邑神編・2

「お待たせいたしました。肌寒い季節なので……温かい紅茶をお淹れいたしました。お嫌いでなければどうぞ」

「邑神さん、お気遣いありがとうございます」

 ソーサーに乗せたティーカップを女の目の前に差し出すと、ほとんど無表情だった笑顔がはっきりとわかるほどの笑みへ変化し、目の端に少しだけ色気が浮かんだ。素顔はおそらく取り立てて美しいというわけではないが、化粧の施された顔面だけを見れば己を美しく見せようとする努力はしっかりと感じられる腕前だと思った。だからこそ服装の貧相さのギャップが目立つ。顔面は取り繕えても服装を相応に合わせる金銭的余裕がないか、気にしていないのか。

 受信箱に入っているメールはかなりしっかりとしたビジネス文面で体裁を整えられていたため、働き盛りの人間かそれなりに金銭的余裕のある人間が来るのだと思い込んでいた。実態は違った。

「……おいしい」

 淹れたての紅茶を一口飲んで女はほうっと溜め息を吐き出す。おそらく年齢は自分とそんなに離れていない。だが厚化粧のせいでわかりづらくなっていた。

 物を売りに来る人間は、それを本当に不要と感じているか、引っ越しで物を整理する必要があるなどの事情があるか、金を必要としているか。取り扱っているものは美術品とは言えど所詮「物」である。価値を感じない人間からすればゴミとして処分されることもあるところをわざわざ持ち込みに来ている。どちらにせよ「物」の価値を感じているのに手放さざるを得ないということだ。

 ――不審なところがあれば見て見ぬふりをして断ろう。警察への連絡はその後でも良さそうだ。

 自分の淹れた紅茶を美味しそうに飲んでいる人間に対して、この場で色々と問題を追及する義務も自分にはないのだ。

「……『鈴木』様、早速本題といきましょう。お伺いしていた内容は『カメオ』の売却依頼でしたね」

「はい」

 女は再び無表情に近い笑顔に戻る。彼女は横に置いていた皮の鞄の中を少しの間探っていた。その鞄も角が擦り切れて色が薄くなり、今にも穴が空きそうだった。やがて女は鞄の中から真紅のビロードで覆われた立方体のケースを取り出した。そしてもう片方の手には何やら茶封筒が握られている。

「これです」

 女はまずケースをテーブルの上に置くとこちらに押しやってきた。今時珍しい茶封筒も彼女はテーブルの天板に置く。妙な光景だと思うものの、まずは物品の確認を優先するべきだろうと思い、滑らかなビロードの箱を引き寄せた。

 色は多少派手かもしれないがごくごく一般的な宝飾品ケースだ。ケースをゆっくりと開くと中には確かに、『カメオ』が存在した。

 カメオは多くの場合、女性の横顔や天使がモチーフになっている。大振りの大作にもなれば何人もの肖像が浮き彫りされている場合もあるがそういうものは少ない。そういった理由で、そんなに大きくもないケースの中に納まっているのはそういった「一般的な」モチーフのカメオだと思っていた。

「これは……」

 思わず声が漏れ出てしまった。

 赤メノウに乳白色の繊細な浮き彫り。通常メノウを使うのであれば青色が多いものの赤メノウが使用されることも珍しいわけではない。モチーフが奇妙だった。

「……赤ん坊……?」

 縦長の楕円形で赤色の宝石の中には目を瞑って体を丸めている裸の赤ん坊が居た。赤ん坊の位置は頭が下、臀部が上に来るように彫られている。

 ――正位置じゃない……何かしらの意図がある、ということは。

「これは胎児――妊娠、出産のモチーフですか」

「そうみたいです」

「みたいです?」

「私も詳しくなくて」

 女は無表情のまま再びカップに口をつけて、紅茶を一口こくりと飲む。再び嬉しそうな笑顔――おそらく本来の彼女の表情なのだろう――を見せる。

「……誰かから譲り受けたものですか?」

「……そうです」

 女が少し困ったような顔をして、頷く。雲行きが一気に、というよりも予想通り怪しくなってきた。

 例えば親族の物を無断で持ち出して勝手に売却する場合、本人に盗んだ気がなくとも窃盗には変わりない。

「こちらはご家族のものですか?」

「……違います」

 女は困り顔のまま再び答える。

 家族のものでもない――これを素直に答えてしまうのはおかしい話だ。物品が親族のものであると肯定してしまって一旦そのまま持ち帰れば、こちらも彼女を窃盗犯として扱う必要がない。だが家族のものでないと言われてしまうと非常に取り扱いに困る。

 音を立てないように静かに息を吐き出して、メガネを押し上げた。なるべく彼女を刺激しない言葉で買取を断る必要がある。

「『鈴木』様――作品自体のモチーフは少し珍しいが作りも精巧で十分な値をつけることができる。だが、ここにやってきた経緯が不明なものを店で取り扱うわけにはいかない」

 事実を淡々と述べるのが結局のところ一番相手を刺激しないはずだ。だが、売却を断られると大抵の人間は多少なりとも動揺をする。彼女はどうだろうと思い、化粧品でコテコテに塗られた目を観察していた。

 予想外に、彼女は一片の動揺も見せることはなかった。

「……そう言われるだろうと、言われていました」

「……言われていた?」

「こちらもどうぞ――『処分料』です」

 女はそう言いながら手元に置いていた茶封筒もこちらに差し出してきた。その間も表情はまったく変化することはない。いっそ不気味なくらいだった。

「『処分料』?」

「あっ、違う……えっと、『手付金』です」

「『手付金』?」

 予想外の展開に女の言葉を繰り返すことしかできず、ひとまず茶封筒を受け取り、そっと中身を確認した。

「中身は二十万円、らしいです」

「……今時紙の金とは」

 彼女の言う通り、茶封筒の中身は現代には珍しい現金がそれなりの厚みをもって入っていた。

 画廊でも電子決済ばかりのため、現金をこの店の中で目にするのは本当に久しぶりのことだった。

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