木本陽樹のプロローグ
家に帰る途中、スマホが鳴った。
看護師さんからだ。
看護師さんの連絡先を知っているのは、盟に何かあったときに連絡できるように、と言われたからだ。
でも、この電話でまさか盟が危篤状態になっているとは思いもしなかった。
だって、ついさっきまで元気だったのだから。
「盟さんが、危険な状態です!来れるなら来てあげてください!」
看護師さんの焦った声。
頭は理解していなかったが、身体は動いた。
走った。
死ぬ気で走った。
503号室には、盟はいなかった。
近くの看護師に聞くと、集中治療室に運ばれたらしい。
マジかよ。
なんで。
さっきまで、あんなに笑顔だったのに。
院内地図を見ながら、集中治療室まで走った。
『ICU 集中治療室』
扉にそう書かれている。
その扉を開けると、また廊下があった。
声が聞こえる。
図太い泣き声。
看護師の指示の声。
俺はとりあえず声が聞こえる部屋のドアを開けた。
そこには、電話をくれた看護師と、盟の主治医と、盟の父親がいた。
いや、本当はもっといたんだだろうが、目に入ったのはそれだけだ。
「陽樹君!」
看護師さんと、盟の父親は俺を見て言った。
盟の父親とは何度か面識もある。
彼の印象は、『優しい。』それに尽きる。
でも、そんなことは目に入らなかった。
俺の目に映るのは、目がうす開きの盟だけだ。
「盟!!」
病院で出していい声量じゃないことくらい分かってる。
俺は盟が寝転んでいるベットに近づき、手を握り、顔を覗き込んだ。
近くで見ると、改めて綺麗な顔だなと思う。
でも、雪みたいな、餅みたいな白い肌は、青ざめている。
彼女の瞳には、零れ落ちるには到底足りない量の涙が溜まっている。
怖いだろう。
死が目前だ。
彼女も分かっているだろう。
この怖いという感情も、まだまだ生きたかったという悔しさも、数秒後には感じることすらできなくなっている。
俺もまた、数秒後に死ぬ人間の顔を見るのは怖かった。
怖かったし、悲しかったし、悔しかったし、苦しかった。
ふと、彼女の瞳から、光が消えた。
本当に、そういう表現が正しいと思う。
命が、目の前で命が消えた。
「盟・・・?」
その声で、少しは周りの景色に目が行った。
その声を発したのは盟の父親だ。
彼は俺と違う方の手、左手を握っている。
彼は盟の左手を、強く握っている。
そして、手の甲を自分の額にあてた。
「お疲れ」
彼はそう言った。
それからのことはあまり覚えていない。
適当に、人の流れる方向に身を任せて歩いていると、気づいたら病院のベンチに座っていた。
隣には、盟の父親だ。
彼は真顔だ。
真顔で、一点を見つめている。
「盟は、かわいかったよな。」
そんなことを口に出した。
俺は、答える気力がない。
「盟は、きっと世界一かわいかった。何せ、俺の娘だ。」
声ははっきり耳に入ってくるが、なんて言っているかは分からない。
「ありがとうな・・ っく」
そこからは覚えている。
急に泣き出した盟の父親は、俺に向かってそういった。
「陽樹君・・・ あり、ありがとうな・・・
君の、君のお陰で・・・・君のお陰で盟は! 盟は嬉しそうだった・・・
考えたよ。
君なら、君なら俺のかわいいあの子を上げれるって・・・・
いつか・・・盟にも子供ができて・・・・
君と一緒に、酒でも飲めたらなって・・・」
俺はただ聞くだけだった。
うつむいたまま。
でも、俺も彼の話を聞いて涙が出てきた。
盟が死んだ途端に出なくなった涙が溢れだした。
俺は、病院の屋上にいた。
そろそろ、朝と言ってもいい時間帯に近づいている。
でも冬のこの空は、まだまだ暗い。
ただ、外の空気を吸いに来ただけだ。
いつもなら、ただ寒いだけの北風が、なぜか気持ちのいいそよ風に感じる。
しばらく、柵にもたれかかりぼーっとしていた。
もう、この世界には盟はいない。
もう、会えない。
あのどこにも着地しない風船みたいな、ふわふわした声は聞こえない。
そう思うと、目の前が真っ暗になった。
気づいたら、柵を乗り越えていた。
高い。
ここは高い。
やっぱり、風が気持ちいい。
一気に解放感を感じた。
重力をそのまま、俺の体は自由落下した。
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