東雲編・1

「東雲さん! お久しぶりです!」

 煤けてぼやけた警察署の壁とは正反対の快活な笑顔が背の高いひとりの男を歓迎する。東雲祥貴は勝手知ったる己の古巣の中を迷いなく進んでいく。

「久しぶりというほど期間も空いていないよ」

「東雲さんほどの存在感があった人がいなくなってしまえば、たった一日でも一週間でも久しぶりに思いますよ」

 笑顔を絶やさない元後輩の懐っこさに東雲は美しい相貌に嬉しいような困ったような曖昧な笑みを浮かべた。

「突然のことで申し訳ないとは思っているんだよ」

「いえ、いずれは来る日だと思っていたので……でもこうしてPMCとしてご協力いただけるわけですから、前以上に自由に働いていただけるのは良いことなのかもしれないなあ」

「ボロ雑巾のように扱うのは勘弁してくれよ」

「僕が東雲さんにそんなことできるわけないでしょ」

「どうだか」

 ふたりは談笑しながら薄暗い廊下を進み、ある扉の前で立ち止まった。東雲は白いスーツと黒いワイシャツに括られた真っ赤なネクタイを正しながら、真っ赤なアイラインを引いた視線で元後輩に合図する。男は頷きながら扉を二回ノックする。

「どうぞ」

 扉に阻まれてくぐもった男の声が中から響くと同時に、扉をノックしたその手でそのままノブを掴み、回した。

「部長、今回の協力者、東雲氏がお見えになりました」


 部屋の奥には旧式の湯沸器から急須に湯を入れている中年男性がいた。ふたりを部屋へ招き入れた声の持ち主だ。眉間に刻まれた皺に負けないくらい深い笑い皺がまなじりに浮かんでいる。いかめしい顔ながらも柔和な笑みを浮かべ、男も元後輩と同様に東雲を歓迎した。

「時間丁度だな。調子は相変わらず……といったところか、君は」

「辞職して清々していますよ。坂本部長も早くお辞めになった方が健康に良い」

「相変わらずどころか絶好調のようだな」

 まったくと言いたげに部長は肩をすくめると、客用の湯呑み三つへ淹れたての緑茶を注ぐ。

「東雲くん……本木くんも、とりあえず座りなさい。話は茶を飲みながら進めよう」


 東雲の背の丈には少し小さい会議机と使い古されてネジの少し緩んだパイプ椅子に掛ける。坂本は茶器をそれぞれに配り終えると東雲に相対する形で座り、自身の左腕に巻かれているデバイスを起動した。すると部屋のシステムが連動し、部屋の中央にホログラム画面が浮かび上がる。

 三者ともそれを見上げ、ある者は内容を読み上げながら確認し、ある者はホログラム越しに客人を見つめていた。そして内容を確認していた男は確かに浮かべていたはずの微笑みを少しずつ崩してゆき、遂には無表情で己の元同僚の瞳を見つめ返した。

「――人員が足りないのは常日頃のことなので、そこに関して特に疑問はありませんが……僕が聞いていた事件の概要と少々異なるようですね」

「君をただの死体遺棄事件で呼び出すわけもないだろう」

「それも承知で来ていましたが……少々ショッキングな内容なのでは? 本木くんも騙し討ちのようなことをして……僕は君にそんな指導をした覚えはないけど」

「東雲さんのやり口を見習っただけですよ。でもこんな内容を誰に盗まれているかもわからない公開回線でお伝えするわけにもいかないですし……それに、東雲さんは適任でしょう、この事件」

 東雲のともすれば冷たさも感じさせる青み掛かった灰色の視線を本木へ移すと、まったく悪びれる様子を見せずに、それどころか自信たっぷりに東雲に視線を返した。元後輩の肝の座り様は東雲自身が彼の長所として認めていた部分ではあるが。はあ、と溜め息を漏らしながら東雲はホログラムの内容をなぞるように視線を上下に動かす。

「……創愛と関係が?」

「いや、今のところ上層部から何も指示はない……というのは誤解があるな。ただ『死体遺棄事件』として捜査しろとの指示がされているのみだ。君が最後に関わった創愛グループ絡みの奇奇怪怪とも言える事件との関連性は未だ見出せてはいない。だが、関係がないかと問われれば……」

「創愛が絡んでいなくとも奇妙な事件であることには変わりない、そしてその奇奇怪怪を実際に目撃したことのある僕であれば何かしらの判断ができるかもしれない、ということですか」

「そうだ。上層部から『死体遺棄事件』として処理をしろと言われても件数があまりに多い」

 坂本が東雲に提示していた資料は事件の概要にすぎず、関連ありと思われる事件が十数件存在することが資料の下部に示されていた。

「本来ならばこれらはただの遺棄ではなく『死体損壊遺棄事件』と取り扱われるべきところを、だ。その上、ここにも書いてある通りだが、すべての遺体は破壊不可能の『赤い被膜』に覆われている生後間もない乳児であり、加えて死亡時期もわからない。もしかすると何十年も前の仏かもしれないし、ここ数日で生み落とされ死んだ仏かもしれない」

「その『被膜』が破壊できないのなら検死もできないわけか……」

「『被膜』が半透明のため中身が新生児であることもわかり、非破壊検査では生命活動も確認できなかった。しかし……確認できなかったというだけで、そもそも死んでるかどうかも疑わしいが、な」

 坂本はニヤリと口元だけ歪めた。何年も腹のうちに上層部への不信を抱えながら警察署で働いている人間だ。東雲は坂本の抱える皮肉屋な部分がひとつやふたつどころでは済まないことを知っていた。東雲はその有能さから坂本とは別働で事件を受け持つことが多かったため、この男の元で部下として働いていた期間が短かった。その皮肉な笑顔を真正面から見ると自分の駆け出し時代を思い出して苦く笑う。

「困ったな。お釈迦がお釈迦じゃないだなんてことになったら、とんだホラーじゃないですか」

「ホラーだとかオカルトだとか、君の方が得意だろう。喜べ」

「PMCは便利屋じゃあないんですよ、部長」

「君だって散々千葉とかいう男を便利屋扱いしていただろう。その報いだと思って身を粉にして働いてもらうぞ」

「――望むところですよ」

 東雲は一口も飲んでいなかったすっかり冷めきった緑茶を一気にあおり、湯呑みを古ぼけた机の上に音を立てて置いた。青み掛かった灰色の目の奥で紅色の鈍い閃光がギラリと輝く。

 本木が東雲を適任だと言っていたのにはもうひとつ理由があった。この男は力のない者へ向けられた悪意を特に許せない人間だった。被害者が生まれて間もない力のない赤ん坊であり、そしてそのように生み落とさざるを得なかっただろう女性たちを取り巻く悪辣な環境を許せなかった。

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