山田編・1

 2XXX年XX月XX日XX時XX分。

 これも記録に残ることのない任務なのだろう。任務が遂行されればすべての痕跡は後続の支援部隊によって抹消されていく。誰かの視界に自身が映し出されること、誰かの記憶に自身が存在すること、そのすべてはあったのになかったことになる。この生き方に疑問など抱いたことはなかった。己の記憶が存在する時点からこのような生活を強いられてきた。そしてなぜか納得していた。「僕はこのために生まれたのだ」と。

 

 バララララと途切れることのないプロペラの音と耳殻に内蔵されたスピーカーから聞こえてくるノイズ。ヘリコプターは戦闘区域から随分離れた上空に待機していた。機内に投影されている立体的なホログラム地図と座標を照らし合わせ、首元に装着したマイクをオンにする。

「地点Aに到着。今から作戦を開始、及び地点Aへ降下する」

 ノイズばかり発していたスピーカーから上官の声が聞こえてくる。

『ミーティングの通りだ。目標物を発見次第、回収。その後は難民たちに紛れて撤収せよ』

「了解、オーバー」

 ナイフと最低限の銃火器を上着の内に隠し持ち、首元のマイクもシャツに隠れている。見た目だけで言えばどこにでも居るビジネスマンのような風貌だ。

 ホログラム地図を消去し、パイロットのいないコックピットから見える景色を確認する。遠くの方に戦闘による火事で立ち上る煙や、爆弾の炸裂した瞬間の発光を視認できた。

 ヘリコプターの乗降口から垂らした縄に体を固定し、一気に降下する。

 着地したのはまだ戦火の迫っていない市外で、自然が豊かな地点。だがもうすぐここも火の海に飲まれるだろうことは予想されていた。

 自動操縦のヘリコプターが来た航路をそのまま去っていくのを見送りながら、目標物と任務内容を脳の中で反芻する。


「カメオの回収?」

「わかっているとは思うが、これはただの美術品の回収ではない。価値のある――あるいは『我々』にとっては価値のないアーティファクトだ」

「……無論です」

 なんでもないビルの、なんでもない会議室。目の前に居る上官もどこにでもいそうな会社員風の容姿をした女だ。自分にわかることといえばこの人間が自身の上司であり、今回の任務は完全単独任務であるということくらいだった。

「難民キャンプにいる者のいずれかの人物が『それ』を所持している。探し出し、回収せよ。失敗は許されない」

「お言葉ですが……私が失敗するとでも?」

「万が一の話だ。失敗すればお前は抹消され、後任がその任務に配置される――抹消する前にお前自身が死んでいる可能性もあるが」

「『ただの物探し』にそんな危険が? 内戦が勃発しているとはいえ、運び屋からブツを引き取るだけの話でしょう。今までもそういう任務は経験しています」

「……お前は口が減らないヤツだな」

 どこにでもいる、印象にも残らないような容姿をしている女は呆れたように溜め息を漏らしていた。どこにでもいそうな女だからこそ、高圧的な話法とのギャップが凄まじい。

「組織としても今までの実績を買ってやっているんだよ。それ故の単独任務だ。この意味がわかるか」

「……あまり。面倒事を私に押し付けているのかと」

「いいか、『ただの物探し』がお前に回ってくるんだ。お前自身も実績があることを自負しているし、こちらも評価している」

「まあ……『ただの物探し』ではないことはわかりますね。『宝探し』と言った方が正しいでしょうか」

「その通りだ。その『宝』こそがお前の失敗要因になり得る」

「……生身で核廃棄物でも回収させる気ですか?」

「『我々』にとっては価値がないという意味でも、似たようなものだな」

「冗談でしょう」

「こんな場で冗談は言わん」

 僕の「冗談でしょう」という発言は相槌のようなものだったが、上官は呆れた表情を無表情に変えて取りつく島もないような態度に変化した。これ以上無駄な会話をする気はないらしい。

「……失礼いたしました。しかし、カメオ――胎児をモチーフにした物だということ以外に情報がありませんが。こんなに情報が少なければそれこそ任務の失敗に繋がるかと」

「いや……お前は見つけ出せるはずだ。現地で異様なものを聞いたり見たりすれば、お前は『それ』を判断することができる」

「せめて運び屋の情報を」

「お前は何か勘違いをしているようだから伝えておくが……」

 目の前の女はデスクの上に置かれたカップを持ち上げると、カップごと中身をくるくるとつまらなさそうに回し混ぜる。

「……運び屋は使っていない。ただの民間人が『それ』を持っている」


 拠点での会話を思い出し、そして未だ上官の言葉を疑っている。任務に疑念を抱くなど本来あってはならないことだろうと感じているが、今までにこんな不思議な指令を出されたことはなかった。彼女の指示を要約すると、現地で情報を調達して誰とも知れぬ民間人から胎児モチーフの赤いカメオを回収してこい、ということだが。

「流石に民間人から強奪するのは初めてなんだよなあ……」

 内心が痛むというのは嘘になる。詐欺まがいのことであれば何度も行ってきた。だが、目的地は難民キャンプだ。国を捨てたり、国を追いやられた人間が着の身着のまま辿り着いた土地で、物を奪うことになるかもしれない。しかもカメオであれば家庭によっては家宝扱いされている可能性もあるだろう。そこらをふらついている兵士まがいの人間よりも格闘術に長けている自信はあったが、己の行動ひとつで難民キャンプで暴動が巻き起こる可能性もある。となれば、自身の命が保障されるかどうかと言われると微妙なラインだと思った。

 ――やはり面倒事を押し付けられただけなのでは?

 上司への疑念は晴れないまま、いつの間にか己の身は難民キャンプに紛れ込んでいた。

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