邑神編・3
「この『カメオ』は私が作った作品です、画廊に作品として保管してほしい。保管料及び手付金としてそちらをお支払いします」
彼女はこちらの視線を受け止めて力無く、しかしまっすぐ見つめ返してくる。ここまで力のない視線であるのに目を逸らさない。まるで何かに操られているのかと思うほど、遠慮や怯みがない。
「――そう言うように、言われたのか」
「はい」
「それも認めてしまうのか……」
いっそ清々しいまでに怪しい案件だ。女の言う通りに保管や展示をすることとなれば、面倒に巻き込まれること間違いなしだった。
「……面倒事は御免被りたい。ご足労いただいたところ申し訳ないが――」
「あ、もうひとつ渡すものが」
目の前の『鈴木』と名乗る女は、これまた現代では珍しい手のひらよりも少し小さめの紙製のカード――名刺をずいっとこちらに差し出してきた。表面のつるりとした紙は古くはビジネスの現場でちょっとした身分証明と連絡先の交換に用いられたものだ。
「あなたに断られるかもしれないから、持っていきなさいと……」
「――これを見せろと。それも指図されたのか」
「はい」
極めて平静な女の瞳が、淡々と返事をする。
そして自分は、名刺の名前を確認したためにその案件を一旦は引き受けようという気になった。
奇妙な背景を抱えていそうな代物を受け取った二日後。ボードゲームカフェバー『ユートピア』の近くで用事を済ませるとちょうど昼食時になっていた。昼ごはんをユートピアで食べるついでに、『鈴木』の来店のために参加できていなかった定例ミーティングの内容を確認しようと思った。大きな議事はないという連絡は受けていたが、たまには人の淹れる紅茶を飲もうという気持ちになったのだ。
だが、ユートピアの扉のガラス越しに「CLOSE」と書かれた札がかかっているのが見えた。しかし店内の電灯は点いている。営業日時を間違えたかと思い、デバイスで日付を確認するが、自分の勘違いなどではなくユートピアは通常であれば営業日だった。有人の臨時休業だ。不可解ではあるがともかく営業はしていないのだろう。
昼食を摂ることはできないかもしれないが、ここまで来たのだ。顔を出しておいても減るものでもないと思い、ユートピアの扉を開く。画廊とはまた違った高さの金属音が鳴り響き、己の入店を知らしめる。
「――どうしたん、カミサマ?」
「――おや、有奇くん。どうしたんだい?」
店の奥にあるテーブル席から自分の姿を見て驚く男の声がふたつ同時に上がった。OLCの社長とメンバーのひとり、千葉恵吾と東雲祥貴は麗しい相貌を同時にこちらへ向ける。
このふたりが居ながら、どうして臨時休業になっているのか。ますます不可解だった。どちらかひとりが居れば平気で営業をしようとするようなブラックな体制に、本来ならば疑問を抱くべきなのだろうが、兎も角ふたりともが揃っているのは予想外だった。直前までそのふたりが顔を突き合わせて何やら話し込んでいたということが、テーブルの上で展開されているホロ資料やコーヒーカップの様子から予測できた。
そして違和感。それは長年友人をやってきたからこそ気づけるものなのか。否、今回に関しては誰が見ても抱く違和感だっただろう。
しかしまずは自分がこの場に居る理由を説明すべきだと思った。
「……近くでアーティストと打ち合わせがあってな。そのついでに昼食をいただこうと立ち寄ったんだ。あとは一昨日のミーティングの内容確認を――だが、どうやら立て込んでいるようだな。また日を改めよう」
「ああ、そういうこと……って、もうそんな時間か。簡単なものでも良いなら作るで、俺も食べるし。祥ちゃんは……?」
柔らかなニュアンスの方言が過剰なほどに柔らかで、千葉恵吾は東雲祥貴に対して気遣わしげに目配せをする。真っ白を通り越していっそ土気色をした死人のような血色の顔で、東雲祥貴はそれでも美しく完璧な困り顔を作ってみせた。
「ううーん、食べたいんだけどねえ……」
「スープ類とかもダメそう?」
「口の中へ入れた時の香りに反応してしまうからねえ……」
「……祥ちゃんのご飯はとりあえずなしにしとくか。ほなカミサマと俺の分だけ作ってくるから、一旦休憩で」
千葉恵吾はひとつだけグラスを残して、テーブルに置かれたカップ類を盆の上へ引き下げると、そのまま立ち上がってバーカウンターの奥へ姿を消した。その間に東雲祥貴が自身のデバイスを操作し、ホログラムを消す。青白い光がなくなったテーブルは思いの外、暗い。
タダ飯にありつけそうだったため、普段と様子の違う東雲祥貴の隣の椅子へ腰を下ろす。男は千葉が引き下げなかったグラスに手を伸ばすとその中に入った液体をほんの僅かに口の中へ含んだ。その所作の気怠さは、陰鬱としているのにほのかに色気を感じるが、それこそが男を東雲祥貴たらしめていた。注意深く男の様子を見ていたが、液体――ただの水を飲むというよりも口内を湿らせるだけに留めているようだ。
「――随分、体調が悪そうだな」
「やっぱりわかるよね……これでも点滴を打ってもらってマシになったんだ」
「そうなのか……先程の資料は? ミーティングでは特に何もなかったと聞いていたが」
「ああ、あれは個人的な仕事の引き継ぎだよ」
「……引き継ぎ? その案件はそれほどに急を要するのか」
OLCが引き受ける仕事は張り込みなどを必要とするものでもない限り、案件の担当者が変わるということはほとんどないはずだった。また、短期集中的な仕事もあるが、ほんの少し体調を持ち崩した程度で担当を変えなければならないほどの速度感のあるものも珍しい。
「急を要するというか……まあ、僕の問題だね」
「お前の? 一体どういう……」
「実は入院することになってね」
真っ白な顔だが、いつもの世間話のような軽い口調だった。くだらないことでも話し出すような口振りだったため、東雲祥貴の声帯から発せられたとんでもない言葉を理解するのに時間を要した。「ほんの少し体調を持ち崩した」という自分の見立てが間違っていることに気づき、その事実を容易に受け入れることができなかった。
「……は? 入院?」
「そうなんだよ。手術入院って言われてしまってね……その間、僕は任務を進められないから千葉くんに引き継ぐ必要があるってわけ」
「な、なんの、なんの病気なんだ、おい、随分急じゃないか。定期検診は受けていたのか。検診の時には何も言われなかったのか」
「……捲し立てるねえ。心配しすぎだよ、まったく」
「心配くらいするだろう……」
顔を真っ白にしているくせに悠長に構えている東雲祥貴の言葉は信じられなかった。もはや己の見立ても信頼できないのだから、目の前の男も信じられないのは道理だとも思う。
東雲祥貴は自身のジャケットに手を突っ込んで電子煙管を取り出すが、カートリッジを取り付け終わったところでギョッと顔を強張らせて、煙管をテーブルの上へ置き直した。
「検診は受けているし、その時の結果も問題はなかったよ――習慣とは怖いものだ。今はにおいがトリガーで吐き気を催すのに、平気で煙を吸おうとする」
「……なんの病気なんだ」
「だからそこまで心配しなくて大丈夫だよ……『腫瘍』なんだって。それを摘出するために手術をする」
「『腫瘍』……?」
腫瘍と聞けばやはり癌のことではないのか。当然そこへ思い至る。
ますます、東雲祥貴がなんでもないような顔をしている意味がわからなかった。
「お前、それは」
「君の想像するようなものじゃないよ。癌じゃないってわかって、僕だって驚いたんだから」
東雲祥貴は呆れ半分の表情で、笑顔を浮かべている。その呆れは自分に向けられたものではないことは直感できた。男は自身の状況に呆れているのだろう。そして所詮、医師でない自分には何もできないこともわかって、諦めている。そういう笑顔だ。
だが、そこまで理解してもなお、東雲祥貴が次に発した言葉はまるでスローモーションで再生されているように聞こえて、美しい形の唇の微細な動きですらはっきりと自分の脳に刻みつけられた。
「――どうやら僕の体内には『胎児』が宿っているらしい」
「あれは『種の方舟』と言う作品です」
「……興味深いタイトルだ」
自分は『鈴木』を店の玄関口まで送り出しながら彼女の語る言葉を話半分に聞いていた。女は本業か否かは別として『運び屋』の役を受けてここに居るだけだ。女が語る内容にどこまで信憑性があるのか定かではない。だが、女がカメオのタイトルまで依頼者から知らされていることや、タイトル自体に何か意味合いがありそうな部分に興味をひかれたのは本当だった。
「持ち主、あるいは周囲の人に『幸せの種』をもたらすと言い伝えられているらしいんです」
「……子宝に恵まれることを願って作られたもの、というわけか」
赤メノウの、妙に生々しい色合いはそれ自体に意味があったのかと分析する。しかし目の前の女は首を振ってこちらの目をまた力なく真っ直ぐ見上げた。
「ただ、子宝に恵まれるという話ではないんです。繁栄の始まりを象徴するもの――それがあのカメオなんです」
二日前の女の言葉にゾッと怖気が立った。人生に何度もない身の毛もよだつという体験を今しているのだ。そして目の前にいる男の言葉と、女が語った話が直接結びついてしまい、次に怒りが湧きあがった。だが、この怒りは、今まさに『繁栄を患っている』男に向けてはいけないものだった。
この怒りは真相を知る人間に直接向けるしかない。
「――山田、拓……」
滑らかな紙に印字された男の名前が思わず口から漏れ出る。
目の前で真っ白な顔をしている男はこの場で関係のないはずの山田拓の名が出てくる理由が当然わからず、訝しげに眉を寄せながら首を傾げていた。
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