邑神編・1

 店は静寂に包まれていた。いつも通り、ステンドグラスで作られた温かな光が店内を仄暗く照らしている。ちょうど十分後に来客予定があるのみで、今日はさほど忙しい日でもなかった。

 来客者が美術品の売却を希望しているという旨は事前にメール文面で把握していた。作者存命の作品を品物として扱うことも多いが、現代アートから古美術まで幅広く取り扱っているため自宅に眠らせている作品を持ち込んでくる客も少なくない。今回対象となる古物は『カメオ』とのことだった。

 今にも降り出しそうな曇天を横目に事務室兼自宅のキッチンで湯を沸かす。当店のウェルカムドリンクは客にアレルギーがない限り紅茶だ。初対面の相手には花の香り豊かではあるがそこまで主張しすぎないようにブレンドされたアールグレイティーを淹れることに決めている。無難な選択肢だが飲んだ客の反応や好みがわかりやすいため、二回目以降の会合では何を淹れるべきか判別がつく。コーヒーだけは淹れることはないが。

 ふつふつとした気泡をゆっくり押し上げていく水。それをガラス製の湯沸器越しに眺めていた。あと数十秒で沸くかというところで金属製の呼び鈴が控えめな音で鳴る。来店予定よりも五分早いがままあることだ。店奥に設置したソファに客を招くため、開け放っていた事務室の扉から顔を出す。

「……いらっしゃいませ。お茶を淹れておりますのでこちらのソファへお掛けになってお待ちください」

 客人の背格好が己の予想から離れたものであったため、挨拶を詰まらせてしまった。

 店の入り口に立っていたのは女だった。性別はどうでもいい。脱色と染髪を何度も繰り返しているだろう頭髪は傷みをそのままに左肩に流すように下ろされている。元の肌の色がわからないレベルでしっかり化粧を施された顔面。薄いコートを羽織っていたが隙のない化粧とは対照的に裾が綻んでサイズ感も合っていない。一目でわかるほどちぐはぐだった。訳ありの客を引き入れてしまったかと少しだけ警戒する。

 古物商を肩書としている限り、この商売と切っても切り離せないのは盗品の売却先になってしまう可能性だ。そのため古物を引き受ける際は客へ身分証明書の提示を要求する。

 この店はほぼ自分の道楽で古物取引をしている部分があるため、ほとんどの相手が既存の客だったり客からの紹介だったりする。今回のような新規客で美術品の売却を希望している人間は久しぶりのことだった。道楽であるならこちらの匙加減で客の選別をすればいい話ではある。今までもそうしてきた。

 そうしてきたが、とりあえず物を見て見ようという気ではあった。女は軽く会釈をしてほとんど無表情の笑みを浮かべる。彼女がソファに掛けるのを見守ってから、ぶくぶくと己を呼び続ける湯沸器の前へ戻ってきた。

 兎も角、身分証明をできず盗品の可能性が高い場合は警察に一報を入れる。その警察も頼りになるかと言えば微妙なところではあるが、一旦通報のフローを頭に思い描きながらアールグレイティーの茶葉の上へ熱湯を注いだ。

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