第8話 散歩
翌日には熱が引いて、その次の日には歩けるまでに回復していた。
ここ数日、ずっとベッドに寝たきりだったからせめて少しでも動こうと、立ち上がって水差しを取ろうとしたら、すぐにデイジーが飛んできた。
「ダメですよ。旦那様から言われているんです。奥様には絶対に寝ていてもらわないと」
「でも、もう熱は引いたわ」
「熱は治りかけが肝心なんです。動いたらぶり返すなんてこといくらでもあるんですから。さあ、ベッドに戻ってください」
口を尖らせたデイジーに言われて、マーガレットは大人しくベッドに寝転がった。
部屋の中すら満足に歩けないのは厳しいのではないかと思ったけれど、それだけ体調を崩した自分のことを心配してくれているのかもしれない。
シャルルは、一昨日は寝るまで傍にいてくれて、昨日も頻繁に部屋にやってきた。
きっと今日もやってくるだろう。その時に歩く許可を貰おう。
マーガレット専属メイド、デイジーはまだ公爵家にやってきて三カ月ほどの新人みたいだ。
そんな彼女がどうして公爵家の女主人であるマーガレットの傍仕えを任されているのかはわからないけれど、彼女の笑みは花が咲いたかのように暖かく周囲を魅了してくれる。デイジーと話すとどんなに険しい顔をしている人も笑顔になる魅力がある。
スプリング邸の使用人は、マーガレットとは距離を置いているようだった。ここまで親しく話しかけてくれた人はいないし、マーガレットもそれを望んでいなかった。
(デイジーが特別なのかしら)
他の使用人はすれ違う時にお辞儀をしてくれるものの、ここまで親しくしてくれるのは彼女ぐらいだ。
結婚した当初は、またスプリング邸と同じようにひとりで過ごすものだと思っていたから彼女の存在は予想外ではあった。しかも彼女はメイドには珍しく、雑談が多い。いまも、まるで親しい友人に対するような愚痴をこぼしている。
「もう、最近さらに忙しくなったんですよ。昨日に突然、洗濯係のメイドが二人も辞めちゃって、お手伝いに駆り出されているんです。あたしは奥様専属のメイドなのに。公爵家なのに、どうしてメイドの数が少ないんでしょう」
「大変そうね」
「ということで、そろそろ行かなくちゃいけないので失礼します。何かあったらベルで呼んでくださいよ。すぐに駆け付けますから!」
慌ただしく、替えたシーツとか持って出ていくデイジーの姿を見送っていると、入れ違うようにシャルルがやってきた。
「あのメイド、元気なのは良いことだが、元気すぎないか?」
「……そこが、あの子の良いところですから」
「マーガレットが気に入っているのならいいんだけど。……実は、デイジーはスーザンが選んだんだ」
マーガレットがウィンター邸に来るにあたり、専属メイドをどうするか悩んでいたそうだ。
それで、女性の使用人を束ねるスーザンに紹介したところデイジーを紹介してくれた。まだ新人で仕事に不慣れだけれど、彼女の愛嬌のある笑顔には人を魅了する力がある。
「だから、マーガレットのためになるんじゃないかと言われたんだ」
「私のため……?」
「うん。少しでもこの邸で嫌な思いをしてほしくなかったからね……」
シャルルが少し眉を顰める。
もしかして、夜会の時に話した、あの二人のメイドのことを言っているのだろうか。そう思ったけれど問いかけることはできなかった。
「ところで今日は顔色が良さそうで安心したよ」
「あの、シャルル」
「なんだい?」
「少し、お散歩をしたいのですが、許していただけませんか?」
「許すも何も、君の望みなら何でも叶えるつもりだよ。……でも、体調は大丈夫なのか?」
「おかげさまでもうすっかり良くなっています。だから少し外の空気を吸いたくて」
日課となっている午前中の散歩をしないと、少しもどかしい思いがするのだ。だからできれば庭に出て、花を見て落ち着きたかった。
「それなら一緒に行こうか」
服を着替えると、マーガレットはシャルルと庭園を散歩した。
「この庭園の花は好きに摘んだりしてもかまわないよ。それからもし植えてほしい花が合ったら遠慮なくいってほしい。この庭園は、君のためにあるのだから」
頷くと、シャルルは嬉しそうに笑った。その様子を見ていると少し勘違いしそうになる。彼が本当にマーガレットのことを想ってくれているのではないかと。
花を眺めていると、ふと花壇の隅に視線が止まった。
花壇の片隅に、一輪だけ咲いているマーガレットの花があった。他の花は同じ姿の花に混ざって咲いているのに、その花だけ群れの中に居場所がないのか独りぼっちのようだった。
花はどんな姿をしていても美しく、見ていて飽きない。そう思っていたのに、その一輪の様子に胸が締め付けられるような思いがする。
(あなたもひとりなのね)
その花に手で触れると、隣からひょっこりとシャルルが顔を出した。
「そのマーガレットが気に入ったのかい? もしそうなら部屋に飾るように言っておくけれど」
「……いいえ。そういうわけではありません」
「そうか? じゃあ、このマーガレットはオレの部屋にでも」
マーガレットの花に触れようとして、シャルルはその手を震わせた。
彼はいつも手袋をしているが、その手を引っ込めると小さなくしゃみをした。
「もしかして、風邪が移りましたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。ちょっとね、オレは女神との折り合いが悪いから、アレルギーみたいなものがあって」
「アレルギー?」
花粉症みたいなものだろうか。だけどこの世界で花粉症という言葉を耳にしたことはない。クロリス王国は花の女神に愛される世界だからかもしれない。
「ああ、世にも珍しい花アレルギーみたいなものだ。……まあ、この世界でいうところの呪いみたいなものかな」
後半の方はボソボソと喋っていてよく聞こえなかった。
「まあ、つまり。オレは花から嫌われている男なんだよ」
彼はそう言って笑うが、その瞳はどこか寂しそうに思えた。
「シャルルは、花が好きなんですか?」
「んー。オレは別に特に好きってわけではないけれど、この花は好きだなぁ」
またしゃがんだシャルルが、ひとりぼっちのマーガレットの花を眺める。
そういえば庭園には他の種類の花に比べて、マーガレットの花が多く咲いている。
「マーガレットが、好きなんですね」
「えっ」
なぜか目を丸くして驚いているシャルル。
「庭園にたくさん咲いていますから。シャルルは、マーガレットの花が好きなのかなっと」
自分と同じ名前の花なので少し気恥ずかしいけれど、そう伝えると彼はどこか困った顔をしながらも、ははっと笑った。
それからまたマーガレットの花に目を向ける。
「ああ、そうだ。オレは、マーガレットが好きだなぁ」
彼の横顔は、その花に何か別のものを重ね合わせているようでもあった。
もしかして、想い人?
(――……っ)
一瞬、ありえない考えが脳裏に過ぎる。
(それだけは……絶対に、ありえない)
シャルルと一緒の散歩は、少しモヤモヤが残ったまま終わった。
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