第2話

 学校がきらいなわけではなくて、学校に行くとけんとくんに暴力を振るわれてしまうことが問題なので、転校をしようということになった。父の仕事は家でできることが多く、客先に向かうことがたまにあるという職種だったので、家の場所が多少変わっても特に問題はなかった。

 転校した先ではとても楽しく過ごすことができた。ようやく授業を落ち着いて聞くことができるようになって、成績も伸びた。友達も何人かできた。クラス全体の雰囲気がよく、みんなが友達であるかのように思えて、男子女子の境目もなくみんなが楽しく遊び、勉強して、話して、笑い合った。小学校のクラスというのはこんなに仲のいい人のあつまりなのかと驚くくらいだった。

 5年生からは部活をはじめた。ミニバスというもので、ようはバスケットボール部だった。身長の小さかったわたしはいつのまにか160センチ近くまで背が伸びており、レギュラーになって、いつも試合に出るようになった。リバウンドもとれたし、シュートはかなりの確率でゴールに叩き込まれた。

 バスケットボールの練習は無心になれてとてもよかった。フリースローラインからシュートをする練習はこころを無にすれば何回でもゴールに決めることができた。

「すごいね」

 といろんな人に言われて、わたしはすごいのかもしれない、という気持ちがだんだんと生まれてきた。自分がすごいと思ったことは今までに一度もなくて、ただ生きているだけ、みたいな気持ちで生活を送っていた。

 ただ、何も考えないで空いている場所にすっとドリブルで入っていったり、シュートを打ったりするだけでとても褒められて、わたしは不思議な気持ちだった。今までだってなにも考えずに生きてきたのに、こうやってなにも考えてないが形になると褒められるのだ。ふしぎなものだなと思いながらわたしはバスケットボールにのめり込んでいった。


 三者面談があった。担任の先生と、わたしと、お母さんが教室で顔を合わせる集まりだった。

「成績がとてもよく、学校でもお友達がたくさんいて、素晴らしいことだと思います」

 と先生は言った。それがわたしに向けられている言葉だとはどうしても思えなかった。そんな褒め言葉はわたしに向けられていいものなのだろうか? もっと、すごい人がいる。もっと、頭のいい人もいる。誰とでも仲良くできる人がいる。それなのにわたしにすばらしいなんていう褒め言葉があたえられていいのか?

 お母さんは涙目で話を聞いている。それはそうだ。転校するまではけんとくんがこわくてろくに授業も受けられず、ぼこぼこにされて帰ってきて、心ここに在らずだったわたしの心ができた、みたいにお母さんは思っているのだ。

 けれどわたしに心ができたわけではない。わたしは無心でバスケットボールに、授業に、友達と話すことに、打ち込むことを覚えただけだ。

「たとえば、私立の中学校を受けてみるのはどうかと思います」

 先生は言う。

「学費が高いのではないですか」

 とわたしが言って、それはお母さんが考えるから平気だよ、とお母さんが先生の方を向いたまま答えた。

「学費は確かにかかりますが、勉強のレベルは高くなりますし、こういってはなんですが、生徒もある程度選抜された子になるので……」

 つまりそれはけんとくんのような乱暴な子がいなくなる可能性が高いということを言いたいのだとわたしは理解した。なるほど、それは確かにありがたい。

「ミニバスの成績である程度の試験が免除になったり、優遇される学校もあります。そういうところを目指してみるのはどうですか?」

「すごく、いいと思います」

 答えたのはお母さんだった。わたしは、正直に言って親にお金をかけさせる方が申し訳なく思っていて、ただでさえ引越しを強いてしまった実績があるのに、さらにお金のかかるようなことを言っていいのだろうかと悩んでいた。

 そして、わたしに期待をかけないでほしかった。わたしはいつか期待を裏切るだろうという予感があった。その予感は外れなさそうで、だっていま何も考えずにバスケットボールをやっていることができている、友達と仲良くすることも、勉強も。そんなのはおかしいことだ。

「お金のかからない学校なら」

 わたしは言って、しばらく間を置いたあと、

「行きたいです」

 と答えた。先生はすでに資料を用意していた。どうもわたしのバスケットボールの成績だと、借りるのではなくもらえるタイプの奨学金が受けられる学校があるらしく、しかしそこはすこし遠い場所にある中学校だった。

「通学はへいき?」

「へいきです」

「電車に乗る練習をする?」

 とすこし不安げにお母さんが言った。お母さんが心配なら、する、とわたしは答えた。

 そのつぎの土日から、わたしはお母さんと電車に乗って出かけることになった。ミニバスの練習は午前中に終わるので、そのあと一旦家に帰り、電車に乗って数駅先の商業ビルに行って服を見たり、お茶をしたり、お互いに本を読んでいたりという時間の使い方をした。電車の乗り方にはすぐに慣れて、つまり電子マネーのカードをかざせばいいということなのだった。そのお金はお母さんが自動でチャージしておいてくれる。だからわたしはお金のことを心配する必要はないし、通学がはじまったら通学定期を使うことになるからよけいに心配がいらない。決まった駅間を決まった料金で行き来することができるのだ。それはずいぶんありがたいなとわたしは思う。

 電車に乗る練習をしていくうちに、これはわたしではなくお母さんの練習なのだ、ということがわかってきた。お母さんはわたしを遠くにやることに心配をしている。お母さんがわたしが遠くにいることをすこしずつ認めることができるようになるための練習なのだ、と思った。本当に練習をするのならばお母さんはついてこないでわたしがひとりで出かけなくてはならないはずだった。でもそうしなかった。お母さんはどこまでもわたしのことが心配だったのだと思う。

「わたしのことが」

「うん」

 雑誌を読んでいたお母さんは顔をあげてわたしの方を見る。

「心配?」

「心配だよ。中学生を電車に乗せて、通学させていいのかなってまだ思ってる。車で送っていったほうがいいのかなって悩んでもいる」

「小学生も電車に乗ってるよ」

「それは塾とかでしょ?通学は、朝の早い時間だから混むだろうし」

「通勤の流れとは逆方向だからあんまり混まないんじゃないかな」

「そうかもしれないけど」

 まだ納得していないお母さんに、だいじょうぶ、とわたしが言ってあげられればよかった。けれど、わたしは言ってあげることができなかった。わたしが通学でなにか事件や事故にあわないか、あるいは中学校で嫌な目にあわないか、そんなことはわからないのだ。わからないことをだいじょうぶであるといって慰めるのは一時的な効果しか持たないとわたしはよく知っていた。

「ま、やってみないとわかんないよ」

 わたしが答えるとお母さんは、

「大人だねえ」

 と言って笑った。

 わたしはもう大人にならなくてはいけないのだ。


 小学校の卒業式には両親が揃って出席した。わたしは学年代表で答辞を述べることになった。すらすらと読み上げている間に、ところどころからすすり泣きが聞こえてくる。それはそうだろう、みんな卒業は悲しいものだ。わたしは悲しいと思っているのか、よくわからなかった。とりあえずお母さんやお父さんを心配させないように、いい学校へ行き、しっかりバスケットボールをやることだけがすべてのような気がしていた。

 ふと用紙から顔を上げるとお母さんとお父さんが座っているのが見えた。お母さんは人目をはばからずに泣いてハンカチで目元を拭っていた。お父さんは、泣いているのかわからなかったけれど、でも、泣いている、とわたしは直感で思った。

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