第6章 キュウカンチョウの世界

第16話 人を死に至らしめる法律の執行


「いや~。このご時世なので、どうかご勘弁をください。

 協力をしたいのは、やまやまなんです。

 どうしたって、今回ばっかりは堪忍いただけませんでしょうか?」

一日の仕事を終え、へとへとになって事務所に戻ると、珍しいことに班長が電話に向かって何度もそのハゲ散らかした頭を下げていた。

同僚たちが会社に備え付けの風呂に向かう中、私は事務所の片隅に設置されているソファーに身体を預け、煙草に火をつける。


「また、厄介事か……」

誰にも聞こえない声でごちる。

最近、私たちのようなゴミに対して、無理難題な注文を付ける奴らが多くなってきている。

隣国発肺炎は未だにその勢力に衰えを感じさせない。

その一方で、私たちのようなゴミに対して投げられる仕事は増えていく。

社会は、まるで「ゴミはゴミらしく、少しでも貢献せよ」と言わんばかりに、命の危険が伴う仕事を提供してくれる。


まあ、願ったり、叶ったりじゃあないか。

陽の元を大手を振って歩けない私たちのような人間を必要としてくれる世界がいま、目の前にある。

ゴミのように扱われてきた私たちが、はじめて得ることができる自己肯定感。

……まあ、死ぬ可能性と引き換えではあるがな。

そんなことを想い、また、ひとり笑みを浮かべる。


「じゃあ、二人だけで、どうか勘弁をしてください!

 うちだって、もう、カツカツなんですから……。

 そして、推薦の件もよろしくお願いしますよ!

 私たちのような弱小が生きていくには……」

どうやら交渉成立らしい。

また、誰かが生贄として捧げられることになるのだろう。

いつまでも終わらないロシアンルーレットに再度、弾を装填したことに班長は気付いているのだろうか……。


煙草を灰皿にこれでもかというくらいに押し付け、消す。

「チッ……。っクダらねぇ……。」

私は、独りごち、風呂に向かう。

その背後に班長からの声が飛ぶ。


「鈴木、頼む。

 助けてくれ。いまのこの状況で、極西からまたあの仕事が……。

 おまえ、何度か手伝ったことあるだろ?

 おまえ、行ってくれないか……?」

その言葉を聞いて、全身に寒気が奔る。

自らの意志とは別に口をついて、コトバが漏れる。

「極西の案件……、だと……」


世界がこんな状況であるにも関わらず、法の執行者というものは、無理難題を突き付けてくる。

それが、「お前たちは、死ね」というものだとしても。


ああ、世界がもっと優しければ、よかったのに……。


―――――――――――――――――――――

「今日はね。

 筑前煮とやらを作ってみたのだよ!

 弘毅が意外と煮もの好きだというコトがわかったからね!」

私の両親が渡米した後、私にはワンルームの賃貸が与えられた。

大学からも徒歩で二十分。

近くにスーパーやコンビニもあり、生活には不自由しない立地だ。


そんな大学生の秘密基地を見逃さないのは、この年齢のずる賢さか。


当然のように明は、私の家に入り浸るようになった。

そればかりか、夕食の支度までしてくれる。

私としては嬉しいのだが、その「圧」に気おされる。

そして、明のご両親に対して、申し訳なさを感じる。

実際には、中学のころから会えてはいないのだが……。


「今日も大変だったんでしょ?

 確か、ゼミの研究、大詰めって言ってたもんね。

 本当にいつもお疲れさま!」

明が私の腕を抱きかかえ、部屋の奥へと引っ張っていく。


おい。

お前の大きいそれ。

私をかなりの勢いで圧迫しているが、ワザとか?


そんな思考も瞬間で吹き飛ぶ。

小さな勉強用のテーブルには、白米、みそ汁、筑前煮、ブタの生姜焼きが鎮座する。

世の男性が憧れる幸せのカタチが今、ここにはある。

私は吸い込まれるようにテーブルを明と囲う。


「へっへ~ん!

 弘毅の大好きな生姜焼きだって準備したんだからね~!

 早く食べよ~!」


なんという幸せ。

こんなことをゼミの仲間に話した日には、二度と口をきいてもらえなくなるだろう。

そんなことをうっすらと考えながら、明と一緒に「いただきます!」の声をそろえる。


箸で明の作った筑前煮を口へと運ぶ。

欲張りな私は、ニンジン、鶏肉を一緒につまみ、一気にかぶりつく。

甘いけど、少ししょっぱい。だけど、脂がジュワっと染み出してくる。

一度に三つの味覚に襲われる私の感覚は、既に蕩けそうだ。


自然と笑みがこぼれる。

たて続けに生姜焼きにも手が伸びる。

玉ねぎと豚肉を一緒に掴み、これも口へに押し込む。

生姜の香りだけではない。

これは……、ニンニクの香りか?

程よいバランスに白米をかき込みたくなる衝動に駆られる。


当然のことながら、明が用意した料理を余すところなく、完食していた。

ああ、これを幸せと言わず、なんと言うのだろうか?

胃袋を掴まれるとはこういうことなのかと、満腹になって緩くなったアタマで私は、考える。


食事を済ませ、そのまま、後ろに倒れ込む私は、その疲れから、もう思考が薄くなっている。

「ああ、父や母について海外に行かなくてよかった……」

そんなことを小声で呟くと、流しに食器をもっていく途中の明が私の耳元で呟く。


「ようやく、この状況で二人になれたのに……。

 これで満足しちゃって、イイの……?」

明は、小悪魔的に「クスっ」と、笑ったのだ。

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