「生業。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「生業。」~10代から20代に書いた詩

「生業。」

この世ではどんな頼りないものでも、全部プラスに考えてゆくしか、ない。それも苦しい。


「健康の内に。」

「聖書」を開くことができない。この世間に携わってるからだ。この世間から離れる時なら、読めるかも知れない。それもかなしいのに。


「わが国。」

 その国は、人のつくった安泰の中に居たので、余分な正義をみた。しかしその安泰は、生きるのに必要であった。


「傷跡。」

頭のうしろの傷にうみが溜まり、悪化してゆく毎日。その傷に手をやればその指に水のようなうみがしがみついている。取ろうとしても取れそうにない。やがていやになって、寝込むとまた頭のうしろの傷を気にしてあおむけには寝ることができない。この傷を自分で治せないまま、明日へと持ち運ぶのだ。


「“自分らしさ”とは。」

 思うことが自分。潜在能力がまだ97%残っているからこれは自分らしくない、などとは言えない。“自分らしさ”とはその時、その時。人間である、という条件のもとで、その自分も成り立っている。ないものねだりからは逃れられない。そして孤独では居続けられない。おばあちゃんの荷物を今日は持ってあげたが、明日は持たない。疲れたから。その疲れは時の流れからくる。そして唯一、仮定して“自分らしさ”を言うとすれば、“一番目の悩み”だろう。それがその時の“自分らしさ”である。


「臆病のポーカーフェイス。」

臆病ではいけない、わかっている。でも、どうしてもその影はつきまとう。まわりの人達は私とは関係なく生きている、それが現状だ。そんな個人の気の病などでいちいち立ち止まっていたら、自分の体がもたないんだ、と、確かにその通りなのだ。“出来の良い子供を演じる”と。“気前のいい友人を演じる”と、“勇かんな人間を演じる”と、この世間ではそういう手前(演技)をしなければ普通に生きては行けない。“本音はわかっている.わかっているが建て前でこの社会の一般常識をとりあえず築くのだ。話はそれから..”みたく、この世間が変わるのを望みながら変わるのを恐れている。結局団体行動とは、傷つくこと、イコール特別なのだ。その特別とは様々、良いものもあれば悪いものもある。だが人間社会の常か、その良いものとはよほどのことがない限りとうたつはできない。...そんな中で生きているのだ。普通に生きるにしても、隣で誰かがおかしくなれば勇気か臆病か、とポーカーフェイスにも出てくる。性格とは自身、臆病は背負った上での、“臆病はいけない.”なのである。


「犯罪。」

世な世な起こる殺人事件。これについて一言。馬鹿々しい。自分の存在をアピールしてこの人生舞台、所詮人間には勝てない。


「人間議論。」

世な世な議論をくり返す人達。結局まわりにいる似た人達に自分を見せつけてゆうえつ感に浸りたいだけなのだ。


「白日。」

ただ、人と話さなければいけないと思うのは、一人になってしまうのが怖いからだ。一人になるということはそれなりの覚悟が必要だ。人生最大の覚悟が。孤独は辛いなどというものじゃない。死ななきゃいけない.と思う程だ。過去にそれなりの経験がある私は、また横にいる奴と話す。話をし続けて楽しい時と全然楽しくない時がある。頭をかかえ込んで悩むこの夜、どうにか逃げ道はないかと首を左右にふる。無駄なことだとも思いきれないその無情さは、また沈黙のきまずさを生む。それでも言葉を知るこの口が愛おしくて悲しいのだ。


「小言。」

一人でもこの世には楽しいことがたくさんある。なのにあいつは健康ながらに死を選んだ。その選択はそのあとあいつにどんな意味をもたらすのか。生きていくには金が必要だ。その金を稼ぐために今はアルバイトがある。やろうと思えば、いくらでもやれたんだ。だけど今はもういない。私は寝たらまた起きる。あいつはあの日に寝たきりでもう起きない。本当に聞いてみたい。今は幸せかい?


「生。」

髪がぬけてゆく。白髪も見えないまま、年老いてゆく自分があからさまにわかる。格好をつける必要がなくなった私は、異性の前にいる時、ぬけがらのように無関心を装う。ひとりの時は理想の人を欲しがり、街中へ行けば現実から離れたこの世にいない異性を欲しがる。その裏通りも時に十字路に行き着き、表通りに出ることがある。白くない髪を街行く皆に見られながら私は一方向に歩いていく。橋にさしかかった時人につられ下を見た。


「ラジオ。」

昔、ラジオを聞き始めてしばらくそのラジオに夢中になった時があった。明日が美しく見え、楽しみがあるような気さえして、寝る時が眠れない程嬉しかった。でも、今、そういう日々を何度もくり返してきたせいか、明日を勝手に想定して少し暗い方向にもっていく。これは現実に強いことか、弱いことか。どうすれば強く生きることができるかは、自分なりにわかっている。最も今の時代、そうでなければ丈夫に生きてはいけない。現実に強いとは、夢のもっていき方にある。時にその形はかわる。めまぐるしく変わる。現実は夢を嫌うもの、正反対のものだ。現実に強いとは2つ。現実とかけ離れた所に理想というもののように無傷で置く、もう1つはこの現実を夢と見ること。夢は所詮夢、この現実の色が、どうしてもその夢のフィールドにふりかかる。人の中で生きれば、同じようなことを考える故、思いどおりにはいかない。時の人達も番組が終われば家に帰る。その帰る途中、現実の中を通る。現実から離れることなど、ひとりでいる時以外できはしないのだ。孤独にうち勝つことは至難の技、“人間はひとりでいるのはよくない..”―----そういうことなのだ。

―――――昔と気持ちは違えど、今もラジオは聴いている。

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「生業。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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