とりとめもない

@sekihaku_01210

とりとめもない

 誰かに見られている気がして振り返ると誰もいない暗黒の道、足物さえあるかはわからない沈みゆく銀河、深海のような静けさの中に僕らはいる気がする。

 俗説は闇という闇がひしめきあって生まれているのかもしれない、その中で我々は揉まれ続け、呼吸が怪しくなってくる。


 高校3年のクラスが受験を控えたピリピリとしたムードに包まれた頃でした。


 「あいつ、大里さんのストーカーしているらしいよ」


 まことしやかに噂が流れる高校のクラスは、僕にとって不吉で気持ち悪いものでした。

 どうやら、クラスメイトが同じクラスの女の子をストーキングしているらしいのです。追いかけ回したり、塾の自習室で毎回隣に座ったり、そんな内容でした。

 立ちこめた暗雲は今にも落ちてきそうでした。疑惑の彼は僕の親友でした。

 そんなはずはない、すぐにでも真偽を確かめたいという気持ちと、疑惑でも言いふらすんじゃなくてちゃんと大人に相談しろよと…この雰囲気に対する怒りがとにかく立ちこめているのです。

 でも彼を前にするとなんだか引け目を感じてしまってうまく言葉が前に出ない。

 僕は意気地なしだと思いました。本当に親友のことが大切ならばちゃんと訊くべきなのに。

 そうやって噂を耳にして数日は、一緒に下校する彼を直視できずに、ただ彼の他愛のない—と信じたい話に頷くだけでした。

 相変わらず、落ちてきそうな曇り空でした。僕の学校は丘の上にありますから街を見下ろしながら帰ります。でもこの曇り空はどこかこの世界を封印しようとしているかのようでした。


「オマエ、最近元気ないよなー」


 あいつはそう言った。

 僕はうんと頷きます。

 でも、なんかあったら相談しろよな、という彼の返事はどこにも探りを入れる気にもならなくて、あぁ…という生返事であったことは想像に難くないでしょう。

 

「今日は塾あるからこっちから帰るわ、じゃ」


 なぜか冷や汗が出ました。

 この曲がり角で帰れと足以外は言っている。心もそう警告を示している。

 でも足だけは場違いな好奇心からか、後を追うことを選んでいます。いつもは使わない、もう一つの最寄り駅まで。

 引き返せ、なぜ疑うのか、何も見るな。

 雑踏が重くなり、深い沼の底へ自ら沈みに行く。隠していた確信に本心に。

 踏切を抜けて坂を下って、歩道橋を渡って彼に見つからないように遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから遠くから…

 何も覚えていない、気づけばホームの隅で息を殺していた。親友と信じたい人が遠くに見えた。彼は携帯をいじっていた。

 ホーム脇のトイレの影、ホームに立っている大里さんに見えない後ろで。

 殺していた息は飲み込めずに呼吸を止めざるを得なかった。

 どうしてそんなに垂直にスマホを構えているんだお前!僕の角度からは見えます。大里さんの全身を写してる。


 「!」


 何かを感じたのかキョロキョロと彼は辺りを見回しました。すぐさま改札への階段をかけ登りました。

 バレたらどうなる…心臓は破裂しそうでした。


「キミ、大丈夫?顔真っ青じゃないか…!」


 階段で仰け反ってる僕を心配して会社員のおじさんが助けてくれようとしましたが、大丈夫です。と引き攣った笑顔ですぐにきた電車に飛び乗りました。

 なんとか呼吸を取り戻したかのように電車のシートに座り込みます。

 彼は大里さんと同じ車両に乗りました。

 僕は一個向こうの車両にいます。幸い端っこだったので連結部分の移動用のドアから向こうの様子が見えます。

 彼は何食わぬ顔で乗っていますが、大里さんも平然を装いつつ横目で彼を見ているのがわかりました。

 やがて、塾のある大きな駅に来て、二人は降りて行きました。

 チカチカする頭のまま、記憶は飛び飛びで、塾があるであろう道を人混みを縫って追います。もはや気が気ではありませんでした。人混みは影というより蜃気楼に、街灯は陽炎の如く、冬の酷く散乱した赤色の中でゆらゆらと視界に漂います。僕は泣いているのでしょうか、それとも意識が怪しくって気が違ってしまったのでしょうか、足はすすめと言いますが、もう僕はぐにゃりと歪みそうでした。

 スポットライトが当たるように遠くに見える大里さんは足早に塾に向かうふりをして逃げ切ろうとしますが、彼は余裕の足取りか、いつものように全くの白々しさで向かっています。

 ついたのは塾でした。彼女は逃げるふりをして塾に入ったのを彼は見逃してはいませんでした。

 そして、僕は彼が塾の自動ドアの前に差し掛かったところで思わず、手首をパシリと掴んで塾と他の建物間にある物陰に引き込みました。


「なぁ!!」


 僕はきっと怒気に満ち満ちた声を荒げていたに違いません、力が入り過ぎて指は彼の手首に埋まり、爪を立ててしまっていたのですから。もう片方の自由な腕は彼の頬にくれてやりました。


 一瞬、彼は顔を下に傾けて暗い顔をしましたが、すぐに僕の方を向いてフッと笑いました。気持ち悪い…僕の中の彼は崩れ落ちました。

この一瞬で失望と絶望は風化していって、別のスイッチが入りました。

 ただ、憤怒です。

 僕の中で彼は終わりました。


 血が出るほど握りしめていた手首を放り投げて、僕は彼を呪いました。そして吐き捨てました。


「死ね」


 僕の中で彼は死にました。

 逃げるように帰って僕は泣きながら高校に電話しました。帰路は遠回りですごく長かったはずなのに、一瞬に感じてしまえるようなそんな気分でした。ただひたすら頬は寒いのに、手は気持ち悪いほどに生温かいままでした。

 今思えば、彼に期待し過ぎていたのかもしれません。多分、大里さんをストーキングしていたことよりも、僕の信用を裏切ったことに対しての怒りが燃え盛っていたのですから。

 しばらくして僕は高校に行かなくなりました。卒業式にも行っていません。もう授業という授業は終わっているので、卒業は確定していましたから。

 とはいえ、僕はどこにも行けなくなりました。心に空いた穴は埋まるはずもなく、絶望と罪悪感が穴から入って出ていくだけです。部屋という箱にいるだけです。何もしたくはありません。

 僕の親友だと思ってた人は、僕の中で彼が死んだその日、塾の5階から飛び降りて本当に死にました。

 僕と彼は今、生や死を飛び越えて暗黒の道、沈みゆく銀河、深海のような静けさにいるのです。

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