第35話 意味不明な戦いの幕開け(莉緒視点)
私の言葉を聞いた瑠偉の表情が消える。
瑠偉はさっきまでも無表情になることはあった。私はその作られた無表情に得体の知れない不気味さというか、ある種余裕のようなものを感じていたように思うのだけど。
今、彼の顔に浮かんでいるのは、まさに「素」と言って差し支えのないものだったと思う。
余裕も、不気味さも、そんなものは綺麗さっぱり消え去っていた。彼を覆っていた厚い霧が吹き飛ばされて、
「……は。ははははは。莉乃もちょっと混乱してるんだね、突然僕が現れたりしてさ。……まあいいよ。悠人くんがいなくなれば、きっと目が覚めるんだよね」
莉乃──その名前を呼ばれるたび、私の中にある古い傷口が抉られる。
あの頃、ずっと大好きだった男の子、瑠偉。
私が夢中だった、あの閉鎖された施設の中で唯一私の心の支えだった人。
そして、私の無責任で勝手な判断のせいで、死なせてしまったはずの人。
罪悪感は、この先も一生消えることはないだろうと思う。
それでも、今、一番大切なのは悠人だから。
彼だけは死なせられない。もう絶対に、大切なものを失いたくない!
悠人に伝えて欲しいと私が風華にお願いした言葉。
ついさっきそれを聞いた雷人と風華は、私に向けて思いを伝えてくれた。
【心配するな。必ず護り抜く】
『とっとと終わらせて、悠人との愛の時間を堪能しなきゃね!』
私の足元に、旋風が現れる。
ひゅう、と静かな音を奏でて風は地面に波紋を作っていく。それは、風神が示した殺意の意志であるかのようだった。
しかし、それを見ても、瑠偉は怯むことなく陽気に喋る。
「あ! でも困ったなぁ。悠人くんには恩があるんだよね。受けた恩はちゃんと返す主義だからなぁ僕。あのコンビニでお菓子買ってあげるの忘れちゃったしな……」
瑠偉は、何やら困ったようにうんうんと悩み始める。
ある種外国語よりも理解困難な悠人の話を思い出す限り、どうやら、道を教えてもらったお礼のことを言っているらしい。
この期に及んで道案内のお礼を気にするなどまるで理解不能な思考回路で、もはや私は未知の生物でも見つめるかのように瑠偉のことを眺めていた。
いや……そもそもこの人格は、瑠偉ではないのだ。
こいつの言うことを信じるなら、こいつの名はゼノ。
瑠偉は、もうずっと前から眠ったままだというのだから。
「そうだ! 良いことを思いついたよ! これなら全部大丈夫! うわ、僕って天才じゃない?」
名案が思い浮かんだらしく、ぱあっと表情を明るくしてはしゃぐゼノ。
風華はそれを、これ以上ないってくらいに冷たい目をして睨んでいる。
「いいゲームを思いついたからさぁ、ルールを教えてあげるね! まずね、先に悠人くんを逃してあげる。悠人くんが逃げるための時間的猶予をあげるよ。ね? それなら悠人くんへの恩も返したことになるよねっ」
「悠人は関係ないだろ……。お前らは風華たちを研究所に連れて帰りたいだけなんだろ? それとも何? まさか正面から勝てなさそうだからって、悠人を人質にしようっての?」
「あははっ。人質なんてとらないよ、ルールは最後まで聞きなって。悠人くんがいる限り、莉乃は目を覚まさない。だから、僕は悠人くんを殺しに行くからさ。莉乃はそれを護るんだ。でもね、途中で他の人間を見つけたら僕はそっちも殺すからね。大事なほうを護りなよ。くっくっくっ……あの日、僕を死なせた莉乃にピッタリのゲームだろ? 何を選択するのが最適解か。今度こそ、大事なものを護り抜けるといいね」
紅の瞳が殺意に揺れ、ゼノの周囲の空間が歪む。
あいつが本気なのは間違いなかった。
風華が、脳内会話で今後のことを私に相談してくる。
『莉緒。一応言っておくとね、このまま悠人と一緒に学校を出て二人で逃げるのが、確率的には生き延びれる可能性が一番高いんだけど』
「だめ! それじゃこの学校にいる人が……それに、悠人は名前も学校もバレてるんだ。家族を狙われちゃう』
『悠人を護り抜くことを最優先にするなら、それが一番固いんだけどな……。まあでも、やっぱダサいか。いいじゃん、乗るよ』
【やるんだな?】
風華と雷人は、いつでも私が大事だと言ったものを優先してくれる。あとは私次第なのだ。
そう……覚悟を決めるしかない。
大切なものを手に入れるためには、恐怖心を乗り越えて、一歩前へ。
しかし、何かを優先するということは、同時に、諦めなければならないものも存在するということ。
悠人を含む、この学校にいるすべての命を護り抜く。多くのものを望むのなら、諦めなければならないものも大きくなる。
この場合、諦めなければならないものは──
【瑠偉の命だ】
『そうだね。殺さずに護り抜くことは不可能だよ』
「……わかってる」
わかってる。
あの日、私の判断ミスのせいで死なせてしまった瑠偉。
その瑠偉を、今度は私自身の手で殺すことになる。
同じ命を、二度も殺す奴。
はは。そんな奴、生きてていいのかな。
もし、瑠偉を殺すことになったら。
その時は、私────…………
「ゲームスタートだよ、莉乃」
ゼノが命のゲームの開始を宣言する。
風華は、すぐさま悠人に声をかけた。
「悠人! この学校の中で、誰にも見つからないところに隠れるんだ!」
「えっ!? でも……莉緒はっ」
「莉緒は大丈夫! この体のことは任せて、こんな奴にはやられないよ。むしろ、君の命を護れるかどうかが勝負なんだ! 悠人は自分の身を守ることだけを考えて」
しばらく無言の時間が過ぎた後、悠人はこう言った。
「風華ちゃん。信じていいんだな?」
「もちろんだよ。君と莉緒の初々しいセックスを観るまでは死ねないしね」
「……っっ!! やっぱ観る気だったんかよっ!」
「あははっ! ……ほら、早く!」
おてんば娘っぽく強気に笑う風華の表情を見て安心したんだろうか、悠人もニッと笑みを返して身を翻す。
悠人が走っていく足音を聞きながら、風華はゼノを睨みつけた。
「……悠人くんと、莉乃の? 何を言ってる……僕の婚約者だぞ莉乃は」
「はぁ? これだから童貞君は自分勝手な妄想ばっか逞しくて。二人はもうキスもしてるし、あとはいつベッドインかってところだよ」
「へぇ……。いいねぇ、このゲームにもう一つルールが増えたよ。じゃあ、今から僕が君の唇を奪ってあげる。君の体の自由を奪ってね。せいぜい必死に抵抗するんだね」
「きゃあ……。まじヤバい奴じゃん。やっぱてめえはここで殺っとく必要性を感じるわ」
「だって莉乃はそういうの好きでしょ、ドMだから」
だんだん会話を妙な方向へ持っていき始める二人。
と、風華が私に脳内会話してきた。しかも、何だかヒソヒソ話でもする空気感で。
『奴の言うこと、そんなところだけは当たってんだけど。あんたら、幼稚園くらいの歳で一体何やってんの?』
「やってないよっっっ!! あんたらも私の中にいたんだから知ってんでしょ、ってか緊迫感持ちなさいよっ!」
【俺は覚えてるぞ。瑠偉と莉緒はちょいちょいイチャついてた。体を触り合ったりして】
「わ──────っっっっ!! 若気の至り! 若気の至り!」
『風華あんま覚えてない……えっ、てことはドSの瑠偉がドMの莉緒のカラダをクリクリしてたってこと!?』
【そりゃ研究所の奴らもこりゃダメだ、てなるわな】
命を懸けた戦いが始まってんのに、なんでこんなことで汗かかなきゃならんの?
ということで……悠人とその他大勢の命を護り抜きながら、ゼノからキスされるのを全力で防いで逃げまくるという、意味不明な戦いが幕を開けた。
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