ディスティニーランド

 部屋中に充満する、すき焼きの甘辛い匂い。散乱する夥しい数の生卵の殻。部屋を漂うミストのような湿気の中、見た事のない気色悪い生物が何かに取り付かれたかのように一心不乱にすき焼きをガッついている。その見慣れない生物、目を凝らして良く見てみると、暫く見ない間にどんなに優しく見積もっても四十キロ以上は肥えたと思われる妖怪トシコその人だった。一体何が起きたとゆうのか。

 清志の説明によると、トシコはもう、二ヶ月以上ずぅーっとこうやって、すき焼きを食べ続けているのだとゆう。僅かな睡眠時間と排泄時以外、起きている間は常に食べ続けているのだとゆうのだ。

 そして臭い。この部屋なんだか凄く臭い。最初はすき焼きの匂いが強過ぎて気が付かなかったけれど、何だかウンコみたいな臭いがする。そう思って清志を問いただすと、黙ってトシコを指差す清志。どうやらトシコは食事と排泄以外は本当に何もしていないようで、その「何もしていない」には当然入浴も含まれている訳で、結果、このように体臭がザリガニの死骸になってしまい、もう、どうにもならない状況なのだとゆう。

「トシコ…もうやめてよ。これ以上は命に関わるよ」そう言って泣きながらザリガニウンコに縋り付く清志。慣れってスゲーな、この臭い、平気なんだ。

「清志、大丈夫だって。すき焼き食って死んだなんて話は聞いた事ねえよ。もう、こんな変態ほっとけよ」そう言いながらのテレビゲームの電源を入れた栗原。鼻にはティシュが詰まっている。

「テメー栗原ふざけんな!こんな時にゲームなんかしてんじゃねえよ」栗原を怒鳴り散らした清志を見て、俺は清志に怒りを覚えた。清志の胸ぐらを掴むと一気に清志を罵った。

「清志!テメーこそフザけんじゃねえよ!そんなに心配なら自分で止めろよ。だいたい買出しに出て次から次へと食材を与えてるのはテメーなんだろうが!お前が買ってこなければイイってだけの話しじゃねえかよ、この犬っころが」俺が清志の首根っこを掴むと清志の瞳から大粒の涙。そう、そうだった。愚問だった。清志はトシコの肉奴隷。トシコの命令に逆らえる筈など一ミリたりとも無かったのだ。

「ママ…」そんな男達の押し問答の中、ユカがトシコに近ずいていった。

「ユカちゃん…かい…」トシコが箸の動きを止めて、その視線を鍋からユカに静かに移した。「お前も、お食べなさい」トシコがユカに生卵が入った茶碗を手渡した。

「トシコ」

「トシユキさん…」トシコが濁った視線をトシユキに移した。「あんたも、お食べなさい」トシコがおっさんにウズラの生卵が四つ入った茶碗を差し出した。

「あんたは、いくら言ってもウズラだったわねぇ。それはアンタのこだわりで、何故だか一人でいっつもウズラ。それもねぇ、うふふふふ…決まっていっつも四つなの。うふふふ、さあ食べましょう」

「…ママ…」

「私達、ご馳走と言ったらすき焼きだったわねぇ。ユカがこぉーんなに小さい時から何かあったらいっつもすき焼き…」

「…ねえ、ママ?」

「ユカは茶色い殻の卵が好きでトシユキさんはいっつもウズラ」

「ねえママ、どうしたの?変だよ。病院に行こうよ」

「行かない。病院なんて私は行かない」そう言い放つと、トシコは食事を再開した。すると、どうだろう、まずはユカが、続いてトシユキのおっさんが、トシコ主催のすき焼きパーティーに参加していった。

 三人はゆっくりと、しかし確実なペースで鍋を突いている。「お肉ばっかり食べないの。野菜もしかりバランス良く食べなさい」なんて言いながら、幸せそうに。

 しかし、ユカとおっさん、よく食えるなぁ。ウンコの隣で。牛肉、ザリガニの味がしそうだな。まあ、何しろ三人仲良く水入らず。これならもう大丈夫だろう、俺達はピンクルームを後にした。俺達が帰った後、清志は上手に入れただろうか、水入らずな団欒に。そこの所だけが、少し気になったりして。

 翌日、一通の置手紙。手紙の主は大家トシコ。

 あらあらかしこ、こんにちわ。昨日のすき焼き、おいしかったわあぁ。

 すき焼き、とっても、おいしかったわあぁ。

 本当はねぇ、チャンプとも虎ちゃんとも、栗ちゃんともヒロミちゃんとも、それに勿論清志とも、私、一緒に食べたかったわあぁ。

 でもね、今の私にはその資格がないって事も分かっているわあぁ。私ホントに、分かっているわあぁ。みんなに嫌な思いを沢山させて本当にごめんなさい。本当に、悪かったわあぁ。

 だからトシコは旅にでます。

 今度こそ、みんなと一緒に鍋を囲める、そんな素敵なレディになって帰って来ます。帰って、来るわあぁ。

 最初はメキシコに行こうと思っています。

 長年の夢だったルチャの修行をしてみたいと思っているの。いや、絶対に、ルチャを習得して来るわあぁ。

 みんな、いつか一緒にすき焼きを食べませうね。

 その時は仲間外れにしないでね。

 一緒に食べませう。いつか必ず。必ず。

 としこ

 PS

 きっと私は無数のジャベを使いこなす事になるでしょう。私は飲み込み早いから。けけけけけけ。

 Toshiko

 それから十年の歳月が流れた。トシコは結局消息不明。俺達はメキシコのルチャの組織に片っ端からコンタクトを取ったけれど、どの団体も「そんな老人知らないねえ」と、つれない返事。もしかしたら北朝鮮?いやいや、その線は薄いだろう。いくらあの人達だって無差別に無条件ではないだろう。

 そして、その分俺達も歳を取った。

 栗原と麗子の子供「麗市」は若干十歳にしてブルースギターを完璧に弾きこなしレコード会社と破格の契約。セールスも好調で親である栗原と麗子には印税やギャランティーがガンガンと振り込まれ、二人はその金を使って郊外に土地と家を購入、壷を焼いたり野菜や花を育てたりして悠々自適に暮らしている。

 俺と虎美は結婚はしたけれど子宝には恵まれず相変わらず例のアパートで二人暮らし。それでも俺達は幸せで楽しいし、スナック虎ちゃんにも少しずつ内輪以外の客も付きピーピーのトントンでは有るが、まあ、何とか二人、食うに困らない程度にはやっていけている。虎美はホントに明るいイイ女だから、赤字が出た月だって「お金なんて、ちょっと足りないぐらいが丁度いいのよ」と言って笑い飛ばし相変わらず唐揚げを真っ黒に焦がしまくっている。だから俺は本当に幸せ。

 清志とユカは結局離婚してしまったが、今でもピンクルームで一緒に暮らしているし、隣人の俺から見ても二人は本当に仲が良く以前よりもずっと幸せそうだ。夫婦とゆう関係は解消してしまったけれど色々有った上で一緒に暮らすとゆう生き方を選択した二人は、お互いがお互いに、とても優しく接していて、ある意味、俺達3カップルの中で一番夫婦らしいかもしれない。

 清志んちと俺んちは日曜毎にどっちかの家で酒盛りをするか、外に飲みに行ったりカラオケやビリヤードをして休日を楽しんでいる。郊外に引っ越した栗原と麗子も二ヶ月か三ヶ月置きのペースで俺達と合流するので、その時は麗市の印税をたっぷり使って高級寿司店や町一番のステーキハウスで豪遊を楽しんでいる。トシユキのおっさんは、死んだ。

 今日はクリスマスイブ。俺達3カップルはディスティニーランドの前に居る、そう、十数年振りに。

 先日カラオケ屋で遊んでいた俺達スリーアミーゴ・カップルスは曲間のほんの僅かな間に流れたランドのテーマミュージックに取り乱し我を失った。そう、麗子がまだヒロミだった頃、俺達を襲った忌々しいあの事件。毒の記憶。

 あの事件以来、俺達はランドの全てを封印して生きてきた。それが十数年も経った今、ほんの僅かな油断から俺達は再び向き合ってしまったのだ。背徳のハリボテ。裏切りのネズミ達。

 俺達も、もう十分大人になった。逃げ回るのはヤメにしよう。ショックを隠しきれずにいる麗子の事を、俺達は必死で励まし奮い立たせた。「お前はヒロミを卒業したんだ!お前は立派な麗子じゃないか!」

 ランドのゲートをくぐった直後、俺達を出迎えた頭のデカイ影二つ。主役のアイツが彼女を引き連れ俺達の前に姿を現した。前触れも無く颯爽と、おどけてイカれた例のムーブで。

 呪縛から解き放たれた俺達は最高だった。俺達は順番にネズミカップルと熱いハグ。麗子は強烈な歓喜の極みにスカートを汚してしまったけれど、それはホンの小量だったし問題なんて何も無い。

 だって十年以上なんだ。年数分の愛情、憎しみ、憧れ、裏切り、夢、涙、募る思い。全てが詰まった熱い抱擁、そりゃあ便だって少々はユルくもなるって話だ。

 辺りの子供が泣き叫んでいる。麗子がネズミを抱しめて離さない為、ネズミとのコミュニケーション不足に陥ったガキ共が騒ぎ出したのだ。

「ババア離れろよー!」

「ババア臭っせー!」

「おい、このあばさんウンコ漏らしてるぞ」

「パパぁー」

「ママ」ぁー」

 ガキ共の親やランドの警備員達が麗子の事を取り押さえに掛かった。さすがにネズミも困惑している。当然俺達は麗子に加勢、バトルロイヤルが勃発し俺達はランドを追い出された。

 ランドの外で途方に暮れていると、屋外には場違いなすき焼きの匂い。匂いの方向に視線を移すと、十数年の歳月によって更に老け込んではいるものの、そこに立っていたのは間違い無く大家トシコだった。トシコは小さなカセットコンロを持参していた。そのコンロの上にコンロのサイズには不釣合いな大きすぎる大鍋が乗っかっている。燃え盛る炎の上でグツグツとダンスを踊る肉や野菜は正に食べ頃。toshiko・is・backアゲイン・フロムすき焼き。

「高いお肉を奮発したわぁ」

「ママ」

「わたしぃ、お肉を奮発したのよぉ」

「大家さん」

「さあ、みなさんで召し上がりましょうよ。召し上がれぇ」

 トシコが差し出した生卵が入った茶碗。しかし、その生卵は鶏のそれでは無く、小さなウズラの卵が四つ。

「トシユキさんの追悼よぉ。さあ、みんなでお肉をたべましょう。食べましょうよおぉ」

「つ、追悼って…ババア、お前、何でそれを…」

「ふふふふふ。お見通し。私は何でもお見通しなのよぉ。私はね、百獣の王なのよ」トシコは何でもお見通しだった。そして俺達は念願だったフルメンバーによるすき焼きパーティーを開催した。勿論トシユキのおっさんもソコに居る。茶碗に入った四つのウズラ、それこそが、おっさんの魂そのものなんだ。

 今夜のご飯はなにかしら

 今夜は御馳走すき焼きだ

 一口食べたらスカイ・ハイ

 二口目からはゴー・トゥー・ヘブン

 ああ…人間が空を飛ぶ

 仮面貴族の低空飛行

 一人ぼっちと孤独は疑問だ

 マントをしっかり捕まえて 二度とはもう離さない

 一口食べたらスカイ・ハイ

 二口目からはゴー・トゥー・ヘブン ゴーゴー・ヘブン

 ストライク!

 バッターアウト!

 たらふく食べた俺達はビールを飲んでシャンパンファイト。屋外でのびしょ濡れなクリスマスイブ。カセットコンロのガスが尽き、唯一の暖を失った俺達の唇は全員が毒紫色。寒い。寒過ぎる。俺達は今、猛烈な寒さの中で決行した勢い任せで浅はかだったシャンパンファイトを悔やんでいる。

「すき焼き、おいしかったわねぇ」

「ああ、だけど俺達、明日全員肺炎だな」

「大丈夫だよ!」虎美が大きな声を出した。

「肺炎なんて大丈夫よ!心配しないで。私が直してあげるから。私ナースだったんだからぁ!みんな私に付いて来ればいいのよ」そう宣言する傍から鼻水をぶちまけて、ガタガタと寒さに震える虎美。もう既に、こじらせてしまった様子だ。

 そんな虎美を、いや、俺達全員を嘲笑うかのように、埋め立て地の海風、俺達を直撃。ヤバい。寒過ぎる。マジに死ぬかもしれない。薄れゆく意識の中で呆然としながら虎美の頭部を眺めていた俺は信じられない物を目撃した。虎美の脳天に毛が一本、強風に煽られながらも力強く靡いていたのだ。

 それは安堵の瞬間だった。もう大丈夫。きっと俺達は助かるだろう。だって、この生命力!極限状態の真っ只中で虎美が人生で始めての発毛を成し遂げたんだ。俺達は今、確かに生きている。寒さに意識を飛ばされた俺達は無意識の内に命懸けの押し競饅頭。勇気と希望が絶望に負けないように俺達は体を動かし続けた。ダンス・ダンス・ダンス。

 VIVA生命力。人生にスパークを!

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犬ごっこ かんのまなぶ @Rockbottom

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