真理愛編・2
そうして「医師」として過ごしているある日のことだった。
近くで再び戦闘が発生したらしい。鳴り止まない銃声と爆撃音と共に沢山の人が例のごとくキャンプ地へ雪崩れ込んできた。既に手足を失っている人間、目の見えない人間、耳の聞こえない人間、様々に死臭を漂わせながら、しかしまだ一本のか細い生命の糸が繋がった状態の人々が助けを求めていた。
――自分の手足が、心臓が、脳が動く限り、私は動き続けなくては。
私は確実に追い詰められていたように思う。しかし同時に己の心はその惨状に怯むどころか奮い立っていた。心が死にかけていたのかもしれない。それにもかかわらず、これしきのことを乗り越えず何が医師かと、自分自身を鼓舞していた。実際、周りの医師たちはその惨状を目にしてもずっと働き続けていた。私に対しても対等な医師として(比較的対処しやすい患者ばかりではあったが)次々に仕事を振り続けてくる。そんな最中。
「マリア! こちらの女性をお願い!」
医師団のひとりが砂埃に塗れた女性を支えながら怒号に似た声で私を呼ぶ。再び怪我人の処置だろうと思い駆け寄れば、女性は前屈みになったまま自身の腹部を抱えていた。その腹部は大きく膨れ上がっている。妊婦だ。
「産気づいている――申し訳ないが、ひとりで対処してほしい。もし多量の出血などがあれば……」
申し訳ないと言うがそんな様子は微塵もない。こうして会話をしている間にも患者が増え続けているからだ。そして医師が続けようとした言葉の先は「応援を呼んでくれ」などという生温いものではなく、また、女性本人に聞かせるわけもいかないものだった。この状況下、出産による多量の出血が発生してしまえば――おそらくこの女性は死んでしまうだろう。通常であっても死の危険と隣り合わせの出産をこの惨劇の中で行うこと自体、女性が死に片足を突っ込んでいる状況と言えなくもない。大量出血をしてしまえばどの程度の処置をできるか未知数だ。何故ならこの現場において輸血パックは常に足りていないからだ。ろくに引き継ぎなどできるわけもなく、医師は私に女性を託すと急いで別の患者の元へ駆けていく。女性は冷や汗を額から滴らせて、今にもその場へしゃがみ込みそうになっていた。
「待ってください、まだ座らないで! 屋根のあるところまでもう少しです、頑張って移動しましょう」
「は、はい……」
女性の手を引きながら、ポリ塩化ビニルのシートで急造された診察室と呼ばれている空間へ向かってゆっくりゆっくり歩を進める。なんとか気を紛らわせるため、問診しながら歩いていく。
「私はマリアと申します、お名前は?」
「ナタリー……」
「いつから出産の予兆が?」
「昨日の夜、から」
「具体的な時間はわかりますか?」
「じ、十時……わからない、たぶんそれくらい……」
今は昼の十二時だ。およそ十四時間も陣痛に耐え続けているのだ。よくキャンプまで辿り着けたものだと思った。
「頑張りましたね、ここまで来るのは大変だったでしょう。ご家族は?」
「わからない、一緒に……うっ……一緒にいたんだけど……キャンプに着いた頃にははぐれてしまって」
「そうですか……」
難民キャンプは広大だ。辿り着けても家族や知り合いとはぐれてしまう事例は少なくない。キャンプの至る所に設置された人探しの掲示板は情報が途絶えることはない。
「今は私がいます。元気な赤ちゃんを産みましょう」
悲惨な例は目撃してきたが、死に至るかもしれない患者を託されるのは初めてだった。
しかし、まだ可能性の話だ。私はこの人を死なせるわけにはいかない。母子ともに健康な状態でこの先のふたり分の人生を作り出していく。そう腹を括った。
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