第10話 金髪の剣士、降り立つ

 乗り合い馬車に揺られ、初めての街へとワタシはやって来た。広大な森の中を縫うようにして、ひらかれた長い道。その砂路いさごじの先に、この街はあった。


 ワタシは馬車から降り、日除けのための外衣がいいを纏う。その内側には、剣とかばん。剣は腰の右側に携え、かばんは右肩からはすに掛けている。


 日は頂点からいくらか下がり、雲はなく、大気は程よく暖かい。過ごしやすそうな土地だ。時折柔らかな風が通り、ワタシの髪を優しく撫でる。少し乱された金色の髪は、日の光を受けてキラキラと輝いている。


 ワタシが降り立ったのは、街の入り口付近。石畳の広い道、多くの建物、行き交う人々、絶え間ない声。ここは、活気のある街だ。木造、土壁、煉瓦レンガ造り、タイル張り。多様性に富んだ建物の数々。各地の文化と技術が入り交じっている証といえるだろう。街の外壁越しには、青々とした木々が見える。壁はそれなりに高いにもかかわらず。顔を少し右に向けると、高い山。その山は青白く仄かに輝き、神秘的。


 それらの風景を眺めつつ、街の中心部へと向かっているワタシの目に、やがて井戸が映る。そこで、首を左右に振って目当ての店を探す。すると一軒、見つかった。ワタシは土壁を纏うその宿屋へと歩を進める。






「いらっしゃい」


 扉を開けると、にこやかな笑みがワタシを出迎えた。そんな笑みをたたえている人族ひとぞくの女性の背は、少し低め。扉から少し離れている受付の台。その向こう側に立っているその女性の姿は、胸から上しか見えていない。年の頃は四十前後か。顔からも体からも、柔かさが感じられる。


 宿屋の内装は木造。そして落ち着いた色合い。特に装飾はなく、素朴な造り。しかし手入れは行き届いているようだ、とても清潔に見える。


 そんなことを確認しながら受付台へと近づき、女性に声を掛ける。


「一晩泊まりたい」


「銅貨三十枚よ」


 外衣がいいをめくり、かばんから貨幣の詰まっている麻袋あさぶくろを取り出す。その中から、ひと掴み。その手を受付台の上へと運び、貨幣を解放する。その色は、銀と銅。


 その中から銅貨三十枚を渡し、代わりに部屋の鍵を受け取る。鍵は、三つで一組のようになっている。大きめの鍵が一つ、小さめの鍵が二つ。それらが針金でくくられている。


 これは期待できるかもしれないな。


 大抵の宿屋は、鍵は一つだ。しかし、ここでは三つ。そのことに少し嬉しくなっていたワタシに、女性が声を掛ける。


「階段を上がって左側に進んで、一番奥の右側の部屋よ」


「有り難う」


 受付の左横にある階段を上る。途中で直角に曲がり、少しすると、また直角。二階の廊下へと辿り着き、女性が教えてくれたように進む。


 鍵の持ち手には【6】と彫られており、着いた部屋の扉の上にも、同じ数字が彫られている。


 大きめの鍵を差し込み、手首を回すと、ガチンッという音。比較的重い音だった。安物の錠は音が軽い。


 ふむ、中々だな。


 またしても少し嬉しくなったワタシは、部屋の中に入り、驚く。


 爽やかな、そして仄かに甘い香り。花の香りだろうか。その甘美にして爽快な香りに、ワタシは確信した。


 やはりこの宿はアタリのようだ。


 多くの宿屋は、カビ臭かったり、汗臭かったり、卑猥な匂いがしたり。部屋に入った途端に気が滅入るが、ここはそうではない。とても心地がイイ。


 ここの主人はやるな、相当な心配りが出来ている。


 ワタシは感心し、また、安心もした。


 気が利いている宿屋は、安全面においても気が利いている。荷物を置いておいても、盗まれる心配がない。とはいえ、もちろん客の側も最低限の注意は払わなければならないが。


 部屋の中には、少し無理をすれば二人でも寝られるベッド、腰くらいの高さのやや横幅のある棚。その棚の上には、蝋燭が立てられている燭台。あとは壁に掛けられている鏡。簡素なしつらえではあるが、余計なモノがなく、洗練されている───といえる。


 ん? たらいはないのか? これは残念だな。


 些か落ち込みながら、部屋の奥へと進み、右手で棚に触れる。


 素材は木だが、かなり堅い木だ。剣を振るったところで、簡単には壊れないだろう。無理矢理に壊すことは出来るが、その場合は大きな音を伴うに違いない。


 今度は両手で棚を掴み、左右に振ってみる。


 全く動かない。左右は勿論のこと、手前にも、上にも。壁と床にガッチリと固定されているようだ。


 堅い材木を使い、シッカリと固定されている棚。三つの引き出しには、それぞれ錠が付いている。


 棚にまで錠が付いている宿屋は、そう多くはない。


 全ての引き出しを開け、中を確認。更にその全ての鍵を掛け、閉まり具合を確認。なんの問題もない。ちなみに引き出しの鍵は、みな共通だった。


 扉の鍵に、棚の鍵。残りの一つは、なんの鍵だろうか?


 ワタシは部屋の中を見回した。しかし、残された鍵を使えるようなモノはなかった。


 三つの鍵はそれぞれ形が異なる。よって、予備の鍵ではなさそうだ。


 受付で聞いてみるか。


 ワタシは部屋を出て、鍵を掛け、受付へと向かった。






「それは行水ぎょうずいの部屋の鍵よ」


 受付の女性のその言葉に、ワタシは驚嘆した。


 行水が出来る宿屋は、全体の半数足らず───といったところだ。川や池で行うことは、決して珍しくはない。カネのある者は風呂屋に行くが、大抵の者は川や池で体を洗う。


 また、行水が出来る宿においても、それは宿泊する部屋の中で行う。大きなたらいに水や〈ぬるま湯〉を注ぎ、そこに浸かり、布で体を拭く。



「行水の・・・部屋? 行水専用の部屋があるのか?」


「えぇ、宿泊部屋で行水されると、カビが生えやすくなるからね」


 そのとおりだ。行水をすると、どうしても水や湯がこぼれる。どんなに気を付けていても、飛び散ってしまう。更に、湯の場合だと湯気が籠る。それらはカビが生える原因となり、部屋がカビ臭くなる。


 ここの主人は、なんというキレ者なのだ。行水専用の部屋を用意するとは。だから部屋の中に、たらいがなかったのか。


「・・・水は、前の井戸で汲めばイイんだな?」


 この宿屋のすぐ近くには井戸がある。ワタシがこの宿を選んだ理由はそれだ。行水の際に、簡単に水を用意するためだ。行水に使う水は、普通は客自らが汲んでくる、宿屋から桶を借りて。しかし水や湯を用意してくれる宿屋もあり、その場合は利用するたびに料金を支払う仕組みが一般的だ。


「いいえ、水はこっちで用意するわよ?」


「いや、その・・・、節約できるところは、なるべく節約したいんだ・・・」


 ワタシは貧しくはないが、裕福でもない。日銭を稼ぐ手立てはあるが、締めるところは締めなければ、破産してしまうかもしれない。


「ぬるま湯ならおカネを貰うけど、水はタダよ?」


 なん・・・だと?


 ワタシは、またも驚嘆した。


 水を運ぶのは中々に重労働だ。だから宿屋は料金を取る。それが普通だ。


「ほ、本当か? 本当に、無料なのか?」


「えぇ、水ならね」


 ここの主人はキレ者な上に、奉仕の精神をも宿しているようだ。なんと素晴らしい人物だろうか。


「そうか、それは有り難い。是非ともここの主人に、宜しく伝えておいてくれ」


「気にしないでよ。井戸はすぐそこにあるし、たいした手間じゃないわ」


「いや、しかし・・・。本来ならば、料金を取ってしかるべきなのに。ちなみに、ここの主人はどんな人物なのだ?」


「ここは私の宿屋よ?」


「・・・へ?」


 なんということだ。まさか目の前にいる朗らかな女性が、ここの主人───女将だったとは。


「これは済まない! 失礼な物言いだったな」


 ワタシは頭を深く下げ、女将に対し、非礼を詫びた。


「そんな、気にしないで。なにも失礼じゃないわよ」


「そ、それでは、早速行水をしたいのだが・・・」


「分かったわ。それじゃあ先に、部屋の中を確認してくれる? 誰か利用してるかもしれないし」


「あぁ、分かった」


 その後、女将から行水の部屋の場所を聞いたワタシは、軽やかな足取りでその場所へと向かった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る