もしかして、死んじゃってるの?
スナック虎ちゃんは大変な事になっていた。若いお兄ちゃんが一人血塗れの状態でカウンターの下に転げ落ちていた。おそらく彼が栗原君だろう。
「栗原君?」俺はお兄ちゃんを指差して虎美に訪ねた。虎美は声を出さずに泣きそうな顔でウンウンと頷いた。
「もしかして、死んじゃってるの?」
「死んではいない。息はしてるの。でも全然動かないし完全に気絶しちゃってるみたいなの」
「で、結局なにが有ったんだよ」俺は虎美に状況説明を求めた。虎美の説明によると、まあ、よくある店の常連による酔っ払い同士の喧嘩で弱かった方の栗原君が強かった方の「清志君」に一升瓶をフルスイングされて現在カウンターの下でピクピクしているのだとゆう。ん?ピクピク!おいおい、さっきまではピクピクしてなかったぞ。体がピクつき始めたのは回復の兆しなのか、それとも、その逆なのか、その辺は俺にはよく分からないけれど、どっちにしろ栗原君の状況は放っておいたら、かなりヤバそうな感じでは有る。
「あのさぁ虎美、この場合は俺じゃなくて警察か病院じゃない?電話するの」
「ダメ!ダメなの。警察は絶対にダメなの」
「何でだよ?まあイイや、じゃあ病院だな。119に電話しろよ」
「ダメよ!こんな状態で救急車なんか呼んだら病院から警察に連絡が行っちゃうじゃない」
「しょうがないだろう。じゃあ、このまま放っておくって言うのかよ」
「だから、助けて欲しくてチャンプを呼んだんじゃない」
「はあ?俺に何が出来るよ?医者じゃねえし」
「取り合えず栗ちゃんを私のアパートまで運ぶのを手伝って」
「運んでどうすんだよ?どの道なにも出来ないだろう。病院に行くしか無いっつーの」
「同じ事を言わせないでよ!こんな訳有り全開な状況の怪我人を救急に運ばれたら病院から警察に連絡が行っちゃうでしょうが!」
「何でそんなに警察が駄目なんだよ?理由を言え理由を」
「嫌いなのよ」
「あ?」
「大嫌いなのよ!」
「・・・・・・・・」
「警察が!大っ嫌いなのよぉぉぉー!」虎美は大声を張り上げた。もう殆ど絶叫、シャウトと言ってもいいだろう。
「分かったよ!うるせーな」
「…だってぇ…嫌いなんだもぉぉん」今度はシクシク泣き出した。
「分かった、もう分かったよ。泣くこたぁねえだろう。そんなに嫌ならしょうがねえ、よし、じゃあ家に運ぶぞ」
「だってぇぇ…嫌いなんだもぉぉん」虎美はまだ泣いている。もう分かったって、仕方がねえよな、嫌いなら。
頭を打って倒れている人間を何の知識も無い酔っ払い二人がテキトーな体勢でズルズル引きずり歩くとゆう専門知識が有る人が見たら卒倒しかねないであろう状態で俺と虎美は栗原君を引きずり回した。しかも途中、栗原君がピクピクと痙攣する度に骨折したての俺のアバラに激痛が走り、その度に栗原君の頭部はアスファルトに転げ落ちスナック虎ちゃんに居た時よりも出血が酷くなり状況は悪化の一途を辿った。
「マジで大丈夫かよ?やっぱり呼ぼうぜ救急車」
「大丈夫よ!だいたいチャンプがすぐに手を離すからイケナイんじゃない」
「お前ふざけるなよ。俺、アバラが折れてるんだぞ」
「そんなの我慢しなさいよ。栗ちゃんなら大丈夫、私には分かるし治せるから」
「治せる?なんでだよ」
「私にはパワーが有るから、ハンドパワーが」
「ハンドパワー…」
「冗談よ。私ナースだったの」
「ナース!本当か?」
「・・・・・・・・・・・・」
「…ねえ、なんで黙ってるの?嘘なのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」応えろよ。嘘なのかよ。
俺も虎美も疲れ果てていた。人間って、いざ運ぼうと思うとマジで重い。「もーう、あっつーい」と言うなり虎美は栗原君から手を放し自動販売機で高級飲料水を購入。隣でゼエゼエと息を切らしている俺には一口もくれずに一気に全部飲み干した。
何とか虎美のアパートに栗原君を運んだ俺と虎美は血中アルコール濃度の完全オーヴァーと体力の激しい消耗が重なり僅かでは有るが意識が混濁。そんな状況なので、もう医学もへったくれも無く、横たわる栗原君の顔面に水をブチまけたり、やたらと体を揺さぶったり、四の字固めやサソリ固めを仕掛けたりしていた。だけどミラクル、もう、どうにでもなれ、と俺が頭突きを叩き込むと「ゴツン!」とゆう鈍い音と共に栗原君の意識が回復した。しかし、この栗原君、初対面の筈なのになんだか見覚えが有るような…、何だろう、気のせいだろうか…。
「いってえー。頭超痛ぇー」
「栗ちゃん大丈夫?」
「あれ…虎美…。あれ…俺どうした」
「清志君とバトルよ。あんたの血で明日大変よ、店の掃除」
「清志…俺、清志にやられたの?」
「そうよ」
「俺が…清志に…。あの野郎、絶対にぶっ殺す。ん?ところでアンタ誰?」
アンタと来たよ、クソガキが。どう見ても年下のガキにタメ口を利かれた俺は一瞬で頭に血が昇った。大体コイツが復活出来たのは俺による献身的な介護のお陰じゃねえかよ。当然俺は言い返した。
「アンタじゃねえんだよクソガキが。テメーを助けてやったのは俺なんだよ。金貸せコノ野郎」
「なにコラっ!」栗原は俺に飛び掛ろうとして立ち上がった。しかし、さっきまで失神していたくせに急にそんな事をしたものだから立ち眩みを起こして再び失神、俺に圧し掛かるようにしてその場に倒れ込んだ。栗原の体重をまともに浴びる形になった俺はアバラの痛みの衝撃に気を失いそうになった。しかも痛みで体に力が全く入らず栗原をどかす事ができない。俺はもう、ただただ虎美に助けを求めた。
「虎美、助けて。どけて、こいつをどけて」俺がどうにか声を振り絞ると、何んと信じられない事に、いつの間に作ったのかは知らないけれど虎美はカップラーメンを食べていた。
「今、食べてるから」
「たのむ。マジでたのむ」
「うるさい、ラーメンのびちゃう」
「買ってやるから…新しいのを買ってやるから。だからマジで」
「喧嘩しない?」
「なに?」
「もう栗ちゃんと喧嘩しない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「栗ちゃん私の元カレなの。だから栗ちゃんの事を大事にしないならチャンプの事は助けてあげない」
情けなさとアバラの痛み。俺はもう、泣いていた。
「…俺は、今カレじゃねえのかよ…」
「ふうー」虎美は本当にそう声を出して溜息を付くと面倒臭そうに立ち上がり栗原の体を足蹴にして俺の体から引き離した。
「もう喧嘩すんなよ。お前らマジで」何故だか知らないけれど男口調になった虎美の捨て台詞とズルズルとラーメンを啜るBGMをバックに豚骨スープの匂いの中、俺は痛みと共に気絶した。
俺が栗原との気絶合戦から目を覚ますと虎美は誰かと電話で話をしていた。
「うん、そうそう、だから私の元カレのアンタの今カレ、私の家でぶっ倒れてるから。そうそう、だから早く引き取りに来てね。そうそう、清志清志、清志にやられた。あん?うんうん大丈夫、警察には連絡してないから。あ!チャンプが起きたー」虎美は俺の蘇生に気が付くと話し相手に電話を切る旨も伝えずに受話器を放り投げ、俺に駆け寄り熱烈なキスをした。
マジかよ?マジだよ!栗原の彼女にして虎美の友達でもある、さっきの虎美の電話の話し相手は、別れたばかりの俺の元嫁だった。
絶句したまま口を半開いてお互いに視線を外せないでいる俺と元嫁に、どちらにと言うでもなく虎美が声を掛けた。
「あれ?うそ。二人、知り合い?」俺が虎美に事実を告げようとすると、元嫁はキッパリと事実をひん曲げた。
「いやいや全然初対面。知らない人がいきなり居たから少しびっくりしただけ」元嫁は虎美にそう告げると俺に向き直し不実の挨拶をした。
「どうも、始めまして。虎美の友達のヒロミです」違うし。名前違うし。違うってゆうか変えてるし。俺が「どうも始めまして」と不実のお返しをすると名前がヒロミにチェンジした元嫁は栗原の元に駆け寄った。
分かった分かった。解決解決。栗原の事を何か見覚えが有ると思っていたら、アイツじゃん。病院で「ヒロミ」と一緒に歩いていた若い兄ちゃんじゃん。どうりで見覚えが有った筈だよ。
ヒロミは栗原の為に救急車を呼びつけた。なんだよ、結局病院に行くんじゃねえかよ。心の中で突っ込んだその瞬間、俺はまたしても急激なアバラの痛みに襲われた。デンジャラスな激痛にのたうち回っていると栗原の為に呼ばれた救急隊員がアパートに到着。栗原に相乗りさせてもらう形で俺も病院に運ばれた。
俺の状況は最悪だった。動き回った為に折れたアバラが心臓を一突きする寸前まで近ずいていたいたらしく診断の結果緊急入院が決定。さらに運ばれた病室のベッドが栗原のベッドの隣になってしまい全ての状況が悪循環を繰り返し俺は追い討ちに揺さ振られ続けた。
ブルーだ。ブルー過ぎる。結局俺はオペレーションを施した後、約三週間に及ぶ入院生活。栗原は三日ほどで退院していったが、その間俺とは一言も口を聞かずにベッドを仕切るカーテンは硬く閉ざされ、時折ヒロミが何やら御奉仕しているっぽい雰囲気が微妙な息使いや僅かな物音から感じ取られ俺の負傷箇所を刺激した。
栗原の方はヒロミが毎日見舞いに来ては献身的なサービスをしているとゆうのに、虎美は結局、俺が退院するまでの約三週間、俺の見舞いに訪れる事は一度も無かった。しかも、しかもだ!栗原が入院している三日間の間に虎美は二度ほどヒロミと一緒に病院を訪れて、二度とも俺のベッドを完全にスルーして三人で楽しそうにお喋りをしていたのだ。
楽しそうなカーテンの向こう側を透視する程の増悪で睨み続けたあの時間を俺は決して忘れる事は無いだろう。どうして、そんなに酷い事が出来るんだよ。ふざけるなよ。お前らは三人共、絶対に間違ってるよ。世の中のどんな間違いでも、お前ら三人が犯した間違いよりは酷く無いだろうよ。俺は退院したら真っ先に虎美の部屋に自分の荷物を取りに行く事を心に決めた。こんな悪魔と暮らせるか!ほんの少しばかりのラッキーと言うべきか季節だけは俺の味方だった。この季候ならばホームレスデビューの際、真夏や真冬よりはマシだろう。
退院当日、昼過ぎに病院を出た俺は夕方まで時間を潰した。何故なら荷物を取りに行く際、虎美と顔を合わせたくなかったからだ。夕方の四時を過ぎるとクソ虎はスナックの開店準備の為に出掛けてゆく。その隙に自分の荷物を持ち出そうとゆう寸法だ。俺はもう、それぐらい、顔も見たくない程に虎美にムカついていた。
虎美の部屋に戻った俺を出迎えたのは意外な光景だった。誰も居ない筈のその部屋には、虎美、ヒロミ、栗原、あともう一人見知らぬアンちゃんの計四人が楽しそうに雑談しながらホームパーティーを開いていたのだ。酒飲んで、鳥食って、レゲエ音楽なんか流して…。俺はもう怒りやムカつきを通り越して完全に無感情。玄関脇に置かれていた自分のスポーツバックを手に取ると、そのまま無言で立ち去ろうとした。その時だった、虎美が俺に声を掛けた。
「あっ!チャンプだぁー。チャンプおかえりー。これ、チャンプの退院祝いなんだよ。はい主役はこっち、誕生席誕生席」訳の分からない展開に対応が出遅れてしまった俺は気が付くとセンターの座布団に座らされ虎美の音頭に合わせて乾杯をしていた。
「チャンプおめでとー!乾杯コンコーン」訳の分からないまま何回か乾杯コンコンしている内に何だか俺は普通に楽しくなってきてしまい天敵の筈の栗原とも仲良く笑談。ヒロミもヒロミでわざとらしく「どうしてアバラなんて折っちゃったんですかぁー?」なんてフザけた事を聞いてくる。俺が「いやぁー、ちょっと、そのぉドロップキックで」と答えると「えー、ドロップキックですかぁー。ミっサっワ!ミっサっワ!」と、やけにハイテンションだ。もう一人の見知らぬアンちゃんは「どうも、はじめまして、清志です」と、やけに礼儀正しく俺とシェイクハンド。とゆう事はアレか、この好青年が栗原の頭部を一升瓶でフルスイングした下手すりゃ暴行殺人未遂犯の清志君か?見えねー、全然そんな感じには見えない。どう見ても完全な好青年、ひょっとすると酒乱なのか?なんて思ったりもしたけれど、そんな事も無いらしく、さっきからウイスキーをストレートでガンガンいってるけれど、その好印象は変わらないままだ。
一体全体どうゆう事なのだろうか。初対面の清志君の事はよく分からないが、あんなにムカつく野郎だった栗原や、嘘つき改名女の元嫁「ヒロミ」まで俺にとってもフレンドリー。悪魔の申し子虎美に至っては、あの、出会った最初の頃のような朗らかな微笑み天使に戻っており好ましい事この上無く、まさにエンジェルそのものだ。
どうでもよくなっていた。怒りなんて面倒臭いし実際に楽しいのだから楽しく飲もう。俺達は飲んだ。酒ばっかり飲んだ。「いやー!雨ー!洗濯物がぁー」虎美はそう叫ぶなり窓ガラスをタックルでブチ破りベランダに突進、そのまま勢い余って二階から飛び降りる形で地面に転落、ドスン!とゆう鈍い音が響き渡った。数十秒後一枚の布切れを握り締めた虎美が部屋に戻り何事も無かったように飲酒を再開した。無事で何よりだ。虎美がブチ破った窓ガラスのおかげで部屋の風通しが随分と改善されて俺達は益々快適に酒を飲んだ。もしかしたら虎美の目的はこれだったのかもしれないな。だったら窓を開ければいいじゃん、って、そんな話し聞きたくもないんだろう。俺達全員。
すっかり仲良しグループになった俺達五人は数日後みんなで仲良くディスティニーランドに行った。自分の元嫁のヒロミは元来、大のディスティニーマニアで、かつてはディスティニーランドの年間パスポートを所有していた程のディスティニー信者だ。今回のディスティニー行きも当然彼女の提案。あんまり乗り気ではなかった、俺、栗原、清志の男三人も「行こうよー、みんなで行こうよー」とゆう彼女の情熱に絆されてテクテクと付いて行ったのだった。
ディスティニーランドの返り道、ヒロミは超不機嫌だった。しかし、その気持ちも理解出来ないでは無い。なんと我々一行は殆ど一日中ディスティニーランドに居たにも関わらず奇跡的な確立にぶち当たり唯の一度もニッキーに出会う事が出来なかったのだ。ニッキー命のヒロミの心中、察する事山の如しだ。
いや、正確に言えばニッキーには会えてはいるのだ。しかし、それはパレードの時の話で、それはヒロミに言わせると「そんなのは見たってだけ。逢ったとは言えないでしょう。私はニッキーに逢いに来たのよ」との事であり「パレードで見ただけなんて、そんなので見たって全然嬉しくない」との事である。
余りにも低いヒロミのテンションに他のみんなも何となく元気がない。取り合えず酒でも飲もうかって話になり何んと無く入った居酒屋の中、とうとうヒロミは泣き出してしまった。「ニッキー、ニッキー、私のニッキー。ニッキーに逢いたいよぉー」事情を知らない他の客と居酒屋の従業員には、ただの外人に捨てられた女にしか見えないだろう。しばらくシクシク泣いていたヒロミだったがテキーラを一気に飲み干すなり唐突に大声を張り上げた。
「裏切り者のクソねずみー!」そう叫ぶと立ち上がり唖然とする店内中の視線を他所に店から飛び出し走り去って行ってしまった。
数時間後ヒロミは警察にしょっぴかれてしまった。復讐の鬼と化したヒロミは我々を居酒屋に取り残し走り去った後、営業終了後のディスティニーランドにニッキーを求めて侵入を試みた。しかし当然、警備員に取り押さえられ、その際なぜか全裸になって泣き叫びながら完全抵抗。サジを投げた警備員が警察に通報し気が付くと取調室の中で刑事に八つ当たっていたそうだ。
この事件を仲間内で最初に知ったのは俺だった。余りにも馬鹿馬鹿しい珍事件だった為、いくつかのテレビ局が面白半分で極短い時間だがニュースで取り上げ、それを偶然俺が見ていたのだ。「マジかぁ」俺は横で寝ている虎美を起こそうとしたがウイスキーを飲みすぎた虎美は完全に爆睡。起きる気配は微塵も感じられない。まあ取り合えず一服して落ち着こうと、俺はタバコに火を点けた。その時、俺の携帯電話の着信音が部屋に響いた。
電話は警察からだった。その電話で判明したのだが、俺とヒロミは戸籍上はまだ夫婦だったのだ。遊び呆けるのに忙しかったヒロミは、まだ離婚届を提出していなかったのだ。だもんで、戸籍上は夫で有る俺の所に警察から連絡が来るのは当然の話だった。
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