愉快な仲間とわくわくホラー体験記

Jzbet

廊下


 がやがやと賑やかな音がする。

 当然だ。今日の授業は全て終わって、もうみんなが待ち望んでいた放課後なのだから。しかも金曜日で土日が始まる。何と月曜も祝日で三連休。一分一秒でも早く休みに入りたいその気持ちはとてもわかる。寮暮らしである俺もこの三連休は家に帰ってのんびり過ごすつもりだ。まぁ寮とは言ってもそこまで立派なものではなく、自宅が遠い生徒に格安で寝泊まり出来る場所の提供をしている程度だから普通にしていれば規則も厳しくはない。その辺り緩いところでよかったなぁと思っている。

 窓の外を見れば、足の速い事でもう校門を飛び出している人影すら見える。

 凄いなぁと眺めていれば「おい」と聞き慣れた声が投げつけられた。

 声の方向へと振り向けば、少し不機嫌そうな顔をした浜木綿が居た。昔からこいつは表情に機嫌がすぐ出るから、今はだいぶ不機嫌であると察せられる。

「ちょっとぼーっとしてた。なに?」

「それ」

 ピッと人差し指で俺の机の上を指す。

 机の上にはプリントが載っていた。

「俺、日直。あと提出してくれてないのとーるだけなんだけど?」

「ごめんって。すぐ書くから」

「早くして」

「はいはい」

 早くして、と言う割には既に帰ったクラスメイトの席の椅子を引いてそこに座り始める辺り優しさが少しだけ垣間見える。

 もっとわかりやすく優しくしたり、ぶっきらぼうな言い方を直したりすれば浜木綿は友達増えると思うんだけどなぁと意味のない事を考える。

 そもそも天上天下唯我独尊を素で行くクソ問題児と名高いこの男が優しいなどあり得ない。昔からどこかネジが外れているのだ、こいつは。

 ……まぁそのおかげで俺は助かった事が沢山あるから強く言えないんだけど。

 俺の昔から持っている特性を一切合切気にもせず一緒にいてくれるのは浜木綿くらいだから、ありがたい存在だ。いつもこれのせいでみんな離れて行くというのに。

「……プリントに集中したら?」

「はいはい」

 浜木綿は目敏くこちらが他所事を考えていると察して注意してくる。

 簡単なアンケートだったから、それはすぐに書き終わった。書き終わった瞬間に紙を奪い取られて、他のクラスメイトの書いたであろう紙束に重ねて置かれる。

「んじゃ提出してくる」

「うん…あ、今日は家に帰るんだけどはまゆーも来る?」

「あー、行く。久々におばさんに会いたいし」

「おっけー伝えとく」

 んー、と言ってプリントの束を持ち教室を出て行く浜木綿を見送り、俺も荷物を片付ける。母さんに『はまゆー連れて帰る』とメッセージを送れば、『え⁉️⁉️はまゆーくんくるの❣️❣️美味しいご飯作って待ってるね😘』という返信とハートを持ってキラキラを散りばめたウサギのスタンプが返ってきた。

 最近、というかだいぶ前から家での地位を浜木綿に奪われつつある気がしてならない。有常家の息子は俺だぞ???と思わなくもないが、このテンションで母親にずっと来られても嫌なので黙ることになるのがちょっとだけ悔しい。

 さっさとスマホをしまって荷物を背負い、教室を出る。昇降口に向かってゆっくりと歩いて行く。アンケートを書いているうちにみんな帰ってしまったのか人は疎らで、いつもは人の溢れる校舎もどこか侘しく感じる。

 窓から入ってくる茜色に照らされた廊下は眩しいくらいで、眼鏡のフレームにまで反射する。歩く途中、丁度遮蔽物が無くなった場所だったのか直接目を焼くような夕陽につい目を眇めて手で視界を遮った。

 そのままそこを通り過ぎて、階段へ向かおうとして。



 廊下の突き当たりになにか、女性のようなモノがいるのが見えてしまった。



 ざわりと首の後ろの毛が逆立つ。

 何でもないような動作を心掛けて視線を階段へと固定して、絶対にそちらに視線を向けないようにした。

 対応の早さがそのまま受ける被害の深刻度に直結すると言っても過言では無い。これは経験則である。

 俺は昔からこうやっておばけに日常を脅かされている。どうにもチャンネルが合いやすいのか好かれやすいのか、エンカウント率が高い。

 こういう時は焦らず慌てず落ち着いてまず存在を認識していない、気付いていないフリをするべきなんだ。

 絶対に見てはいけない。そう思うが目を離すのも怖い。だから周辺視野についその存在を留めてしまうのが俺の悪い癖だと思う。

 既に合わなくなり始めた歯の根をぎりぎりと力を入れて噛み合わせる事で黙らせて足を踏み出す。

 一歩。一歩。一歩。

 そこで俺の心は死んだ。

 向こうも同じようにこちらに近付いて来ている。一歩進めばあちらも一歩。試しに退がる事は出来なかった。階段からわざわざ遠ざかるなんて出口から遠ざかる事と同義だから。

 近付いてしまったから見えてしまった。どうにも違和感があったがそれがわかってしまう。

 印象的な赤いハイヒールの踵がこちらを向いている。けれど膝はこちらを向いている。凡そ一般的に想像する人間的な関節とは違うものに生理的な嫌悪感を覚えてしまう。

 亀の如き歩みでずりずりと自ら処刑台に上がる死刑囚のように覚束無い足取りで無理やり進めば、かつ、こつ、と向こうも進む。

 どうやらアレは顔はこちらを向いているらしい。黒髪に加えて肌色がこちらを向いているのがわかる。白い何かも見えるので、歯を剥いているのだろうか。よく響くヒールの靴音に加えてべちぺちと音が聞こえる。ちゃんと見ずともアレが手を打ち鳴らしているような動作を行っているとわかった。長めの髪がそれに合わせて揺れている。

 打ち鳴らしているのは掌ではなく、手の甲同士だと言う事もわかってしまった自分の認識能力が憎い。動きは緩慢などではなく割と早いテンポだった。BPM90くらい。

 そんなくだらない事でも考えていなければ本当にもうどうにもならない。

 打ち鳴らす腕はどう見ても肘の可動域を越えており、認めたくなかったが明らかに人ならざるモノだった。

 それを認めた時点で俺の足は完全に止まった。進めるわけがない。

 察してしまったのだ。

 なにを?

 このまま進めば階段付近でアレとごっつんこするってワケ。

 足を一歩踏み出した格好で完璧に静止する羽目になり、俺は必死に脳みそを回転させる。

 考える事は勿論アレの被害を受けず五体満足でやり過ごす事。

 どうしようどうしようどうしたらいい?と恐怖で塗り固められ侵された思考を回す。考えようにも鈍く響く規則的な打ち鳴らす音に焦りが滲み続ける。

 行動を起こした結果何が起こるのか。俺の豊かな想像力がどんどん鮮明にそれを脳裏に出力して更に追い詰められる。

 声は出さないように口をしっかりと真一文字に閉じているから、当然息が荒れて苦しくなる。

 視界が滲み、身体の震えが大きくなって、頭がくらくらとして来た。


「ッぁ!」

 どれくらいそうしていたか、かくりと膝の力が抜けて廊下へと倒れてしまった。

 ぶつけた場所が鈍い痛みを発するが、それよりも。

 動いてしまった、という絶望で頭の中が埋め尽くされる。

 自分の唾を飲み込む音がやけに大きく感じて、呼吸音すらも恐ろしかった。

 べちべちべち。

 その音が頭上から聞こえる。

 頽れて廊下のタイルしか視界に入っていないが、明らかに近くに赤い踵が見えた。艶々と傷一つ無く、汚れすらも着いていない。ヒールの地面との接地面にも擦れて削れたような痕跡もなく本当に綺麗だった。


 そして。

 そしてゆっくり、陽が翳っていく。

 何かが覆うように。

 陽を遮るように。

 べちべちと上から降ってくる音も、伏せたような格好の俺へと落ちてくる。

 上げられない視界に黒い糸が侵入してくる。長い髪の毛が垂れているのだろう。


 自然とぼろぼろと涙が溢れ、床に埋まる勢いで距離を離そうと身体を縮こまらせる。

 身体が震えすぎて身を屈め始めているこいつに当たったらどうしよう、何をされるんだろう、と怯え続けていた。



「もっと自己主張してくんない?わかんないだろ」

 唐突にそんな声が聞こえて来て、がらららと窓を開ける音が廊下に響く。え、と思わず声が漏れてそちらに顔を向けると同時に翳っていた陽がまた照らされ、音も遠かった。


 そこには呆れ切った顔の浜木綿が立っていた。安堵と同時にとんでも無いものも目に入る。

 浜木綿は右手でガッツリあの人ならざるモノの髪をギリギリと引っ掴み、左手で腰回りの布を絞って逃げられないよう固定していた。

「あのさぁ、これ何回目?」

「わ、わかんない……」

 めんどくさそうな顔を隠しもせず、浜木綿は更にぐいとソレを引っ張る。

 ソレは抗議なのか叫び声のような怒鳴り声のような、咆哮にも近い声をあげた。

 途端に冷たい視線を手元に向けた彼はそのままぐいぐいと引っ張り窓辺へ連れて行った。

「生意気なんだよなお前。人間怯えさせるの楽しいでちゅ!って? それとも危害加えるつもりだった? 驕り高ぶり過ぎだろ。じゃあそんなお前のために来世を用意してやるよ。はいよく見て、ここ3階。こっから落ちれば来世に期待出来るよ。やったじゃんこれで来世は対等だね。はいはいはいはいダイブダイブダイブ!」

 何だかおばけの怯えたような本気で嫌がっているような気配すら感じ始めた。わかるよ。俺もさっきまでお前に怯えてたけど今は浜木綿の方が怖いもん。

 最早こうなったら余計な事を考える余裕まである。浜木綿の対おばけパワハラコール久しぶりに聞いたな、とかこのおばけに未来はあるのかな、とか。

俺がよくおばけの被害に遭うと、大抵は浜木綿が助けてくれるのだ。とても情けないと自分でも思うが、別に今更だし、と浜木綿はいつも言う。いつかこの恩を返せたら、と思うがこのように恩の借金ポイントが増えていくばかりである。

 浜木綿は何の躊躇いもなくそのままそのおばけを持ち上げて上体を窓枠から押し出していく。

「ほら。ほら早く。自分だけ安全圏で相手を追い詰めて良いとかそんなの問屋が卸しても俺が許さねぇから。はいはいはい、いってらっしゃーい! ダーイ!」

 パッと手を離してガッとおまけに蹴りまで叩き込んで浜木綿はおばけを落とした。ぎりぎりで窓のヘリを掴んだソレに対して無慈悲にも窓を勢いよく閉めてしまう。数度ガツガツと止まったが、窓は無事閉められ鍵まで掛けられる。

「はぁ……ほんと好かれ過ぎじゃんお前。せめてもっと加減して好かれてよ」

「ごめん……」

 溜め息をひとつついて振り返った彼は愚痴と共にこちらの肩を掴み、起きるのを手伝ってくれた。

「少しは自分で対応出来るようになれよ」

「…………おばけ、こわい……」

 ぐすぐすと我ながら情けなく泣いていれば手を引かれる。昔からそうだ。こうやっておばけに酷い目に遭わさせられれば浜木綿に助けてもらう。助け方は正直パワハラモラハラ暴力讃美であまりにもあまりだけど、絶対に見捨てないでくれる。

 それが嬉しくて、たまに申し訳ない。

「ほんと怖がりだよね、とーるは。俺が目離したら死にそう」

「離さないで……?」

「甘えんな」

 そうやって今日も、彼に普通の日常に戻してもらえるのだ。












「ところでさっき落とした奴さ、昇降口付近なんだけどまだ落ちてっかな」

「むり……おうちかえれない…………」


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