人魚の話
注意書き
※怖くないです
※性格は悪いです
※はまゆーの性格が悪いです
※人によっては嫌悪感を覚える事言います
※人類の禁忌が普通に出ます
※多方面に喧嘩売ってます
※おばけでません
通は寮の遊戯スペースでごろりと横になり、うんうんと低く唸りながら本と睨めっこを続けていた。
いつもなら一緒にゲームでもしているのに本を読んでいるなんて珍しいな、なんて思いながら名苗 翔太はその本を覗き込んだ。
「……? 人魚姫……?」
「ぅわ! びっくりしたなぁもう」
通は大袈裟に驚いて器用にも寝転んだまま飛び上がった。飛び上がって軽くズレた眼鏡の位置を直しつつ上体を軽く起こして本を閉じる。表紙にもちゃんと『人魚姫』と表記があった。
「驚かせてごめんだけどさ、なんで人魚姫なんて読んでんの? いやバカにしてるとかじゃなくてな? 通が本読んでるってだけでも珍しいのに、人魚姫を読んで何をどう悩んでんのかなって」
翔太は閉じた本を横から手を出してぺらぺらと繰って尋ねる。見たところ、それはどうにも普通の児童書の書式のようだった。
疑問をそのまま口に出した翔太に、通は少し目を泳がせたのちに言葉を選んでいるのかゆっくりと答え始める。
「あー、その。なんていうかさ? 俺人魚姫ってあんまちゃんと読んだ事ないなーって思い至っちゃった、的な?」
「ま、確かに童話って小さい頃に読まなかったら読まないよなー」
うんうん、と納得したような翔太はそのまま本を取り上げてぱらぱらと本格的に開き始めた。それは本を読んでいると言うより挿絵を眺めているに近い動作で、文字を読む気のなさが如実に伝わってくる。
本の持ち主(図書館で借りただけではあるが)の通も覗き込んで挿絵を眺めた。活字中毒者に言わせるならば論外な読み方ではあろう。だが活字弱者の本の嗜み方など、どいつもこいつもこんなものである。まだ挿絵だけとはいえ見るだけでも褒めるべきなのかもしれない。
そんな2人の後ろから、その児童書を覗き込むものがもう1人。
コンスタントに捲られるページに、あぁこいつら文字読んでないなと察しつつも彼らなりに割と集中して見ていそうだと思い黙って見ていた。
どんどんと捲られた物語はクライマックスの身投げのシーンまで進み、そして終わる。
「……ちゃんと文字読めよ」
「ぎゃぁ!!!」
「ぅわぁ!!!」
完全に集中し切っていた彼らに物語が終わったからと配慮をやめて声をかけた浜木綿に、2人は大袈裟に声を上げた。
「びっくりさせんなよ加瀬!!」
「勝手にそっちがびっくりしたんだろ。俺のせいにしないでくれる?」
「……!!、…!!」
はくはくと、声も出せずに驚いている通をよそに浜木綿は翔太に手に持っていたノートを渡す。ノートには所有者である翔太の名前が記してあった。
「移動教室の机の中に置きっぱだったでしょ。たまたま見つけたけど渡すタイミングなくて今持って来た」
「マジ? どこに行ったんだろってめっちゃ探してたわ。ありがとー」
ノートを受け取らせ、浜木綿は通を振り返り、そのまま本に視線を向ける。浜木綿本人からすればそれはただ単に懐かしさからの視線でしかなかったが、その視線が気になった通は世間話程度に揶揄いに属する様な言葉を選んで振ってしまった。後悔する事になるとも知らないで。
「そういえばはまゆーは人魚姫ちゃんと読んだ事あるの? はまゆーは確かに頭いいけどこういう感動系?のお話とか全然読まずに育ってそうだよねー」
「は?」
「ちょっとそれわかるかも。加瀬って小さい頃に本で情操教育とかしてなさげだよな」
「は??」
「感動系のお話読んでたらもっと優しさと慈愛に満ち溢れた人間になれるはずだもんね」
「は???」
決めつけからあまりにもボロクソに言われ放題言われる幼少の砌の自分への評価に浜木綿は自分の中で遺憾ポイントが溜まっていく音を聞いた。
「少なくともお前らより俺は本読んでたと思うけど?」
「いやぁ、読んでも情操教育が未発達だったらちょっと読んでるカウントにならないんじゃないかなって思うな俺は」
「やっぱりはまゆーは優しさをもっと学ぶべきだと思うんだよね」
何を言ってもこいつら聞き入れるつもりがないな、と理解した浜木綿は表情を消した。
「まぁ? 俺らみたいな? こういう文学を嗜んできた一般的な青少年は? 愛と優しさ、それから豊かな感情表現で構成されてるからさ! なんかごめんな?」
「はまゆーは子供向けのアニメとかも見てなさそうだもんね。愛と勇気を友達と思った事もなさそう」
彼らが言葉を重ねれば重ねるほど加速度的に表情が消えていき、遺憾ポイントがじゃらじゃらと浜木綿許容ボックスに投げ入れられていく。
「人魚姫みたいな正統派悲恋ラブストーリーは人の心を失った加瀬こそ読むべきだと思うわ」
「ねー。でも優しいはまゆーってちょっと解釈違いかも」
「あーね、それはあるわ。それにしてもこの本の挿絵めっちゃ綺麗じゃね? 人魚姫めっちゃ美人だし」
「それ! こんな綺麗で神秘的な見た目なのに何で王子様は人魚姫を選ばなかったんだろうね」
話題が人魚姫に移ったわけだが。
当然それでも浜木綿の遺憾ポイントは無くなったりなどしない。むしろその遺憾ポイントによって彼の中で抽選が始まっていた。
それぞれは小さな積み重ね程度の遺憾ポイントではあった。だがそれによってジャックポットが引き当てられた。浜木綿は消していた表情が滑らかに自分の顔に戻りそれが微笑みを携えたのを他人事のように感じつつも、こいつらが泣くまでボコボコにしてやろうと決意を固めた。言うまでもないが彼の行動は基本即断即決である。
「俺も人魚見てみたいなー」
「わかる。けどこれ外国のお話だし、日本には人魚居ないんじゃない? はまゆーもそう思う、で…………」
通は浜木綿の華も恥じらうような綺麗な微笑み顔を見て己の失敗を悟った。相応に長い付き合いだからこそわかる、これはだいぶカチ切れている。
途端に吹き出す冷や汗と共に逃亡をはかろうと腰を浮かせたが、当然立たせて貰える訳もなく流れるような自然な動作で浜木綿によって肩を組まれた。いつものおばけに遭遇した時のような震えを披露しつつ、いっそ泣き喚きたい、助けてという視線を翔太に送る。
だが残念な事に翔太は浜木綿歴が短く、意味を理解出来ていないようなきょとんとした顔をしていた。
終わった。その4文字が通の頭の中を踊る。
「……日本にも人魚伝説はあるよ」
「え! 日本にも人魚いんの?!」
どうして翔太はこの浜木綿の笑顔を見てそんな嬉しそうに出来るの……?と愕然としながら通は震え続ける。
真横にある浜木綿の、にこにこと常ならあり得ない笑顔の下で黒い感情がぐるりと渦巻き舌舐めずりをしたのを感じ取った。
「『八尾比丘尼伝承』だよ」
「やおびくにでんしょう?」
聞いた事のあるようなないような、そんな言葉を翔太は復唱する。
「そう。人魚の肉を食らって800年生きたとされる女性の伝承。八百年生きた尼僧」
「あー人魚の肉食べると不老不死になれるとか、そんな感じのお伽話よくあるよな」
「ゲームとか漫画とかで確かに見るかも」
「ま、ただの伝承だけどね。人魚の肉を食い800年生きながらえた尼僧がいたらしい、程度だから本当のことはよくわからない……でも人魚の肉を食らえば不老不死になれるって不思議じゃない?」
「確かに。まず食べようって思う気持ちがよくわかんないけどなー」
あはは、と笑う翔太につられるようにして通も笑う。その2人を見て浜木綿も笑う。
「……あれ?でもそんな伝承があるなら人魚いるって事じゃね?」
「確かに。居なきゃ食べようって思わないもんね。実際に見たから食べる食べないって考えになるよ、ね……?」
不安そうな視線を浜木綿に向ける通。笑っている場合ではなかったのではと思い直したらしい。
そんな伝承があるのならば人魚はいて当たり前で、居ないならば何故そんな伝承が生まれるのか意味がわからない。浜木綿は2人からの視線を華麗にガン無視して話を続ける。
「ジュゴンを人と見間違えて、人魚だって言い始めた説とかがあるよ」
「ジュゴン? 確かに大きさは人に似てるけど、普通見間違う?」
「ちゃんと見ると全然違うけど、2、3秒だけ見たとかならあり得るんじゃない? パレイドリア現象でしょ」
「パレード……?」
「はいはい難しい事言った俺が悪かったよ」
バカ2人にわかりやすく噛み砕いて現象の話などを解説したところで3秒と記憶が持たないなら教え損だと浜木綿は説明を放り投げた。彼はこんなどうでも良い事で話の腰を折るつもりはもう無いのだ。
「お前ら知らなそうだから言うのもアレなんだけど。イザナミとイザナギって知ってる?知らないならそれはそれで良いけど」
果たしてこいつらの知識量で俺の言いたい事が伝わるのか?本当にこの路線でこいつらの精神をぶん殴れるのか?と諦めすら背負い始めた浜木綿は、暴力に訴える事を検討し始める。
彼は暴力讃美なのではなく、あくまでもバカに何をいったところで響かないなら叩くしかないという短絡思考なだけなのだ。それも良くない事ではあるが、古来より暴力がなくならないのはやはりそういう事なのだろう。
「知ってる知ってる。ゲームのラスボスで出て来たりするよな」
「神様でしょ?この間見た漫画で出てた」
浜木綿の諦めとは裏腹に、2人は存在を知っていた。おかげで拳を振るう必要がなくなったと密かに喜び、言葉を紡ぐ。
「あ、そう。なら良かったよ。天地開闢……つってもわかんないよね。最初に国を作ったって言われてる神様だよ」
「バカにしてる? 天地開闢くらいわかるけど?」
「……うん、知ってる知ってる」
ムッとしたような顔を向ける翔太と視線が泳ぐ通。
何か察するものはあったが、2人は優しさからそれを見なかった事にした。
「ざっくり言うとイザナギとイザナミは神様パワーで固めた国土を繁栄させるために子供を作ったんだよ。でも最初の子供は『水蛭子』っていう不具の子だったの。だから葦の船に入れて海に流しちゃった」
「ふぐ……?」
「障碍。『
軽い雑談のつもりだったのにあまり触れるべきではないような内容の話に露骨に顔を顰める。当然反応は悪く、2人共口を閉ざした。
まぁ2人が口を閉ざした所で黙るつもりのない浜木綿は好都合とばかりに口を開く。
「俺はね、足が備わっていなかったんじゃなくって、足が1つだったんだろうなって思ってる」
「……神様が人魚を産んだってこと?」
「人魚、なのかもしれないけど。俺はシレノメリア、マーメイド症候群と言われる足がくっついた状態で産まれる病気だったんじゃないかなって考えてるよ」
「「………………」」
重過ぎる。遊戯室には似つかわしくないヘビーな話題が散らばさせられたと2人の気分は重くなる。多感で好奇心旺盛、クソガキと名高い年齢層の学生である彼らにとっても障碍の話などあまり話題として良くないという認識はあるのだ。そのぎりぎりのラインの間際でスキップをしているようなこの話題に嫌悪感すら抱いていた。
まさしく家族親戚のメッセージグループで突然カスな陰謀論や宗教論を大量に投下してプレゼンしてくるやべぇ奴を息を潜めてどうかこちらにタゲが飛んできませんように、早く飽きてどっか行けよ関わってくんなこっちくんな、とお祈りタイムをする時のような雰囲気にも似た精神的苦痛である。
明らかにもうこの話題辞めて欲しいという視線を向ける2人に気付いた上で、それに気付いていないように微笑んで話し続ける浜木綿。最早彼は止まる気はなかった。
こいつらを教養で殺してやる。その意思で口を動かしていた。
「ちなみに水蛭子は至る所で流れ着いたという伝承がある。蛭子は『
「恵比寿様! 福の神様!」
「そういえば恵比寿って船に乗ってたよな。そういう繋がりなんだ」
けれども彼も鬼ではない。空気を多少読んで話を少し修正する。話題が逸れたと喜び2人はほっと一息つく。それが罠とも知らずに。
「でも何で突然福の神に?」
「可哀想だから、とか?」
当然の疑問を口にする彼らに、浜木綿はコツコツと本の表紙を指で突きながら応える。
「
ほら、かの激ヤバ怨霊菅原道真が学業の神様として祀られてるやつとか。と朗らかに笑う浜木綿に2人は納得した。そういうものだ、と納得出来る程度の文化の共通理解はこの国で生きている2人に備わっていたのだ。
色々と不穏な言葉選びはあったけど、人魚は神様なんだな、と安心してしまった。
2人がお互いに視線を合わせて良かったね、とニコニコした時に浜木綿がどんな顔をしていたかなんて大事な事を見逃してしまうくらいには。
「鯨を含めた海の巨大な魚の事も『えびす』って呼ぶんだよ」
「ジュゴンもその括りになるって事? だから人魚伝承にジュゴン説あんの?」
「まぁそうなんじゃない?」
「クジラかぁ……給食で出てきたのくらいで生きてるクジラは見たことないなぁ」
「鯨って大きいから沢山食べられていいよねぇ。油も髭も骨も捨てるとこなく使い倒せるし」
「……今日のご飯はからあげがいいなぁ」
ずっと食事としての鯨の事しか考えていない通と違い、翔太はそれなりに人魚伝承に興味があったのかいろいろと考えを巡らせているようだった。
「ところで貧しい漁村って、魚の漁獲量が減れば即座に死に直結すると思うんだけどどう思う?」
「? まぁ、そりゃそうだよな、って思うけど」
我が意を得たり。そんな笑顔で浜木綿は小首を傾げる。
「なら、魚と人の混ざったような、海からの恵比寿は信仰の対象に、なるよね?」
「……まぁ、そう、だな」
「恵比寿様だからね……?」
浜木綿はするりと本の表紙を撫ぜた。とても愛らしいものを見るかのような瞳で表紙の人魚をくるりくるりと触る。まるで表紙の人魚が生きていて、それを手で愛でているかのような、そんな仕草で。
「じゃあ。生命線とも言える漁獲量が減ってしまった漁村の人間が、小さく生命力に溢れた生まれたばかりの『恵比寿』を見たら、どうすると思う?」
どうするか?決まっている。さっきから嫌と言うほど浜木綿は信仰だ神だ福の神だと繰り返してきた。問いかけられた2人は顔を見合わせて答える。
「崇め奉るんじゃね?」
「神様にするんじゃない?」
にこにこと、お上品な笑顔のまま、浜木綿は本の表紙から手を離して肩を組みっぱなしだった通に凭れ掛かる。とても、本当に心底楽しそうで、何か決定的に違うものを見ている目。真横にいるからそれを見られなかったがために通は致命的なまでに危機察知が遅れた。
もし見えていたらこの世のものとは思えないほど泣き喚いて全力で話を聞かないように抵抗しただろうから。
「なぁ」
「……なんだよ」
対面しているからこそ反応全てが見えてしまっている翔太は身を固くする。それが声にも出たのか、いつもの軽快な軽い声は鳴りを潜めていた。
「俺が。俺が最初になんて言ってこの話を始めたか、覚えてる?」
「『八尾比丘尼伝承』だろ? 日本の人魚伝説。それがど、……」
こいつは。なんと言っていたか?その伝承は、なんだったか?その詳細は?
それがぐるりと頭を巡り、同時に背中がぞわりと粟立つ。
それはいまにも舌舐めずりを始めそうなほどの笑顔でにんまりと笑い、こちらを見ていた。笑顔というどこをどう見てどう聞いても喜びの感情なのに、ひどく嫌な顔だった。
「識字率の低い漁村、海からの贈り物である恵比寿、ジュゴンを大きくしたような鯨を食べる人間の国、そこに産まれ落ちた生命力溢れる産まれたばかりの『恵比寿』」
かちかちかち、と翔太は頭の中で与えられた情報のピースがはめ込まれていく音を聞いた。あぁさっきからすべて。少しずつ雑談の体で、連想ゲームのように変遷していく話の話題が。その全てが、今この結論を自分たちにまざまざと叩きつけたいが為に浜木綿によって形作られたパズルだったのだと気づく。
表情がどんどんと強張り青くなっていく翔太に、通はこれは気付いちゃいけないやつだと察して思考を辞める。
だがどうだろう。彼は最初から逃げ場など奪われているのだ。もぞりと体を起こした浜木綿は通の肩に顎を載せてパズルのピースを直接頭に吹き込んでやる。心からの優しさと悪意を持って。
「八尾比丘尼が本当に食べたのは、なんだと思う?」
人間とは、どんなに頑張っても思考することを辞められない。考えてはいけないと思えば思うほど思考回路は優秀に働くものである。
そんな簡単な問いかけが、頭に吹き込まれ。常からお化けによって想像力を限界まで鍛え上げられている通の賢い頭は結論を導き出し、そして。
絶叫。
「俺のたてた仮説としては、古事記の頃からある水蛭子は足萎えの不具の子で、福の神として常に座ったままで描かれることの多い恵比寿もシレノメリア症を患っていたんじゃないかって事。それはそれとして、恵比寿信仰の内容に詳しくなかったとしても海から来たものを崇める心は漁村民ならみんな持ってるでしょ。それで漁獲量が減って貧困にあえいでいる漁村にシレノメリアが産まれてしまったなら」
浜木綿は2人の様子を伺い、その様から精神的にぶん殴る事は無事完遂できていそうだな、と謎に達成感を覚えていた。
「あぁ言っていて今思いついたんだけれど。貧困であるならば栄養状態もそこまで良くないだろうから、先天性の疾患を持った子供が産まれてしまう確率も上がっていそうだね。それで、魚の足と見紛うシレノメリアを海からの贈り物と考える者も出てこないとは言い切れない……そしてその『恵比寿』を飢えなのか食って神に成りたかったのか、なんなのかはわからないけれど食って。罪の意識か武勇伝か賛同を得るためかオブラートに包んで伝承にしたのが八尾比丘尼伝承の大元で婉曲な罪の告白なんじゃないの? というのが俺の考えであり人魚伝承に対する答えだよ」
はー楽しかった。とでも言いたげなやり切った顔を浮かべて浜木綿はるんるんしている。対して浜木綿を揶揄った代償としてエグ過ぎる考察を懇切丁寧に頭に叩き込まれた2人の阿鼻叫喚具合は酷いものだった。
ぐじゅぐじゅと鼻も目もぐちゃぐちゃに液体を流しながら泣き喘ぐ通と、どこか部屋の遠い一点を見つめたままの翔太。可哀想に、2人とも帰ってこられなさそうな遠いところに心が行ってしまったようだった。
そんな地獄絵図の広がる遊戯室の扉がぎぃと開けられる。すぐに半身を入れ込んで部屋の中を確認した星見 珠李はぎょっとする。常ならば強面な真顔である星見がわたわたと少し慌てた顔で部屋の中に入り、泣き喚く通にはハンカチを与え翔太には大丈夫か……?と声をかける。目に残る赤い髪の彼はこの中で平然と楽し気にしている浜木綿が元凶なのか?と疑いの目を向ける。正直100人が100人こいつ元凶じゃね?と思うような状況なので然もありなん。
「なに? しゅりちゃん」
「……この2人はどうしたんだ」
「人魚について話してただけだよ」
人魚というワードに2人は大袈裟にビクつく。当然である。
星見は何かあったんだろうなとわかった上で詳細を聞くことを放棄した。聞けば何となくこの2人の状況の悪化と己もこうなる恐れがあると察したからだ。
浜木綿の悪名高いクソガキエピソードはたくさん出回っている。頭の回転の速さもさることながら知識量もあり天上天下唯我独尊大魔王という終わった性格についても当然共有されている。
触らぬ神に祟りなし。何か言いたげな顔はしつつも星見は2人を助け起こす。一応念のために確認したが2人が暴力を受けたような痕跡はない。ならもう言えることなどないのだ。
「……もうすぐ夕飯だ。寮の門扉の締め切り時間も近い。泊まる申請はしているのか?」
「あ、もうそんな時間? ほんとだ。残念だけど今日はそんな申請してないから俺家に帰んね」
「あぁ、気を付けて帰れよ」
「うん。また明日ねー」
あっさりと浜木綿は手を振って帰っていく。何か一仕事終わって満足して帰っていくかのようだった。
なんとなくそれに違和感を覚えつつも星見は自分のお願いされた事を果たすために動く。
「……ほら、2人とも。夕飯の時間だ。食べに行こう」
「………………」
「…………ごはん……」
2人の手を小さな子供にするように取ってやって食堂へと誘導する。そうしてぱたんと閉じられた遊戯室には『人魚姫』の本が取り残されていた。
「そういえば言ってなかったな」
「……なに…?」
「……ぐすっ」
「今日の夕飯は寮母さんが親御さん方におすそ分けで貰った魚の刺身と唐揚げだ。お前たち好きだったよな」
「あああああああああああああああああああああ!!」
「いぃぃ!!ぅっうぇぇぇん!!!あー!!!」
「えっ、ま、ど?どうした……?どうしたんだ……?!」
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