見て、少し残念な気持ちになる。


 期待ハズレに終わってしまったな・・・。いや、期待をしすぎていたのが悪い。行水をするには、これで充分ではないか。


 しかしワタシは見落としていた、もう一つの扉を。


 その扉はあまり目立たず、ハッキリとした取っ手も付いていなかった。扉の左端に、細長い角材が縦方向に取り付けられているだけだ。


 ワタシはその扉を押してみた。すると、その先にも部屋があった。


 な・・・、なんだ、これはっ!?


 その部屋の中を見て、大層驚いたワタシは、無我夢中で受付へと駆け出していた。






「あ、どうだった? 誰か利用してたかしら?」


 そう問いかけてきた女将の顔を見るや否や、ワタシは大きな声を上げる。


「ななな、なんなんだっ!? あの部屋は!?」


「え? なにかおかしなところでも、あった?」


 慌てるワタシとは対照的に、なんとも落ち着いている女将。ワタシは必死に訴える。


「あ、あの部屋・・・、どうなっているんだ!?」


 行水の部屋は、二段階になっていた。手前の部屋は、脱衣所に過ぎなかったのだ。奥の部屋が、本当の意味での行水の部屋だった。


 そこは、全体が石造り。床の四方には木の板が複数枚敷かれており、中央部分は石が露出していた。おそらくはその位置にたらいを置き、それに浸かるか、木の板の上で行水をするのだろう。部屋の中はそれなりに広く、複数人が同時に利用できる程だった。更に天井には、明かりを取るための天窓まで付いていた。


 ワタシは若干早口になりながら、女将にそれらのことを聞いた。


「あ~、木造にするとカビが生えやすいから、あの部屋は石にしたのよ。でも寒くなると足が冷たいでしょ? だから木の板を敷いたの。あれならカビが生えても、簡単に取り替えられるからね」


 もはや驚嘆するどころの話ではない。これは、畏敬の念をいだくことを禁じ得ない。様々な分野に傑物といわれる者は存在するが、この女将はまさに傑物だ。宿屋業界における傑物なのだ。


 ・・・素晴らしい宿に出逢えた。ワタシは今、革新を目の当たりにしているのだ。この女将は数年のうちに、とてつもないことを成し遂げるだろう。


「じゃあ、用意するわね」


 傑物たる女将は説明を終えると、たんたんとたらい水瓶みずがめを運び、ワタシに大小二枚の布を渡してくれた。


 小さな布は、体を水拭きするためのモノ。大きな布は、濡れた体をから拭きするためのモノだ。


 そうしてワタシは、行水を堪能することになる。






 行水を終えたワタシは、たらいの中に大小二枚の布を置き、女将どのに返した。そして問う。


「更に十日ほど泊まりたいのですが、いくらになりますか?」


 その言葉とともに、かばんから麻袋あさぶくろを取り出し、受付台の上に置く。そう、貨幣が詰まっているあの袋だ。


「十日!? ど、どうしたの、急に? それに、敬語なんて・・・」


 どういうワケか、女将どのが大層慌てておられる。常に絶やさぬ笑みも、今は消えている。それに比べ、ワタシの心は実に穏やかだ。先程とは真逆の構図だな。


「このお宿のことが大変気に入りました。ワタシはこの街に暫く滞在する予定ですので、是非とも残りの日々も、ここに泊まらせて頂きたいのです」


「そ、それはありがとう・・・。それで、敬語の方は・・・?」


「偉大な才覚を前にして、ワタシはこうべを垂れるのみです」


 女将どのの尋常ならざる才能を目の当たりにして、ワタシは彼女に対し、畏敬の念をいだいた。己の未熟さを知ることとなった。だから、女将どのに敬語を使うのは必定ひつじょうなのだ。


「えと、よく分からないんだけど・・・。とりあえず、敬語はやめてくれない? かしこまられると困るわ。宿泊客のみんなには、ゆっくりとくつろいで欲しいのよ」


「なるほど、そういうことでしたか。さすがは傑物。その心配りもまた、一流の証。・・・オホンッ! では女将、十日分ではいくらだ?」


 やはり傑物は違う。己の才覚を誇示することなく、客のことを第一に考えている。だとしたら、その心意気に報いるのがワタシのすべきこと。女将に対しての敬語は、逆に不遜となるやもしれない。


「え? 傑物? ・・・え、えっと・・・、ぎ、銀貨三枚よ」


 この宿屋には、長期滞在の割り引きはないようだ。しかしまぁ、それはイイ。これだけの宿なら、そんなことをする必要はないだろう。


「銅貨を混ぜてもイイか?」


「えぇ、もちろん。その方が助かるわ」


 ようやくにこやかな笑みを取り戻した女将。やはり敬語は使わない方がイイようだ。



 さて、こういう店での支払いは銅貨の方が好まれる。日常生活においては、細かい貨幣の方が使い勝手がイイからだ。銀貨を崩すために両替商を頼ると、手数料が掛かる。店側としては、そんな出費は避けたいのだ。



 女将は背後の棚からはかりを取り出し、受付台へと置く。そして一方の皿の上に、円柱形の重りを乗せた。重りの側面には、【100】と彫ってある。鈍色にびいろはかりは腕を大きく傾け、ワタシを待つ。



 店にとって、はかりは必需品ともいえる。銅貨での支払いは、時に数百枚にも及ぶからだ。いちいち数えてなどいられない。大抵は百枚を区切りとしてはかるが、二百や三百の場合もある。



 今や高さの異なる双子の皿。ワタシは背が伸びた子に、麻袋あさぶくろから掴み取った銅貨の群れを与えた。ジャラジャラという音とともに、その背が縮む。それを何度か繰り返すと、もう一方の子に追い抜かされてしまった。与えた過ぎた銅貨を回収し、程なくして双子の背は揃う。はかりの腕の中央に居座る針も、それを証明していた。


 ワタシが銅貨をはかっているあいだに、女将は後ろの棚から底が浅い小さな木製の器を取り出していた。


「まだ銅貨で払う?」


 にこやかにしている女将は、ワタシの目を見ながら木の器に銅貨を移し変える。なんとも慣れた手つきだ。


「もう百枚、頼む」


「分かったわ」


 再び背が伸びた皿に銅貨を与えるワタシ。そして後ろの棚へと、重さが増した木の器を置く女将。その場所には同じような器が二列積まれており、左の列の最上部に今の器は置かれた。右の列から器をまた一つ取り、ワタシの作業が終わるのを待っている女将。少しの時を経て、その器に銅貨が乗る。その後、ワタシは銀貨一枚を手渡した。


 こうして銀貨一枚と銅貨二百枚を渡したワタシは、自室へと戻る。






 随分と日が傾き、空が茜色に染まる。夕食を取るため、部屋から出る。



 宿屋では食事は提供されない。それは、ほぼ全ての宿屋に共通する。ごく稀に食事が提供される宿屋があるらしいが、ワタシは出逢ったことがない。



 宿屋をあとにし、街の中を彷徨うワタシ。


 素晴らしい宿屋には出逢えた。次は、酒場だな。


 そうして身と心を引き締めて、何軒もの酒場を見て回った。




 やがて、店内の雰囲気、香り、客層、店員の立ち居振る舞い、それら全てを気に入った店の奥へと進む。


 店のお薦めを二品頼み、料理が到着すると代金を支払う。届いた料理は、牛の腸の煮込みと鶏肉と野菜の炒め物。それらに舌鼓を打ったワタシは気分が良くなり、酒を一杯だけ注文。その酒が半分消える頃には、もう上機嫌だった。


 ・・・ハッ! いけない、いけない! シッカリしなくては! ワタシはこの街に、遊びに来たワケではないのだ!


 残っている料理と酒を平らげながら、周りの客を見る。そして目星を付けて、席を立つ。






「少しイイか? 話がある」


 ワタシが目を付けたのは、男女三人組。全員が精悍せいかんな顔つきをしている。


「あ? なんだ? なんの用だ?」


 答えたのは、全身を鎧で覆っている大柄の男。その顔は少し赤い、酔っているのだろうか。彼の足元には、大鎚おおつち。材質は鉄のように見える。


「実はだな、ワタシは仲間を求めている。それも、強い仲間だ。ドラゴンの討伐を実行するため───」


「ギャハハッ! ドラゴンだと? やめとけ、やめとけ」


「そうそう。アレには勝てないぞ、アハハハッ!」


「フフッ、よっぽど死にたいのかしら?」


 いたって真剣なワタシの言葉を遮り、三人は笑った。


「な、何がおかしい!!」


 三人のあまりの態度に、たまらず怒鳴ってしまったワタシ。すると軽装備の女が言ってくる。


「はぁ~・・・。アンタ、知らないの? あの山のドラゴンは、世界最強って言われてるのよ?」


 呆れ顔で溜息をついた女の言葉に、ワタシは聞き返す。


「世界最強? あの山とは、どの山だ?」


「あ? なんだオマエ。あのドラゴンを倒しに来たんじゃないのか?」


 全身鎧の男が聞いてきた。そこでワタシは、改めて説明をする。


「いや、この街には仲間を集めに来ただけだ。この辺りには強い者が集まる───と聞いてな」


「そうなのか? でもまぁ、俺たちはドラゴンと戦うつもりはねぇよ。死にたくねぇからな」


「そ、そうか・・・。邪魔して悪かったな」


 すごすごとその席から退散し、他の席へと足を運んだワタシ。そんなことが三度続き、意気消沈して宿屋へと戻ることにした。






 辺りはすでに暗く、街路灯が点いている。それは充分な明るさとはいえないが、ないよりは格段にマシだ。街路灯がなければ、街の中とて暗闇に支配されてしまうだろう。


 そして宿屋の前に着き、玄関扉を開けると、受付にも仄かな灯りが点いていた。



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