山田編・3

 ビニールの中へ入ると馴染みのある臭いが鼻をつく。タバコの煙の臭いだ。テントの天井に吊るされた心許ない明るさの電灯の周りには僅かに煙が浮遊しているのが見えた。煙の散り具合から数分前までは喫煙をしていただろうことがわかる。

 出入り口の開く音を聞いたのか、ビニールの間仕切りのひとつから男がひとり顔を覗かせる。無精髭を生やして、頭髪は少し脂っこい。入浴スペースがあるとの案内はあったが一日にシャワーを浴びれる人数は少ないのか、湯を浴びるタイミングが数日ないというのはザラにあるのかもしれない。こちらより一回りほど年上に見える男は片手を上げて言う。

「新入りか……すまんが、真ん中の部屋しか空いてない……部屋とも言えんが」

「……初めまして。眠る場所があれば、とりあえずは十分ですよ、お気遣いありがとうございます」

「気遣い、ね……お前、名前は」

「ヤマダです。名前はタク。あなたは?」

「東洋人か……俺はジェイ。早速だがタク、お前喫煙者だな?」

 ジェイと名乗った男はニヤリと笑顔を浮かべながら『部屋』から出てくる。男の推理に内心感心しながら、こちらもにこりと笑顔を返す。

「……どうしてそう思うんです?」

「このテントに入ってきて眉をぴくりとも動かさねえヤツなんざ、タバコやってるヤツか薬がキマッてるヤツくらいだぜ」

「なるほど……このテント内がお世辞にも良い匂いとは言えない自覚が住人にはあった、ということですね」

「回りくどい嫌な言い方をするなあ、お前」

 挨拶代わりの握手を交わしながら、ジェイの土埃にまみれた身体を観察する。難民キャンプとはいえ、それぞれ何がしかの商売や仕事をしているらしいというのはこの区画に案内されるまでにわかっていたことだった。それらの仕事の対価は金で支払われるものではない。大体が食料や衣料で支払われ、そして出回ることの少ない嗜好品はそれらよりも価値が高く設定されていることはどの世界でも同じだった。ジェイの体は見たところ、重度の肉体労働をしているような感じでもない。だが、タバコの臭いは確実にその男から漂っている。

「あなた、どんな仕事をしているんですか。タバコなんて、あまり手に入らないのでは?」

「ずけずけと失礼だな。まあ、わかりやすくて良いが。医者だよ、医者。全部焼けちまって免許を出せないから、ヤブみたいなもんだがな」

「ほう。医者の不養生とは言ったものですね。診察される方はきっとあなたの体調も心配するでしょうね」

「ほんっとに失礼だな。ついでに教えといてやるよ、診察一回でタバコ五本だ」

「おや、意外と良心的ですね。しかし医者であれば支援団体からも派遣されているはずでは?」

「このキャンプに隣接している場所にも避難所があるんだよ。こういう表に出て来れないヤツらの往診をしに行ってるってわけだ」

「……そんなことを僕に話して大丈夫なんですか?」

「いきなり冷静になるなよ……」

 ジェイは思いの外弾んだ会話のリレーが途中で行き詰まったことに不満げな表情を作る。だが、こちらの心配も当然のものではある。生体認証と自己申告の名前だけで衣食住を確保してもらえる場所にすら出て来れない人間を相手に商売をしているのだ。ジェイの商売相手が『一般的な』人間でないことは確かだ。

 ジェイは不満げな顔のまま懐からタバコを取り出すと唇に挟み、火をつけようとライターを探していた。僕がサッとポケットからライターを差し出せば、また嬉しそうにニヤリと笑い、火をつけるように顎で促す。

「俺が外の連中を相手にしてるのは公然の秘密なんだよ。そもそも、団体からの支援物資だけではこのキャンプは成り立たない、間に合わない。だから団体側も知ってて黙っている」

 煙を吐き出しながら、キャンプの外れの方向を火種で指し示す。その方向に難民キャンプ外の人間が暮らしているということだろう。

「へえ……あなたの世話にならないとは思いますが、覚えておきますよ」

「いやあ、早速世話させてくれよ。これが最後の一本なんだわ。お前、タバコ持ってんだろ?」

「難民キャンプ内は喫煙禁止ってさっき説明を受けましたよ……力づくで僕のタバコを奪うつもりならその限りでもないでしょうけど」

「――その言い方……お前、嫌なヤツだなあ……」

 外の人間を相手にしているからこそ、ジェイは気づいてしまったのかもしれない。こちらにはナイフや銃などの制圧術がある、ということを臭わせるだけで一瞬にして身を引いた。

 僕は、察しの良い人間は好きだ。

「……ふふ、お近づきの印に三本、差し上げますよ」

 ジェイは目的の物を入手したというのに、渋い表情を浮かべていた。

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