第6話 夜会

「冬の主、ウィンター公爵と公爵夫人の入場です」


 侍従の声を合図に、マーガレットはシャルルのエスコートで会場内に足を踏み入れた。

 邸宅の宴会用の広間には、すでに北部の貴族の多くが集まっている。

 好機の視線が突き刺さり、思わず俯きそうになる。


「マーガレット」

「……はい」


 呼びかけられて顔を上げる。


「綺麗だよ。やはり、君には黄色いドレスが似合う。確かデビュタントの時もそうだったよね」


 デビュタントの後の舞踏会で、マーガレットは黄色いドレスを着ていた。

 だけど、どうしてシャルルがそれを知っているのだろうか。そう思ったけれど、すぐに思い当たった。あの舞踏会は社交界デビューしたばかりの令嬢と、歳が近い貴族子息の見合いの場でもあったので。


 あの日はほとんど壁の花となっていて、挨拶した回数も数えるほどだ。ダンスも踊っていない。

 だからシャルルと挨拶をした記憶もなかったけれど、きっとあの会場内にいたのだろう。


 今日は夫婦となって初めての社交だ。だから服の色を合わせようということになり、シャルルに好きな色を聞かれて咄嗟に黄色と答えたら、黄色いドレスになった。

 シャルルは青みが買ったグレーの礼服に、黄色いクラバットをしている。彼の髪が白銀だからかグレーがよく似合っている。


 彼の顔は晴れやかで、心の底から自分の気持ちを告げているように錯覚してしまう。だけどそれは夫婦としてのお世辞なのかもしれない。


(彼には想っている人がいるみたいだから)


 それが誰なのかはわからないけれど、マーガレットではないことは確かだ。


 今回の夜会の目的は、あくまでも新しい公爵夫人のお披露目だ。

 楽団による音楽は流れているけれど、踊っているのは数組のみ。ほとんどがマーガレットに興味津々だ。

 こうなることはわかっていたけれど、それでも多くの視線を受けると緊張して縮こまりたくなる。


「公爵様、ご無沙汰しています」


 多くの人が声を掛けたそうにしている中、ひと際目を引く女性が近づいてきた。

 ウェーブした赤い髪の美しい女性。歳はマーガレットと同じか少し上だろう。

 周囲がざわっとした。もしかしたら北部の貴族の中でも特に名のある家系の令嬢なのかもしれない。


「公爵夫人。ご挨拶しても?」


 挨拶は上の者からするのが基本だ。シャルルを見上げると、彼は軽く頷いた。その口には笑みが浮かべられているけれど、瞳はどこか目の前にいる令嬢を警戒しているようでもある。


「本日はお越しくださりありがとうございます。ウィンター公爵の妻、マーガレットです」

「わたくしは、キャロライン・ルキンスでございます」


 ルキンス侯爵家。その家名には聞き覚えがあった。北部でウィンター公爵家に継ぐ、貴族の家系だ。

 そして確か、長女はシャルルの兄の元婚約者だったはず。


「遅くなりましたが、お二人のご成婚、お祝い申し上げますわ」

「ありがとうございます」


 キャロラインは祝いの言葉を述べると、礼をしてから離れて行った。

 それを皮切りに、次々と貴族たちに話しかけられる。

 シャルルの横でそれらの挨拶に言葉を返したりしていたけれど、ここまで多くの人と触れ合うのは初めてのことだった。

 デビュタントの時の比ではない。あの時も公爵家と縁を結ぼうとする子息や令嬢に話しかけられたけれど、一言二言交わしただけで、しらけたような顔をしてすぐに離れてしまった。



 声を掛けてくる貴族が少なくなってやっと一息つけるようになった時、シャルルにテラスで休憩しようと誘われた。

 テラスに入る前に飲み物のグラスを受け取った時、貴族のひとりがシャルルに声を掛けてきた。


「公爵閣下、少しお時間よろしいですか?」


 少し不満そうな顔をしたシャルルだったけれど、「少し席を外すよ」というと行ってしまった。


 テラスに出ると、ほっと一息を吐く。


(やっと一人になれた)


 夜の風は頬に心地いい。飲み物を飲んでいると、扉が開く音がした。

 シャルルが帰ってきたのかと振り向くと、そこにいたのは赤い髪のキャロラインだった。


「まあ、申し訳ありません。先客がいると知らずに」


 彼女の新緑の瞳を見ていると、なんだか胸騒ぎがする。


「いえ、そろそろ戻ろうかと思っていたところですので、お構いなく」


 キャロラインの横を通って会場に戻ろうとした時、彼女がぼそり呟いた。


「ただのお飾りの公爵夫人の癖に。調子に乗っていらっしゃるのね」

「……え?」


 言葉に足を止めると、彼女は扇子で口許を隠しながらこちらを見ていた。


「本来なら、その公爵夫人の座はわたくしのものだったのよ」


 あの事故がなければ、ウィンター公爵の爵位を継承するのはシャルルの兄だった。その婚約者だった彼女が公爵夫人になるはずだったのは本当のことだ。

 だけど、次期公爵だったシャルルの兄は亡くなってしまい、キャロラインの婚約も白紙になっている。


「本来あの婚約は、家同士の約束事なのです。それなのに、わたくしとの婚姻を拒んで、あなたみたいな人と結婚をするとは思いませんでしたわ」


 キャロラインが怜悧な瞳を向けてくる。

 前世で最後に向けられた婚約者の瞳に似ていて、背筋が冷えていく。


「春の公爵の娘は、社交もまともにできない箱入り娘だと聞きました。あなたがウィンター公爵夫人として相応しいか、疑問が残ります」

「……」

「あら、ここまで言われても、あなたは何も言い返さないのですね。やはり、あなたよりもわたくしの方が公爵夫人に相応し――」

「どういう意味だ?」


 扇子を仰いでいたキャロラインの手が止まる。

 彼女の背後には、冷ややかな瞳をしたシャルルが立っていた。


「最近の侯爵令嬢は、公爵夫人に大口を叩ける立場にあるのか?」

「……こ、公爵様」

「誰が公爵夫人に相応しいかは、オレが決めることだ」

「も、申し訳ございません……っ」

「兄上の元婚約者だから今回は多めに見てやる。だが、もう二度とマーガレットに舐めた態度をとるなよ」

「……っ。失礼しました」


 狼狽した様子を見せながらも、優雅な礼をするとキャロラインはテラスから出て行った。


「すまない、マーガレット。嫌な思いをさせたね」

「……キャロライン様の仰っていることも、間違いではありませんので」

「……というと?」

「私が公爵夫人に相応しくないのは事実です」

「どうしてそう思うんだ?」

「……だって、私はお飾りなんでしょう?」


 ハッと口を噤む。

 これはメイドが話していた、ただの噂だ。


 シャルルの顔色を窺うと、彼は鋭い瞳でマーガレットを見ていた。

 マーガレットに怒っているのか、それとも「お飾り」という言葉に怒っているのだろうか。


「誰がそんなことを言っていた?」

「……それは、その……。メイドたちが、話しているのを耳にしました」

「……そうか。わかった」


 彼は空をにらみつけると、ぐっと唸った。

 その漆黒の瞳が、少し金色に光ったような気がした。


「マーガレット。これだけは覚えておいてくれ。誰が何と言おうと、オレの伴侶は君だけだ」


 そう言ってふっと笑みを見せた彼は、いつもと同じ顔だった。

 どこか懐かしむような、愛おしいものに向ける、優しい笑顔。


(どうしてそんな顔をするの? どうせ、私は誰からも愛されないのに)

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