第4話
高校では体育科に行くのがよいのではないかということになった。わたしはバスケットボールに心を込めてやっているわけではないが、真剣に取り組んではいて、プレイヤーとしての実力はどんどん上がっていた。勉強もそれなりにできて、学力でいえば今後いい大学を目指すのには困らない高校に行けるくらいであるらしいのだけれど、体育科でよい成績をおさめて推薦で入学するのがいいだろうということをお母さんと先生が取り決めた。
その様子をわたしはただ横でぼんやり聞いていた。
受験は難しいものではなかったが塾に行くことになった。平日は部活動をして、休みの日に塾で勉強して、ということをやっているとかなり上位の高校へ入れるような実力を気がつけば得ていて、模試の成績もよく、バスケットボールの成績も文句ないもので、するりと高校に入れることが決まってしまった。
わたしの入った高校では、体育科でも勉強に力を入れていて、よい大学にかなりの人数の生徒を毎年送り込んでいるようだった。そのかわり、部活の成績だけで入れるという特別な措置も用意されていて、その入試方式で入学すると勉強についていけないことが多いらしいというのも噂になっていた。
実際にクラスに振り分けられてみると、明らかに勉強にやる気のない生徒が数人いて、その人たちが部活動の成績だけで入学したというひとたちなのだろうと知れた。わたしはとくに気にせずに入学式や各種オリエンテーションに出席した。
オリエンテーションでは部活動の紹介がある。バスケットボール部に入部するとほとんど決まっているわたしはぼんやりと笑い混じりの部活動紹介を眺めていたけれど、バスケットボール部のときだけはきちんと見ようと思った。
バスケットボール部の主将が男女現れて、簡単に部活内容の紹介をしたあと、実際にドリブルの練習を見せてくれるということになった。数人の男女が現れて、それぞれのプレイを見た。女子バスケットボール部の先輩にあたる人たちはみな緊張していたけれど流石に上手い、と思った。
続いて男子バスケットボール部が実演をした。そのとたん、ひっ、と声が出た。バスケットボール部員の中にけんとくんがいたのだった。
声を出したことに振り返った隣の列の子が、
「だいじょうぶ?」
と声をかけてくれたが、わたしは震えるようにうなずくことでしか返事ができなかった。けんとくんは脇毛をあらわにしてシュートのまねをして笑いを取ってみせた。その様子を見て、わたしは意識が遠くなった。
気がつくと保健室にいた。先生方がわたしを保健室まで抱えてきて、隣に座っていた子が付き添ってくれたらしい。
「すごく顔色が悪いよ」
付き添ってくれた子はすみれちゃんといい、わたしと同じ体育科で同じクラスでもあるようだった。
「貧血?」
ちがうの、とわたしは言おうとしたけれど声が出なかった。先生方が去っていって、保健室の先生がちょっと待ってて、と言って出ていったその短い時間にわたしはすみれちゃんにけんとくんのことを話した。
「ごめんなんか言い方悪かったら申し訳ないけど、いじめっ子に再会したって感じ?」
「そう……そうだと思う」
「最悪じゃん、しかもバスケ部なんでしょ? 男女混合の練習とかあるよ多分」
「うん……」
「先生に言って配慮してもらったら?」
「こういうのってなにかしてもらえるものなのかな」
「だってこんなにも調子が悪くなっているのに何もしてくれなかったら高校って何のためにあるのって感じじゃない? 聞いてみようよ」
すみれちゃんは言う。気の強い子だな、と思いながら、戻ってきた保健室の先生にすみれちゃんが事情を話してくれた。
「かなりひどいことをされたのね」
保健室の先生は言い、
「大変だったね」
と添えてくれてわたしはぽたりと一粒だけ涙を流してしまった。すみれちゃんはわたしの肩に手を置いて、バスケ部の先生のところに行こう、と言った。
わたしとすみれちゃんはその足で男子バスケットボール部の顧問の先生、それから女子バスケットボール部の顧問の先生に会いに行き、実は、ということでけんとくんにされたことを挙げてこのようなことがあってトラウマになってしまっているのだ、と、わたしが詰まって話せないところはすみれちゃんが話してくれた。
「わかった」
女子バスケットボール部の顧問の先生は言った。
「練習で吉田ときみが一緒に試合をするようなことや、近くに来ることがないように配慮をする」
わたしは女子バスケットボール部の顧問の先生の口からはじめてけんとくんの名字を聞いた。
「吉田は次のキャプテンになる予定の選手だったのだけれど、過去にそんなことを起こしている人間を主将にはできないと先生は思う。だから、安心してほしい」
と男子バスケットボール部の顧問の先生が言った。わたしは安心して、ありがとうございます、と先生たちに伝えて職員室を出た。
体育科の部活動がはじまるのは入学から少し経ってからだった。それまではオリエンテーションによる体育科の授業の内容の説明、それから専用のジムの使い方、そういった校内の設備に関する解説が多くて、つまらないね、とすみれちゃんは言った。
「わたしたちはさ、運動がしたくて学校に入ってるんだから、はやく運動させてくれって感じ」
教室で、休み時間にすみれちゃんは言った。すみれちゃんはバレーボールの選手で、バレーボールの選手の中では小柄であるけれど、鋭いサーブを打つことができるのだと教えてくれた。
「ぎゅん! って曲がるサーブが打てるんだよ」
「すごいね」
「でも身長がもう少し大きければな、と思うことがあるよ」
すみれちゃんは言ってわたしの方を見た。わたしは、何かすみれちゃんに慰めの言葉をかけなくてはいけないのかと焦った。
「スポーツってむずかしいね、身長とか、体格とか、そういうものに左右されるから。でも実力でやってやる! と思ってるんだ!」
よく笑うすみれちゃんはわたしの慰めの言葉を必要としていないようだった。それはとてもわたしにとって心がほっとすることだった。
そうやってくだらない話をしていると、教室のドアが乱暴に開けられて、ジャージを着た生徒がつかつかと教室の奥まで歩いてきた。
それがけんとくんだということはすぐにわかった。けんとくんはがにまたで人を威圧するように歩いているのだろうけれど、とても格好が悪かった。ついいままですみれちゃんと話していたこともあり、わたしは思わず笑ってしまいそうになった。
「ついてこい」
とけんとくんはわたしに言った。わたしは立ち上がって、けんとくんの後についていこうとした。それをすみれちゃんが止めた。
「先輩ですよね? 先輩の男の人が後輩の女の子を連れていくなんて変だと思い」
言葉の途中ですみれちゃんはお腹を殴られて、動けなくなった。すみれちゃん、とわたしがクラスメイトがかばおうとすると、
「はやく来い」
とけんとくんが言った。
「つまんない不良みたい」
とクラスの中の誰かが言った。けんとくんは振り返って声のした方を睨んだけれど、さまになっていなくて、ただ不良の真似事をしているだけのようだった。
わたしは教室を出てけんとくんについていった。けんとくんは普通に歩けばいいのに、自分を大きく見せようと股を広げてポケットに手を入れて肘を広げて歩くので、格好が悪かったし廊下を歩いていても悪目立ちをしていた。
きっと普段はこんなふうに歩いたりしないのだろうとわたしは予想した。いま、わたしを威圧するためだけに、けんとくんはこういう歩き方をしている。それはまったく効果的ではないことに気がついていないところが変だなと思った。
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