第7話 看病


 異世界に転生したと気づいたのは、スプリング夫妻の間に生まれてすぐのことだった。

 明らかに日本人離れをした男女の顔。まるでヨーロッパ貴族のような内装の数々。

 どこからどう見ても日本には見えなくて、まるでおとぎの世界に迷い込んでしまったようだった。


 前世で事故に遭い死んだことは覚えている。何かがあって、車の前に飛び出てしまった。でもそのきっかけだけはいまいち思い出せない。

 けれど、家族から愛されずに孤独に死んだだろうことは予想ができた。

 自分に関心のなかった両親や裏切った婚約者。それから当たり前にそれらの愛を享受する妹。

 きっと死んだ後も悲しまれることなく、滞りなく葬儀が行われて、しばらく経ったら忘れられるのだろう。


 そう考えたら目の奥が熱くなって、泣いた。

 赤ちゃんの声で泣くと、新しい両親がよしよしとあやしてくれる。

 それが嬉しくって、温かくって、さらに泣いた。


 新しい人生だ。もしかしたら今世は幸せになれるかもしれない。そんな淡い期待を思いながら、泣いていた。

 転生した当初はまだ希望を持っていたのだ。


 だけどマーガレットが五歳になる歳、スプリング夫妻は双子を授かった。

 男女の双子だ。

 両親の関心は双子に向かい、マーガレットが声を掛けても淡白に返されることが多くなった。


 それにより、マーガレットは悟ったのだ。

 このままだと前世と同じになると。

 二つ上の兄は後継者教育に忙しいはずなのに、その合間を縫って双子に会いに行っていた。

 その光景をただ物陰から見ていることしかなかったマーガレットは、前世と同じになるぐらいならと、家族から距離を置くことにしたのだ。


 だからあまりいい噂を聞かない公爵に嫁ぐことになった時も、マーガレットは二つ返事で了承した。両親は何か言いたげな顔をしていたものの、マーガレットの意思を尊重する、みたいなことを口にしていたと思う。


(あ、そういえば。結婚式の前日に、珍しくお母様が訪ねてきたっけ――)


 最後の夜だからと、一緒にお茶を飲んだ。

 その時にかけられた言葉を思い出す。


『あなたの幸せを祈っているわ』


 その時の笑顔は、確か――。



    ◇



 夜会の翌日、マーガレットは数年ぶりに熱を出した。

 医者曰く、環境が変化による疲れた一気に出たのだろうということだった。


「これは本当にただの風邪なのか? まさか、死んだりなんてしないよな?」

「はい。薬を飲んでしっかりお休みなされば、すぐに熱は引きますよ」

「……そうか。もう下がっていい」


 ベッドの脇でシャルルの声が聞こえる。マーガレットを起こさないようにしているのだろう、微かな声だった。

 シャルルは忙しいだろうに、熱を出したせいて迷惑をかけてしまった。


 前世の母親も、小春が風邪をひいて寝込むと嫌そうな顔をしていた。役に立たない子とも言われた。昼間はお手伝いさんが看病してくれたけれど、夜にはいなくなるので暗い室内の一人で取り残された。お手伝いさんが用意してくれた熱さましシートを自分で張り替えたり、ペットボトルの水を飲んだりして、なんとか耐えていた。

 あの時ほど部屋の中の暗闇を怖く思ったことはない。

 このまま瞼を閉じたらもう開けられないんじゃないかと、そんな不安もあった。


(そういえば熱を出しても、婚約者は来てくれなかったわ)


 熱のせいか嫌なことまで思い出してしまう。思えばあの男は口だけだったのだろう。

 小春は孤独で優しさを知らない子供だった。だからありきたりな優しい言葉をかけて慰めていただけで、本心ではなかったのかもしれない。


「――っ」


 額にひんやりとしたものをのせられた。濡れたタオルだろうか。

 薄く目を開けると、漆黒の瞳と目が合った。


「すまない、起こしたかい?」


 首を振る。元から起きていたと伝えようとしたが、喉が痛くて言葉にならなかった。

 シャルルは笑顔を浮かべている。彼もまた、妻である自分に使命感だけで接しているのだろうか。そんなことを考えると、胸が少し痛んだ。


「そろそろ昼か。薬、飲めるか?」


 頷く。早く治さないと、このままだと迷惑をかけてしまうかもしれない。


「……すみません」

「なんで謝るんだ? 迷惑なんて思っていないよ。家族が体調を崩したら、寄り添うのが当たり前だからね。結婚式で宣誓もしただろう。病めるときも健やかなるときも、ってさ」


 体を起こそうとしたら、うまくいかなかった。

 シャルルが助けてくれて、なんとか上半身だけ起こすことができた。


「少し苦いかもしれないが、ちゃんと飲んでくれよ」


 薬の入った器は、深緑というか茶色というか、いかにも体に悪そうな色をしていた。

 ぷーんと香る匂いも強烈で、これは本当に薬なんだろうか。


「ウィンター公爵家の専門医に、代々受け継がれている薬だ。見た目や匂いはあれだけれど、効果だけは保証できる。オレも子供の頃に飲んだ。これを飲めば、熱だけなら一日で引くだろう」


 唾を飲み込む。ここで尻込みをしていてはいけない。

 渡された器を両手で包むように持ち、口をつけると一気に中身を傾ける。


 想像通り、いやそれ以上に強烈な苦さがあった。

 にがーと舌を出していると、くすっとシャルルが笑った。思わず恨みがましい目を向けてしまう。


「いや、ごめん。そんな顔もできるんだな」

「……すみません」

「謝るのはオレの方だ。けっして馬鹿にしたわけではないから」


 シャルルが水差しの水を別の器に注いで、渡してくれる。


「これで少しは口の中の苦みもなくなるよ。だからまだしばらく寝ているといい」

「……はい」


 水を飲み、それからまたシャルルに助けてもらってベッドに横たえる。

 そうすると、薬の効果からかすぐに眠気がやってきた。


「おやすみ、マーガレット」


 夜会で冷たい目と声をあの令嬢に向けていたとは思えないほど、シャルルの声は優しくて温かかった。




 その日、マーガレットは懐かしい夢を見た。

 十歳の頃、高熱で苦しんでいた時に前世の記憶と相まって、マーガレットはシクシクと部屋で泣いていた。

 その時、額のタオルを誰かに替えてもらった憶えがある。

 冷たくひんやりとしたもののおかげか、涙は止まった。その頬を優しく撫でられたような、そんな記憶だ。


 あれは、いったい誰だったのだろう。

 薄っすら目を開けて確認したところ、桜色の髪にマーガレットと同じカナリア色の瞳の女性がいたような気がするが、もしかしたらあれは熱にうなされたマーガレットが見た夢だったのかもしれない。

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