人魚の話(2)



「やおびくにでんしょう?」


 聞いた事のあるようなないような、そんな言葉を翔太は復唱する。


「そう。人魚の肉を食らって800年生きたとされる女性の伝承。八百年生きた尼僧」

「あー人魚の肉食べると不老不死になれるとか、そんな感じのお伽話よくあるよな」

「ゲームとか漫画とかで確かに見るかも」

「ま、ただの伝承だけどね。人魚の肉を食い800年生きながらえた尼僧がいたらしい、程度だから本当のことはよくわからない……でも人魚の肉を食らえば不老不死になれるって不思議じゃない?」

「確かに。まず食べようって思う気持ちがよくわかんないけどなー」


 あはは、と笑う翔太につられるようにして通も笑う。その2人を見て浜木綿も笑う。


「……あれ?でもそんな伝承があるなら人魚いるって事じゃね?」

「確かに。居なきゃ食べようって思わないもんね。実際に見たから食べる食べないって考えになるよ、ね……?」


 不安そうな視線を浜木綿に向ける通。笑っている場合ではなかったのではと思い直したらしい。

 そんな伝承があるのならば人魚はいて当たり前で、居ないならば何故そんな伝承が生まれるのか意味がわからない。浜木綿は2人からの視線を華麗にガン無視して話を続ける。


「ジュゴンを人と見間違えて、人魚だって言い始めた説とかがあるよ」

「ジュゴン? 確かに大きさは人に似てるけど、普通見間違う?」

「ちゃんと見ると全然違うけど、2、3秒だけ見たとかならあり得るんじゃない? パレイドリア現象でしょ」

「パレード……?」

「はいはい難しい事言った俺が悪かったよ」


 バカ2人にわかりやすく噛み砕いて現象の話などを解説したところで3秒と記憶が持たないなら教え損だと浜木綿は説明を放り投げた。彼はこんなどうでも良い事で話の腰を折るつもりはもう無いのだ。


「お前ら知らなそうだから言うのもアレなんだけど。イザナミとイザナギって知ってる?知らないならそれはそれで良いけど」


 果たしてこいつらの知識量で俺の言いたい事が伝わるのか?本当にこの路線でこいつらの精神をぶん殴れるのか?と諦めすら背負い始めた浜木綿は、暴力に訴える事を検討し始める。

 彼は暴力讃美なのではなく、あくまでもバカに何をいったところで響かないなら叩くしかないという短絡思考なだけなのだ。それも良くない事ではあるが、古来より暴力がなくならないのはやはりそういう事なのだろう。


「知ってる知ってる。ゲームのラスボスで出て来たりするよな」

「神様でしょ?この間見た漫画で出てた」


 浜木綿の諦めとは裏腹に、2人は存在を知っていた。おかげで拳を振るう必要がなくなったと密かに喜び、言葉を紡ぐ。


「あ、そう。なら良かったよ。天地開闢……つってもわかんないよね。最初に国を作ったって言われてる神様だよ」

「バカにしてる? 天地開闢くらいわかるけど?」

「……うん、知ってる知ってる」


 ムッとしたような顔を向ける翔太と視線が泳ぐ通。

 何か察するものはあったが、2人は優しさからそれを見なかった事にした。


「ざっくり言うとイザナギとイザナミは神様パワーで固めた国土を繁栄させるために子供を作ったんだよ。でも最初の子供は『水蛭子』っていう不具の子だったの。だから葦の船に入れて海に流しちゃった」

「ふぐ……?」

「障碍。『蛭子ひるこ』って名の通り足がなかったんだろうね」


 軽い雑談のつもりだったのにあまり触れるべきではないような内容の話に露骨に顔を顰める。当然反応は悪く、2人共口を閉ざした。

 まぁ2人が口を閉ざした所で黙るつもりのない浜木綿は好都合とばかりに口を開く。


「俺はね、足が備わっていなかったんじゃなくって、足が1つだったんだろうなって思ってる」

「……神様が人魚を産んだってこと?」

「人魚、なのかもしれないけど。俺はシレノメリア、マーメイド症候群と言われる足がくっついた状態で産まれる病気だったんじゃないかなって考えてるよ」

「「………………」」


 重過ぎる。遊戯室には似つかわしくないヘビーな話題が散らばさせられたと2人の気分は重くなる。多感で好奇心旺盛、クソガキと名高い年齢層の学生である彼らにとっても障碍の話などあまり話題として良くないという認識はあるのだ。そのぎりぎりのラインの間際でスキップをしているようなこの話題に嫌悪感すら抱いていた。

 まさしく家族親戚のメッセージグループで突然カスな陰謀論や宗教論を大量に投下してプレゼンしてくるやべぇ奴を息を潜めてどうかこちらにタゲが飛んできませんように、早く飽きてどっか行けよ関わってくんなこっちくんな、とお祈りタイムをする時のような雰囲気にも似た精神的苦痛である。

 明らかにもうこの話題辞めて欲しいという視線を向ける2人に気付いた上で、それに気付いていないように微笑んで話し続ける浜木綿。最早彼は止まる気はなかった。


 こいつらを教養で殺してやる。その意思で口を動かしていた。


「ちなみに水蛭子は至る所で流れ着いたという伝承がある。蛭子は『蛭子ひるこ』の他に『蛭子えびす』とも読むからだろうけど。恵比寿が福の神なのは知ってるでしょ?」

「恵比寿様! 福の神様!」

「そういえば恵比寿って船に乗ってたよな。そういう繋がりなんだ」


 けれども彼も鬼ではない。空気を多少読んで話を少し修正する。話題が逸れたと喜び2人はほっと一息つく。それが罠とも知らずに。


「でも何で突然福の神に?」

「可哀想だから、とか?」


 当然の疑問を口にする彼らに、浜木綿はコツコツと本の表紙を指で突きながら応える。


不具の子ふぐのこ、と福の子ふくのこ、は音が似てるから。当て字文化で恨まれないように祟られないようにと反転させて奉るなんて大昔からやってる事だよ。水蛭子はリハビリテーションの祖と言われるほどの神様になった。海からやってくる漂着物は恵比寿様と呼んで崇める地域も少なくないしね」


 ほら、かの激ヤバ怨霊菅原道真が学業の神様として祀られてるやつとか。と朗らかに笑う浜木綿に2人は納得した。そういうものだ、と納得出来る程度の文化の共通理解はこの国で生きている2人に備わっていたのだ。

 色々と不穏な言葉選びはあったけど、人魚は神様なんだな、と安心してしまった。

 2人がお互いに視線を合わせて良かったね、とニコニコした時に浜木綿がどんな顔をしていたかなんて大事な事を見逃してしまうくらいには。


「鯨を含めた海の巨大な魚の事も『えびす』って呼ぶんだよ」

「ジュゴンもその括りになるって事? だから人魚伝承にジュゴン説あんの?」

「まぁそうなんじゃない?」

「クジラかぁ……給食で出てきたのくらいで生きてるクジラは見たことないなぁ」

「鯨って大きいから沢山食べられていいよねぇ。油も髭も骨も捨てるとこなく使い倒せるし」

「……今日のご飯はからあげがいいなぁ」


 ずっと食事としての鯨の事しか考えていない通と違い、翔太はそれなりに人魚伝承に興味があったのかいろいろと考えを巡らせているようだった。


「ところで貧しい漁村って、魚の漁獲量が減れば即座に死に直結すると思うんだけどどう思う?」

「? まぁ、そりゃそうだよな、って思うけど」


 我が意を得たり。そんな笑顔で浜木綿は小首を傾げる。


「なら、魚と人の混ざったような、海からの恵比寿は信仰の対象に、なるよね?」

「……まぁ、そう、だな」

「恵比寿様だからね……?」


 浜木綿はするりと本の表紙を撫ぜた。とても愛らしいものを見るかのような瞳で表紙の人魚をくるりくるりと触る。まるで表紙の人魚が生きていて、それを手で愛でているかのような、そんな仕草で。


「じゃあ。生命線とも言える漁獲量が減ってしまった漁村の人間が、小さく生命力に溢れた生まれたばかりの『恵比寿』を見たら、どうすると思う?」


 どうするか?決まっている。さっきから嫌と言うほど浜木綿は信仰だ神だ福の神だと繰り返してきた。問いかけられた2人は顔を見合わせて答える。


「崇め奉るんじゃね?」

「神様にするんじゃない?」


 にこにこと、お上品な笑顔のまま、浜木綿は本の表紙から手を離して肩を組みっぱなしだった通に凭れ掛かる。とても、本当に心底楽しそうで、何か決定的に違うものを見ている目。真横にいるからそれを見られなかったがために通は致命的なまでに危機察知が遅れた。

 もし見えていたらこの世のものとは思えないほど泣き喚いて全力で話を聞かないように抵抗しただろうから。


「なぁ」

「……なんだよ」


 対面しているからこそ反応全てが見えてしまっている翔太は身を固くする。それが声にも出たのか、いつもの軽快な軽い声は鳴りを潜めていた。


「俺が。俺が最初になんて言ってこの話を始めたか、覚えてる?」

「『八尾比丘尼伝承』だろ? 日本の人魚伝説。それがど、……」


 こいつは。なんと言っていたか?その伝承は、なんだったか?その詳細は?

 それがぐるりと頭を巡り、同時に背中がぞわりと粟立つ。

 それはいまにも舌舐めずりを始めそうなほどの笑顔でにんまりと笑い、こちらを見ていた。笑顔というどこをどう見てどう聞いても喜びの感情なのに、ひどく嫌な顔だった。


「識字率の低い漁村、海からの贈り物である恵比寿、ジュゴンを大きくしたような鯨を食べる人間の国、そこに産まれ落ちた生命力溢れる産まれたばかりの『恵比寿』」


 かちかちかち、と翔太は頭の中で与えられた情報のピースがはめ込まれていく音を聞いた。あぁさっきからすべて。少しずつ雑談の体で、連想ゲームのように変遷していく話の話題が。その全てが、今この結論を自分たちにまざまざと叩きつけたいが為に浜木綿によって形作られたパズルのピースだったのだと気づく。

 表情がどんどんと強張り青くなっていく翔太を見て、通は即座にこれは気付いちゃいけないやつだと察して思考を辞める。

 だがどうだろう。彼は最初から逃げ場など奪われているのだ。もぞりと体を起こした浜木綿は通の肩に顎を載せてパズルのピースを直接頭に吹き込んでやる。心からの優しさと悪意を持って。

「八尾比丘尼が本当に食べたのは、なんだと思う?」

 人間とは、どんなに頑張っても思考することを辞められない。考えてはいけないと思えば思うほど思考回路は優秀に働くものである。

 そんな簡単な問いかけが、頭に直接吹き込まれ。常からお化けによって想像力を限界まで鍛え上げられている通の賢い頭は結論を導き出し、そして。

 絶叫。





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