第9話 手紙
マーガレットには「花アレルギー」だと嘘を吐いたが、これは呪いのようなものだった。
花に触れようとすればくしゃみが出たり、かゆみが出たりする。
それにも構わず花を触ると、花自体が萎れて枯れることもある。
このことを知っているのは、この世界の父と兄ぐらいだった。バーナードや使用人も知らないことだ。
クロリス王国は花の女神に愛された国である。
多くの民が女神クロリスを信仰していて、花の祝福を授かっている。
だけどたまに花に対してアレルギーを持つ者が現れる。
クロリス王国ではそんな人々を、花の女神に愛されない呪われた人だと、憐れんだり蔑んだりしている。
だけどシャルルのこれは、王国でいうところの「呪い」ではない。
これは前世から引き継いだものだ。
幼い頃は自分の特性についてよくわからなかったけれど、前世の記憶が戻ってすぐに理解した。
蛇神だった前世。それも災厄を飲み込んだ化身として祀られていた。
(花を触って枯らすなんて、呪いでしかない)
直接触れさえしなければ平気なので、普段は呪いを押さえるために手袋をしている。
机の上にメイドに届けてもらったマーガレットの花が一輪さしてある。彼女が興味を示していた花だ。
ふと手を伸ばして、すぐに引っ込める。
いくら手袋越しだとはいえ、もしかしたら枯らしてしまうかもしれない。彼女と同じ名前の花を枯らしたくはない。
「……はあ、どうしたらいいんだ」
「手紙のことか?」
顔を上げると、バーナードが不思議そうな顔をして立っていた。
「手紙?」
「あれ、もしかして聞いてなかった? スプリング家から奥様宛てに届いた手紙だよ。さっきも話したと思うんだけど、それも聞いてなかったか」
「それでその手紙はどこにあるんだ?」
「さっき執事が奥様に届ける途中だって言っていたなぁ。だからてっきり知っているもんだと」
「そうか」
シャルルは立ち上がる。
「どこに行くんだ?」
「そろそろお茶の時間だからね。行ってくるよ」
「……そうか、わかった」
バーナードが何か嫌そうな顔をしているが、溜まっている仕事を片付けてから行けとでも言いたいのだろう。それかその貼り付けたような笑みと口調は何だとでも言いたいのかもしれない。
だが、彼女とのお茶会だけは何があろうと外せない。
スプリング家から来たという手紙の内容も気になった。
スプリング公爵夫妻には、マーガレットに宛てた求婚状の件で散々迷惑をかけてしまった。それにマーガレット自身、家族のことをよく思っていなさそうなのだ。
(女神が言っていたな。マーガレット自身が壁を作っているって。だけど、それはスプリング夫妻にも言えることだ)
十四歳の頃に記憶が戻った後、たびたび夢の中に女神クロリスが現れるようになった。その度に、この世界に転生してからのマーガレットの話をよく聞かせてくれた。
呪いを解く方法はいくら訊いても教えてくれなかったけれど、呪いの話をするたびに少し嫌そうな顔をしていたから、おそらくクロリスは知っているのだろう。
問い詰めたいけれど、夢の空間ではクロリスに敵わない。
(せめて、前世の神通力が使えればな。人間の体なのがもどかしい)
そんなことを考えていると、マーガレットの部屋の前に着いた。
◇◆◇
桜色の封筒にはスプリング公爵家の印章が押されていた。
これは間違いなく、実家から届けられたものだ。
(どうしましょう)
結婚してからまだ一カ月しか経っていない。それなのに手紙が贈られてくるなんて、何かがあったのかもしれない。
そんな予感があるのに、中身を読む勇気がない。
封はもう開いている。だから後は中を読むだけなのだけれど、家族からの手紙なんて初めてのことで、嫌なことが書いてあったらという不安がある。
手紙を前に悩んでいると、部屋の扉がノックされた。
「マーガレット。入ってもいいかい?」
「どうぞ」
そう答えてから時計を確認すると、もうお茶の時間だった。
入ってきたシャルルは、手紙に目を止めたが、特に問いかけることなく対面の椅子に腰かけた。
しばらくして、部屋の中にお茶やお菓子が運ばれてくる。
メイドが出て行った後、シャルルがそれを待っていたかのように口を開いた。
「その手紙。もしかして、スプリング公爵家からの手紙かい?」
「……はい」
なんでわかったのだろうかと思ったが、桜色はスプリング家の象徴だ。それを知っている者なら一目でわかるだろう。
「そんなに不安そうな顔をしないで。……もしかして嫌なことでも書かれていたのか」
「い、いえ。そういうわけではありませんが……まだ、読んでいないのです」
「そうか。……これはマナー違反かもしれないけど、もし読むのが怖かったら、先にオレが目を通してもいいだろうか?」
少し逡巡して、マーガレットは頷く。
折りたたまれた手紙を渡すと、シャルルは笑顔のままそれを読み始めた。
するとすぐに顔を険しくさせる。
(やはり、嫌なことがかかれていたのかしら)
そう怯えていると、シャルルは難しそうな顔をしてから、手紙を返してきた。
「マーガレット。これはきちんと読んだ方がいい」
いつも向けられているのとは違う、真剣な瞳。
それに押されるように、マーガレットは手紙の一行目から読み始めた。
手紙の送り主は、当主である父からのようだった。
その内容は――。
「っ!? お母様が」
「マーガレットは、どうしたい? 会いに行くかい?」
「……」
手紙には、母が病気になったことが書かれてあった。このままだと先が長くないだろうことも。だから、顔を見せにきてほしいと。
(私なんかに会って、どうするというの? 愛しているわけでもないのに)
子供の頃は確かに可愛がってくれていた。
だけどそれはもう遠い昔の出来事のようだ。十年も経っているから、当たり前かもしれないけれど。
「オレはマーガレットの意見を尊重するよ。会いに行くことを選んでも、会いに行かないことを選んでも。どちらにしても、君に幻滅することはない。だから、マーガレット。後悔しないと思う方を選んだ方がいい」
シャルルはまだ真剣な顔をしている。その瞳にあるのはあの時見せたような冷酷さではなく、本当にマーガレットのことを思ってくれているようだ。
「だけど、これだけは伝えたい。――人は、会えなくなってからでは遅いんだ」
まるで一度、大切なものを失った経験があるかのような口ぶりだった。
(そうか。彼は、目の前で家族を亡くしているから)
もう一度、手紙に目を落とす。
(後悔しない方……)
いまさら家族に会って、関係が変わるとは思えない。
だけど、もしこのまま母が亡くなってしまったら――。
しばらく迷い、意を決して口を開いた。
「わかりました。会いに行きます」
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