スナック虎ちゃん
俺が警察からヒロミを連れて帰ると虎美のアパートでは「ヒロミちゃんを励ます会」が開催されていた。
「ヒロミがんばー」
「ヒロミ、ドンマイ」
「ヒロミは全然悪くないよ。悪いのは全部あのネズミだよ」
「ヒロミ、ナイスファイト!ナイスファイ、ナイスファイ」
「ひっろっみ!ひっろっみ!ひっろっみ!ひっろっみ!」狭くて汚いワンルームにヒロミコールが渦巻いた。
「うるせー馬鹿野郎!てめーらイイ加減にしろー!」隣の部屋の住民が怒りの雄叫びを上げた。
「だとコラ!」言い返すと同時に栗原が壁を蹴り付けた。しかし、このアパートは一体どれだけデタラメな作りなのだろう。栗原はそのまま体ごと壁をぶち抜き隣の部屋に雪崩れ込んで行ってしまった。
「テメーかコノ野郎!」栗原はそのまま隣の部屋のおっさんの首を絞めると、その首を掴んだまま自分がぶち抜いた壁の穴から虎美の部屋にカムバック。おっさんを強制的にヒロミコールに参加させた。「ひっろっみ、ひっろっみ、ひっろっみ、ひっろっみ」おっさんは泣きながら声を枯らし、ズタズタのプライドでその場にしゃがみ込んだ。
気が付くと俺達はおっさんを含めた六人でカラオケボックスに居た。年代や性別を超えた熱い魂が俺たちのルームを宇宙空間へといざない俺達は六匹のドラゴンと化してマイクロフォンを奪い合った。虎美がスレイヤーのレイン・イン・ブラッドを殆どモニターも見ずに完璧に歌い上げたその瞬間、劇空間小宇宙がオーヴァーヒートでビックバン。興奮の極みに達したおっさんは歌詞を流したり歌唱力を採点したりするモニター画面にダイブ。モニター画面は火花を散らしておっさん共々床に叩き付けられた。
「おいおい、おっさんフザけるなよ。いくら何でも調子コキ過ぎだろうがよ!」栗原の右ストレートが炸裂し、おっさんをモニター画面の残骸に押し込んだ。損害賠償を全ておっさん一人に押し付けようと企てた俺達は失神して動かないおっさんを一人残しカラオケボックスを後にした。
その後、数日経ってもおっさんの姿を見かけなかった。つまり、おっさんはアパートに帰って来なかったのだ。俺達は、これ幸いと虎美の部屋とおっさんの部屋だった部屋を栗原がぶち抜いたワープゾーンを駆使して一つに繋いだ。二つの部屋を繋ぐワープゾーンは俺達全員のドラゴン魂の象徴。虎美のワンルームを2DKに改造する事に成功した俺達はドラゴンワープゾーンを完璧に使いこなした。
しばらくすると清志は自分の荷物をおっさんの部屋だった部屋に運び入れ更にはペットの飼い猫まで連れて来て完璧に自分色に染め上げた。そんな清志に虎美も「住民票、移さなきゃね」と優しくアドバイス。ヒロミと栗原も自分達の自宅に帰る事は殆ど無くなりドラゴン2DKに入り浸り。こうして俺達五人によるパーティー三昧、アニマルビートな共同生活が始まった。
戦争は唐突に始まった。
ある朝、いつものように虎美と熟睡していた俺は、清志の部屋から聞こえてくる言い争いの声に目を覚ました。
「ざけんじゃねえぞ馬鹿野郎!テメーら二度と来るんじゃねえぞ」バタン!と清志の部屋の玄関が閉まる音がした。どうやら清志が誰かを追い返したようだ。不吉な予感を覚えた俺は缶コーヒーを手に掴むとドラゴンワープ。清志の部屋へと移動した。
清志はゼイゼイと肩で息をしていた。
「どうした清志?まあコレ飲んで一服しろよ」俺が缶コーヒーを手渡すと清志は一気に飲み干して口角泡を飛ばして捲くし立てた。
「聞いてくれよチャンプ。あいつら俺にこの部屋から出て行けなんて言うんだよ。信じなれねえ、どうゆう事だよ。俺、何の為に一生懸命生きてるんだよ?あいつ等に追い出される為になのか?その為なのか!もう俺、何が何だか分からねえよ」清志はその場に泣き崩れた。
俺の予感は的中してしまった。おっさんの安否の程は知った事ではないが、とにかくカレは失踪した。行方不明になった以上家賃の振込みは無くなり滞納が始まったのだろう。不審に思った大家が不動産屋を引き連れておっさんの部屋を訪ねると、そこには見知らぬ清志が暮らしていた。当然そこで一悶着。さっきの清志の部屋から聞こえてきた言い争いの声はそれだったのだ。
いつの間にか清志の部屋に、虎美とヒロミと栗原も集まっていた。俺達は口々に大家と不動産屋を罵り死ね死ねと罵倒した。その時だった、清志の部屋の玄関が激しくノックされたのは。
日本刀を握り締めた清志がドアノブを回すと警官を引き連れた大家と不動産屋が部屋の中に雪崩れ込んで来た。
「なんだ貴様ぁー!何を持っているんだぁー!」そう叫んだ警官の首筋を清志が日本刀で切り付けた。悲鳴を上げて倒れ込む若い警官、警官の首は…切れていなかった。清志の刀はレプリカの玩具だったのだ。ぶち切れた警察官が清志にピストルを向けた、その時「やめてぇー」大家のおばさんが警官に縋り付いた。
三十分を越す押し問答の末、警官と不動産屋が帰って行った清志の部屋、俺達は大家のおばさんを含めた六人でお香の煙が渦巻く清志の部屋で日本茶を啜っていた。
大家はおばさんでは無くオカマだった。オカマの大家が恋をした、大家が清志に一目惚れ。俺達は日本茶を日本酒に切り替えた。大家もイケるクチだった。
「それにしても凄い穴ねぇぇ。この穴、どうしようかしらぁぁ」清志にピッタリと寄り添った大家は、あぐらを組んでいた清志の足に人差し指を走らせた。
「触んじゃねえよ!気持ち悪ぃな」清志が大家を払い除けた。その時、栗原のビンタが清志を襲った。
「ふざけるなよ清志。お前、状況をわきまえろよな」その通りだ。俺と虎美とヒロミも栗原と同じ気持ちだった。
「抱かれろ!お前今日大家さんに抱かれろ。もしくは抱け!お前今日大家さんを抱け。お前自身を含めた俺達五人を救えるのは、清志!お前しかいないんだよ」パチパチパチパチ、大家を含む清志を除いた部屋の中全員の拍手がシャワーとなって清志の体に注がれた。「きっよっし!きっよっし!きっよっし!きっよっし!」頭を抱えてうなだれる清志を鼓舞する為に俺達は励ましと声援を続けた。そんな俺達を見据えながら大家は着物の帯を解き始めた。ショックで固まる清志の衣類を一枚ずつ脱がしていった俺達は大家の着物が畳の上に落ちたのを見計らい清志のパンツをペロンと剥がして二人を残し近所の居酒屋へと場所を移した。
意外な急展開が俺達を待っていた。酒盛りは最高潮に盛り上がり俺達はベロベロになっていた。そんな時、お互いが寄り添いあうようにして大家と清志が居酒屋に現れた。
「俺、結婚する事にしたよ」開口一番、清志が決心の眼差しで俺達にそう告げた。「えっ!誰と?大家と」
「それは違うのよ」大家が切り出した。
「私は女より女だけれど戸籍上は男だから法律上は清志ちゃんとは結ばれない…だから」大家はメンソールのタバコに火を点けると溜息交じりに煙を吐き出した。
大家の話は思ったよりも複雑だった。実は大家は以前、普通に男として一度結婚していた。その時に一人娘を授かって、今、一緒に暮らしているそうだ。しかしながらその一人娘、現在四十一歳になるそうだが婚期を逃してしまい現在も独身。その大家の娘を清志が嫁に貰うのならば、虎美の部屋と清志の部屋の二部屋を俺達に提供してくれる。と、そうゆう素晴らしい話しだった。
「俺、決心したよ」清志が力強く俺達に言い放った。
「みんなと友達になれて俺は変わった。友達の大切さを知る事が出来たんだ。俺、みんなの力になりたい、それが出来れば本望だよ。俺、結婚する。結婚して、みんなに家をプレゼントするよ」清しこの夜。俺達の友情に乾杯。
清志と大家の娘のお見合い当日、俺達は指定されたホテルに出向きコーヒーを飲みながら親子の到着を待っていた。さすがに清志は少し緊張している様子だ。
「どんな人なのかなぁ」
「大家が言うにはノウネンちゃんに似てるらしいぜ」
「それ嘘だろ。四十一でノウネンちゃんって何だよ」
「家事は何でもこなせるらしいぞ」
「良かったな清志」
「特に料理の腕前はプロ級らしいぞ」
「良かったな清志」
「メシ食いに行くからな」
「良かったね清志」
大家は清志と娘の結婚を祝してアパートの二階部分の三部屋全室を俺達に提供してくれた。おっさんお部屋だった清志の部屋にヒロミと栗原が暮らす事になり、真ん中の虎美の部屋は今まで通り俺と虎美。もう一つの空き部屋だった間取りが俺達の部屋と違う一回り広い部屋に清志夫妻が住む段取りになっていた。
「みんなぁー、遅くなっちゃってゴメンねぇー。美容室でモタモタしちゃってぇ。この子が娘のユカ。ほらユカちゃん、みなさんに挨拶して」
「みなさん、はじめまして。母が大変お世話になっています。娘のユカです」
オカマを母と呼ぶ娘を見て俺達は絶句した。清志はガタガタと震えだしカップの中のコーヒーの大半をぶちまけた。醜い。醜すぎる。病気だ。ユカは病気だ。かなり重症のブス病だ。清志はその場に崩れ落ち、子供の様に泣きじゃくった。
「そりゃあんまりだろう大家。物には限度ってモンが有るだろうが」
「大家さん、これは無いですよ。いくらなんでも酷すぎますよ」
「これ、顔なのか?形として間違ってるだろう」
「整形して、やっとブスだな」
大家がテーブルをひっくり返した。取っ組み合いの喧嘩が始まるとユカはその場にしゃがみ込み、顔を覆って泣き出した。
「みんなヤメろよ!」清志だった。一瞬の静寂、清志はそのまま言葉を続けた。
「人の嫁さんに向かって、何を好き勝手言ってくれてるんだよ。ユカさんの事を悪く言うならもう友達でも何でもねえぞ」清志は泣き崩れるユカに合わせるように膝を曲げてユカに言葉を掛けた。
「ユカさん」ユカは泣きじゃくるばかりで清志に言葉を返せない。
「ユカ」清志はユカの腕を取り、立ち上がらせると言葉を続けた。
「俺、まだ君に正式なプロポーズをしていなかったね」ユカと清志の視線が交じり合った。
「俺と結婚してください。二人で幸せになりましょう」
ユカは嬉し泣きに言葉を詰まらせながら清志のプロポーズをその場で快諾。優しい花婿と涙の花嫁。何だか二人はとても素敵だった。
ユカは心の綺麗な優しい女性だった。大家の紹介の通り料理の腕前は一流で俺達は飯時になると度々清志とユカの新居に集まり優しく美味しく皆で食事を楽しんだ。ユカは見た目の不気味さとは裏腹な気立ての良さで、すぐに俺達と打ち解けた。
問題は大家だった。大家は娘を清志に嫁がせたものの清志に対する愛の炎は燃え盛る一方だったのだ。大家は事有るごとに、いや、その表現は違う、用事なんか何も無くても娘夫婦の新居に入り浸り、風呂に入り、飯を食らい浮かれて着飾って、訳も無く宿泊を繰り返すなどして清志の傍から離れようとしなかった。
このままではユカが可哀想過ぎる。あのオカマは娘をダミーに使ったのだろうか?俺達の大家に対する憤りは日増しにエスカレートしてゆき、何かと呼び出したり飲みに誘うなりして大家の清志夫婦への接触を少しでも減らすようにと心掛けていた。
その日、ユカは同窓会に出掛けていて清志は一人で家に居た。風呂から出てきた清志がウチワを扇ぎながら全裸でキッチンに出て来ると同じく全裸の大家がヨガをしながら清志を待ち受けていた。大家の血走った視線は清志の裸体から離れる事は無くポーズを変えるその度に皺くちゃの金玉が揺れ動いた。びびった清志はへたり込みフィリップ・アンセルモの雄叫びのような悲鳴を上げた。
清志のスクリームに驚いた我々が清志宅に駆け付けると恐怖の余りに腰を抜かしてしまった全裸の清志に向かって大家がブリッジをしながら下半身を進行方向にしてスローモーションのようにゆっくりと近ずいている真っ最中だった。
怖い、怖過ぎる。俺達も大家に罵声を浴びせ掛けるものの余りの気色悪さに近ずいて取り押さえる事が出来ない。なにしろオカマ老人の全裸ブリッジなのだ、そんなグロテスクなオブジェを前にして一体俺達に何が出来るとゆうのか。
クライマックスは突然だった。年甲斐も無くブリッジを決めていた大家は腰に負担を掛け過ぎてギックリ腰を発症「いたーい。いたーい」と言いながらウミガメのように涙を流しブリッジしたまま動けなくなってしまった。
危険な状態だった。何しろ体勢はブリッジだ、放っておけば頭に血が昇ってしまい大惨事に成りかねない。誰かが大家を蹴っ飛ばすなりして体を横に倒してしまいさえすればいいのだけれど…分かってる、分かっちゃいるのだけれども、気色が悪過ぎて、とてもじゃないけれど大家の体に触れる事が出来ないのだ。「あっ」と声を上げた虎美が壁に立て掛けられてあったレプリカの日本刀を発見、刀を握り締めた虎美がそれで突いて大家の体を倒そうと試みた、その時だった、清志復活!カムバックした清志は殺し屋の様な目付きで大家に近ずき一先ず唾を吐き掛けた。
形勢逆転。絵に描いたような立場の入れ替わりだった。清志はブリッジしたまま自分に向けられている大家のイチモツ、ほんのさっきまで自分の事を人格破綻寸前まで追い込んでいた忌々しいイチモツをぶっ潰すべく拳を硬く握り締めた。
復讐を遂げる寸前だった清志に悪夢が襲い掛かったのは、その直後だった。大家を後一歩の所まで追い込んだ清志だったが、さっきまで腰を抜かしてヘタり込んでいたコンディションが頭に血が昇った肉体を支え切れなかったのか復讐の一撃を食らわせる寸前で立ち眩みを起こしてしまいその場に転倒、転倒の際立ち眩んで気を失ってしまった清志の顔面が大家の股間を直撃、その衝撃で大家のブリッジは崩れ落ち、結果、腰の痛みに身悶える大家の股間に顔を埋める清志とゆう途轍もなく最低な組体操が完成してしまったのだ。
一つの最低は別の違う最低へと連鎖してしまいがちなモノ。余りの出来事に放心してしまい固まっていた我々の後ろから女性の悲鳴が聞こえてきた。
最悪だった。悲鳴の主はユカだった。ユカは最後の瞬間、つまり今現在の現状だけを目撃してしまったのだ。ここから見始めてしまったユカにとっては自分の親と最愛の夫によるFシーンを友達の筈の我々こと俺達が観客の様に取り囲んで眺めているとゆう地獄絵図。「違うよ!ユカっち全然違うよ」誤解を解こうと虎美がユカに話し掛けたが時既に遅し。ショックが大き過ぎたユカはその場に倒れ、意識を失ってしまった。
暫くして意識を取り戻したユカは俺達から事情説明を受けると一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。どうやら一応の納得はしてくれた様子だ。しかし、すぐさま表情を強張らせると意を固めたような鋭い眼光で受話器を握り締めダイヤルボタンをプッシュした。大家はそんなユカを見て誰に電話を掛けようとしているのかが分かったらしく「ヤメてー!ユカちゃんソレだけはヤメてー」と腰痛で動けない体で地団駄しながら涙ながらに絶叫した。
ユカが電話を切ってから数分後、意外な人物が現れた。あの時のおっさんだ。カラオケボックスでモニター画面に突っ込んで以来行方不明になっていた筈のアノおっさんが顔面を縫い傷だらけにして俺達の前に姿を見せた。顔に刻まれた無数の傷跡はあの日のモニターダイブのメモリーだろう。
「トシコ…」おっさんは呼び掛けながら部屋に上がると大家の手を握り締め涙ながらに絶叫した「トシコー!」加齢臭の濃度がカーブを描きながら急上昇した。どうやら大家の名前はトシコらしい。
「二人はね、もう四十年来の恋人同士なの」ユカが俺達に大家とおっさんの恋愛ストーリーを話し始めた。そんな話は聞きたくもないし本気でどうでいい事なのだが、ユカが勝手に話すので一応俺達は話を聞いた。ユカによるトシコとトシユキ(おっさん)の恋愛話は退屈を極めた。ユカの話が終わる頃にはすっかり眠くなってしまい頭の中で思う事といえば早い所大家に服を着てもらいたいとゆう、その一点に尽きた。そう、この時点でもまだ大家は裸のままっだった。
脳みそを解したくなった俺は冷蔵庫の扉を開けて清志のビールを一本貰った。よく冷えた旨いビールを半分ほど飲んだ所で清志の家に救急隊が到着。大家トシコは全裸のまま、恍惚の表情を浮かべながら屈強な救急隊員達に搬送されていった。
骨肉の争いは熾烈を極めた。トシユキの再登場により改心したかに思われたトシコの清志への「いけない欲望」はトシユキの手厚い介護を受ける度に「やっぱり若い子ってイイわぁ」「清志ちゃん、とってもイイ匂いがしたわぁ」などと口走りながら怪しくエスカレート。もう、周りの事などお構いなしだった。
清志も清志だ。清志は俺達の目を盗んではトシコと密会を重ねていたらしく、そんな事を続けている内にすっかり骨抜きにされてしまい、いつしかトシコのイブシ銀のベテランプレーの虜になっていた。清志は次第にユカのの事を邪魔者扱いし始めて、冷たく当たるばかりかDVまがいの行為さえ行うようになっていた。
決定的な事が起きたのは俺達が清志に対して不信感を持つようになってから一月程が経過した頃だった。痛々しい程に腫れ上がったユカのブラックアイ。ユカの瞼を目撃した瞬間に俺は直感した。清志の奴、一線を越えてしまったな、と。ユカは清志を庇うように「ちょっと転んじゃって」などと言いながら「テヘっ」と笑ったが、テヘっ、じゃねんだよブス。俺は清志を近所の居酒屋に呼び出した。図らずもその居酒屋は清志が俺達に結婚の決意を報告した、あの店だった。
「清志よぉ、お前マジでどうするの?まさか大家に、あの化け物に本気で惚れちまったとか言わないよな?」
「・・・・・・・・・・」
「…ちょっと、どうして黙ってんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「清志ぃ…お前、それってマジかぁ?」
「…まあ、聞いてくれよチャンプ」
「おお、何でも聞くから話してみろよ」
「すげえんだよ」
「なにが?」
「トシコ、マジで凄いんだよ」
「だから何が?」
「手を、使わないんだよ」
「はぁ?」
「口も!使わねえんだよ」
清志は終わっていた。
歴史と伝統の国タイ。生息人数測定不能とまで囁かれる夜の蝶、タイランドの売春婦達。そんな紋白蝶達の間でも習得している人間は片手で数えられる程しか居ないと言われている「カシアス」と呼ばれている幻の秘技があるらしい。この「カシアス」清志の説明によると正に奇跡と神秘のハイブリッドで、この奥義を身に付ける事は困難を極めるが一度自分の物にする事が出来ればそのパフォーマンスの物凄さは神業の域にまで達しておりその技術を施された人間はほぼ脱出不可能。常習性と依存性はハマってしまった人間の人生の歯車を狂わせる程の破壊力なのだと言う。
清志はすでにハマってしまっていた。しかし、この「カシアス」清志の説明を聞けば聞くほどに謎が深まる行為だった。
まず、男性器以外の全身を施術者の手の平で入念にマッサージ。しかし、このマッサージの真意はマッサージに有らず、その真の狙いはリサーチ。
人間の体には様々なツボが有るが、その殆どは「ここは頭がスッキリするツボ」とか「これは眼精疲労に効くツボ」などと幾つかのパターンに分かれてはいるものの割と明確な場合が多い。
しかし、この「カシアス」の場合そのポイントは人によって異なる上に更に日替わり。つまり相手が同じ人間で有った場合でも体調や気分によって前日はコメカミだった人のツボが今日は足の付け根だったりと、その変化変調は一筋縄ではいかない。そんな見極め困難なポイントを探し当てる事が出来る選ばれた女神が日替わり時間差なツボを入念に探り上げ、そのポイントを「この人は今日はくるぶし」「今だったら左の脇腹」などと見極めてからサジ加減をコントロールしながら入念にプッシング。すると、触れられてもいない男性器が膨張を開始して最終的にはヘブン。もう帰って来られないぐらい遠くにイってしまうらしい。
凄い技が有ったもんだ。つまり清志は数少ない「カシアス」の継承者で有るトシコの秘技に完全に翻弄されてしまっていたのだ。
確かに凄い技では有る。しかし相手がオカマ老人の大家トシコとなると羨ましくも何んとも無いし俺は清志に頭を冷やせと言いたい。因みにトシコは老人性インポテンツでアッチの方は完全に死に棒らしい。にも関わらず、この、どうかと思われる程の旺盛過ぎる性欲、完全に獣だ。こんな奴が近くに暮らしているかと思うと、その寒気と戦慄に改めて我が身が引き締まる思いがした。
清志を改心させる事は不可能だと悟った俺は、後日、大家トシコを呼び出した。しかし、こんな薄気味悪い人間と一緒に居る所を誰にも見られたくなかった俺は待ち合わせ場所を居酒屋では無く「スナック虎ちゃん」に指定した。そこにはサシで話すよりも虎美も居て何かと心強いとゆう計算も含まれていた。そう、俺の心理戦は既に始まっていた。
「大家さんさぁ、トシユキのおっさんの事はどうするんだよ?」俺はいきなりストレートに揺さ振りを掛けて主導権を握ろうとした。
「大体さぁ、ユカと清志の結婚話しを持ち掛けたのはアンタ自身じゃねえかよ。自分から吹っ掛けておいて娘の幸せぶち壊すような事するなよ。いい加減にしろよクソババア」
「…クソ…ババア…」大家の目がギラリと光った。ヤバイ、少し怒っちゃったかも。正直ちょっと怖い。俺、最初から飛ばし過ぎたかも…。相手はトシコだ、本気で怒らせたら後で何されるか判らない。俺は話題を強引に変えて軌道修正を試みた。
「そう言えば大家さん、昨日野球見た?」
「クソババア…あんた今、私の事をクソババアって言ったわよね」俺の変化球は完全に見送られてしまった。
「ねえチャンプ、おばちゃん、とっても嬉しいわ。だって、ババアって事は私の事を女だって認めてくれたって事でしょう?おばちゃん、とっても嬉しいわぁ」
まさかのカウンターだった。このオシャレな切り替えし、やはりトシコは只者では無い。俺の形勢不利を敏感に感じ取った虎美は調理場を抜け出して俺の隣に腰を下ろした。
「あーら、虎ちゃん」トシコは俺の加勢に駆けつけた虎美に対しても余裕綽々のスネークアイズを絡ませた。
「お仕事はもういいのぉ?今夜はもう店じまい?」
「こんなに早くにお店は閉めませんよ。大家さんは私の店に初めて来たから知らないでしょうけれど、私は今みたいにお客さんが少なかったり注文が途絶えたりして忙しくない時は、こうやってお客さんの隣で一緒に飲んだりするんですよ。だから別に、いつもの通りですよ」虎美が少々テンパリ気味にトシコに食って掛かった。
「あーら、そうなのぉ」トシコは言葉を返すなりグラスの中の黒霧島を一気飲み。おかわりの注文とゆう正攻法なやり方で虎美をカウンターの中に引き戻した。その上、更に「私、ペース速いから、なるべくソコを離れないでねぇ。言っておきますけれど、これも、お客からの注文よ」と言いながら薄ら笑い。オフェンスにディフェンスを織り交ぜた。デキる。やっぱりトシコは強敵だ。舌なめずりした舌先は先端が二つに裂けているような錯覚を俺に幻覚させた。
「それじゃあチャンプ、ゆっくりと、お話をしましょうねぇ」トシコは再度黒霧島を一気飲み。虎美をせせら笑うようにして、お代わりを注文した。
俺が馬鹿だった。俺は、とんでもない強敵を自ら招き入れてしまった。そもそも考えてみれば正直言って清志とユカがどうなろうと俺の知った事ではない訳で、俺がこんな妖怪と対戦する羽目になる必然性など何処にも無かったのだ。俺は自らの愚行を後悔し、甘ったれた思い上がりに舌打ちを打った。
俺と虎美はトシコに翻弄され続けた。完全な負け戦に勝ち目など見出せずボトルが空になっていくばかり。一筋の光明さえ見出せない暗闇の中、俺は記憶とロレツを失い始めていた。
自信喪失に記憶喪失が重なり合う寸前だった午前三時、突然の追い風が俺と虎美に吹き荒れた。ガチャリと開いたスナック虎ちゃんの扉、現れたのは、ユカとトシユキだった。
二人の登場にトシコは不快感を露にし露骨に不愉快そうな顔をした。完全に支配していた筈だったペースの突然の乱れに流石のトシコも「おかわり!」と虎美に凄む事でしかアイデンティティを保てない様子だった。
ユカは無言でトシコに近ずくと、その横っ面を思い切り引っ叩いた。無言のまま睨み合うトシコとユカ。ユカは注文した電気ブランのロックを一気に飲み干すと虎美にお代わりを注文した。
トシコ、黒霧一気。お代わり注文。
ユカ、電気ブラン一気。お代わり注文。
トシコ、赤霧島一気。お代わり注文。
ユカ、島唄一気。お代わり注文。
トシコ、白ワイン一気飲み。ユカ、赤ワイン一気飲み。トシコ、クエルボ・クラシコ一気飲み。ユカ、クエルボ・ゴールド一気飲み。トシコ、ハーパー一気飲み。ユカ、ターキー一気飲み。
なにしてんの?この親子。妖怪とブスが繰り広げる骨肉の争いは熾烈を極め虎美の財布を潤すだけ潤した後スナック虎ちゃんの便所を仲良く占領。翌日、丸々一日掛かりの地獄の二日酔いが二人を襲った。
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