第34話 愛してる
ギラギラと、赤く灯る瞳は俺がコンビニで見た刃野少年の瞳そのままだった。
その彼は今、「刃野玲偉」は偽名だと告白して「刃川瑠偉」だと名乗っている。
偽名だとか、瞳が赤くなったこととか、確かに俺はそういうことにも動揺していたが、俺をもっと動揺させていたのは、莉緒だった。
刃川と同じく、さっき一瞬見えた莉緒の瞳も、鮮やかなブルーに光っていたのだ。
それは、俺と莉緒が水着を買いに出掛けたあの日、飛び降り自殺未遂者を目の当たりにした時に見たものと同じ。やはりそれは気のせいなどではなく、現実に、莉緒の体に起きていた異変だった。
「ちょっ……お前たち、何を──」
「邪魔だ」
口を挟もうとした先生は、刃川の短いセリフと同時に、目に見えない得体の知れない力によって教室の壁へと吹っ飛んだ。
ガシャアン、と壮大な音を立てて家庭科室の壁を破壊し、ぐえっ、と、潰れたカエルを連想させる声をあげて先生は崩れ落ちる。
刃川は、先生を一瞥すらせず莉緒を見つめて微笑みを浮かべた。
「用件は簡単だよ。僕らと一緒に戻ろう」
莉緒は、俺の目の前で、俺の盾になるような形で微動だにせず刃川と向かい合っている。
すると、刃川の隣にいた女性が慌てたように言った。
「瑠偉! やり過ぎよ、ここまでやるのはまだ早い──」
「早い? さやちゃん寝ぼけてんの? 僕たちが何年も探し回った莉乃のことを、とうとう見つけたんだよ? ここで悠長なことをやって取り逃すなんて愚の骨頂だ。そんなんじゃあ所長に怒られちゃうよ? それにさ、さやちゃんだってずっと念願だったはずでしょ。愛する人の仇なんだから」
女性は、「あたしは、そんな、」とかいう感じの言葉を不明瞭な小声で独り言のように呟く。
先の読めない展開に何とかついていこうと俺が頭をフル回転させていると、今度は莉緒が喋った。
「……戻らない」
「何だって?」
「あたしたちは戻らない。二度と、あんなところへはね」
口調は風華ちゃんだった。
そういえば……飛び降り自殺をしようとしたあのスーツの人を助けた時にも、莉緒は風華ちゃんにバトンタッチしていたし、俺を不良から助けた時も雷人くんにバトンタッチしていた。
こういう妙なことが起こる時には、莉緒は必ず他の二人に入れ替わっている。
「そんなことを言うより先に、あんたがなんで生きてるのかを説明しろっての。風華たちはね、まだあんたのことを瑠偉だと信じたわけじゃないんだよ」
得心がいったのか、ああなるほどね、と言いながら刃川は大きく頷く。
その様子は無邪気な子供のようで、教室の壁が破壊された今のこの状況と著しくアンバランスだった。
「そりゃそうだよね。いいよ、説明してあげる。ところで君、誰?」
「莉緒の中にいる別人格だよ。念動力者にはあるあるだろ」
「なるほどね、風使いの人格が君なんだ。莉乃は〝風神雷神の御子〟って言われてたもんね。ならもう一人〝雷神〟がいるわけだ」
「どうでもいいよそんなこと。無駄口叩くなっての」
「くくく。結婚を約束した者同士の感動の再会だってのに、つれないなぁ」
念動力者? 風使い? 風神雷神?
何だよ。漫画の話か?
しかも何!? 結婚の約束!?
二人が喋っている会話には、何一つとして俺に理解できるものはなかった。
唯一俺にもわかったのは、どうやら二人は過去の話をしているらしいということだ。
莉緒は、この会話がわかっているのだろうか。
今、莉緒は、どんな気持ちで、どんなことを考えているのだろうか。
過去の出来事がトラウマになっているはずの莉緒が、今傷ついていないか、俺は、それが気になっていた。
……のだけど、俺は、ふと視界に入った廊下に倒れている先生のことも、この時になってようやく気になった。あまりにも異常なことが起こり過ぎて、正常な判断ができていない。
無事だろうか? 派手に壁へ突っ込んだからかなり痛そうだったし──
そんなことを考えた俺が先生のほうへ走り出そうとした時、風華ちゃんが俺を強く制した。
「ダメだよ! 悠人、風華の後ろから出ないで」
「で、でも。先生が──」
「……ごめんね。こんなことになって。でもね、お願いだから、風華の言うことを聞いてほしい」
風華ちゃんは真正面にいる刃川のほうを向いたまま、俺のことを振り返ることもなく言った。でも、その口調は、俺のことを思いやるようで……。
先生のことは心配だけど、俺はこんなふうに言ってくれる風華ちゃんの言うことに従うことにした。
「ねえ。悠人くんってさ、莉乃の彼氏なんだよね?」
なおも馴れ馴れしく俺に話しかけてくる刃川。いい加減、俺もイライラしていた。
いったいこいつは何なんだろう。勝手に人の学校へ来たかと思うと、先生をこんな目に合わせて、人のことにズカズカ踏み込んで。
だから俺も、もう友達みたいに接する気はなくなっていた。
「さっきからお前、莉乃ってなんだよ。こいつの名前は莉緒だ」
「彼女の元の名前は海堂莉乃だよ。ふふ、彼氏さんなのにそんなことも教えてもらってないんだ?」
心底おかしいという感じで刃川は笑いを噛み殺す。
確かに、俺は莉緒から過去のことはほとんど話してもらっていない。
名前で呼ばれなかったという辛い過去の話も、深くは尋ねていない。その理由は莉緒が辛い記憶を思い出してしまうんじゃないかと懸念したからではあるが……莉緒からも、それ以上は話してこなかった。
それは、莉緒が俺に心を開いていないということになるのだろうか?
「君は今の莉乃の彼氏かもしれないけどね。僕は、もっともっと、も──っっと前から、莉乃と結婚する約束をしてたんだ。だからね、君には莉乃のこと、諦めて欲しいんだよ」
妙な態度のせいでわかりにくいが、友達のように接する気がないのは、どうやらこいつも同じだったらしい。
俺の場合はついさっきからだが、こいつはいったい、いつからそうなんだろう。
「僕は、莉乃が研究所から脱出するって言うからそれについていった。それに、僕と莉乃は、脱出したら結婚するって約束をしてたんだ。まあ……その脱出の途中で僕は銃で撃たれちゃったんだけどね、莉乃は研究所の追手を皆殺しにして脱出した。あ、話が色々こんがらがっちゃったけど、要はね、僕らは許嫁みたいなものなんだよ」
「……どうせお前が勝手に決めたことだろ。何が許嫁だボケ、ふざけんな」
「くっく……。風華ちゃんだっけ? 君は知ってるでしょ。僕らが約束したところを、きっと君は見ていたよね?」
「……確かに本物の瑠偉っぽいね。だけど……どうして? 間違いなく死んだのに」
「念動力の本質は、物体を自由に動かすことだ。それはもちろん自分の体だって例外じゃない」
「だから?」
「君は賢そうな気がしたけど、あんまわかってない感じだね。君は空気の流れを操れるんだろ? 君ほどではないにしろ、感覚がある程度わかっていれば根本的には僕も同じように操れる。だから防御くらいならできるわけだけどね。そのノリで自分の細胞を操れば、自分の体のことだって操れるわけさ」
「……まさか」
「銃で撃たれたお腹の傷は、細胞同士を結合させて修復した。止まった心臓は、心マッサージを施して強制的に動かした。そうして僕は蘇生したのさ」
「バカな! そんなこと、死んだ瑠偉にできるはずが──」
「風の能力を得た莉乃が君という人格を得たように、僕にも別人格がある。いや──僕こそが別人格。〝全能〟という名の二人目の人格、僕の名はゼノだ。瑠偉は全てを僕に任せてずっと前から眠っているよ。彼が目覚める頃には、僕はこの世界で神と呼ばれる存在になっているだろうがね」
二人の喋っていることは、やはり俺にはよくわからない。
どうやら死んだはずの刃川瑠偉が、こうやって生きていましたよ、的な?
う〜ん、わからん。何だよこれ。謎すぎる。
神? ただの厨二病野郎だと言ってしまえばそれで済む話じゃないか、これ?
「莉乃を研究所へ連れ帰り、瑠偉のお嫁さんにする。莉乃はいずれ神の妻になる存在なんだ。だからね、悠人くん、君には黙って引き下がって欲しいんだ。ただそれだけでいいんだよ。そうすれば命を落とすこともない」
え、なに? 今、サラッと俺のこと脅した? 殺すって言ったの?
はっきり言って、瞳が赤いだけでパッと見ただの小坊主にしか見えない刃川からこんなふうに挑発されてしまう俺。
不良にはよく絡まれるが、まだガキンチョに舐められるほど落ちぶれちゃいねえけど!?
「お前なぁ、何勝手なこと──」
俺が言いかけた時、刃川は赤い視線を自分のすぐ横の床に落とす。と、バアン、と凄まじい爆発音がした。
舞い上がった粉塵と瓦礫。それは
刃川は小首を傾げて俺を見る。
「諦めるよね?」
「ふざけろ」
「え、頭大丈夫? 今の見てなかった? 目も悪いの?」
刃川の物言いから察するに、この爆発みたいなのは、どうやらこいつがやったのだと言いたいらしい。
どうやったのか全く見えなかったんだけど?
爆弾を出したようにも見えなかったし、常識で考えてそんなこと、こんな何の変哲もない少年ができる訳がないんだけど。
じゃあ今のは何なのって言われると、こいつ以外には確かに思い当たらないわけで。
そういやさっき先生を吹っ飛ばした現象は、コンビニ強盗を吹っ飛ばしたのと似てるな。
さらには莉緒から風が巻き起こったことなんかを併せて考えると、「この世には得体の知れん現象があるのかもしれない」なんて思っちゃって、だんだんUFO研究家の方々と自分が同じポジにいる気になってきた。
マジでハッタリじゃないんかなぁ……とさすがに不安になってくる。
うーん。だとするとこりゃやばいかな?
ってか、そうなりゃ莉緒もやべえじゃんか。嫁になれって言われてんだぞ!?
え、ちょっと待って? こいつ、力づくで莉緒のこと嫁にしようとしてんの?
カスだ。男の風上にも置けない野郎だ。
でも…………
実際のところ、莉緒はどう思っているんだろうか。
もし……莉緒もまた、この刃川のことが忘れられずにずっと想い続けていたなら、俺のほうが勘違い野郎なのだろうか。
莉緒を、守ろうとしていいのだろうか。黙って引き下がったほうが、莉緒は幸せなのか。
莉緒と出会ってから、確かにまだいくらも経ってない。
それでも、俺は本気で好きになった。こんなクソ野郎になんて渡したくないし、こんな奴が莉緒を幸せにできるなんて到底思えない。
莉緒と話したい。
これは俺のエゴなのか。
莉緒は、どうしたいのか……。
さっきから莉緒は、俺のほうを振り向いたりせず、ずっと刃川を警戒するようにしている。
俺からは後ろ姿しか見えなかったんだけど、まるで迷う俺の心を見透かしたかのように、風華ちゃんが支配しているその体から俺に向けて「
「悠人。莉緒から伝言だよ」
「……え?」
「〝愛してる〟だってさ」
さっきまで心にあった迷いを、吹き飛ばしてくれるような莉緒の一言。
俺には莉緒の気持ちが十分伝わった。
その莉緒の真正面にいて彼女の顔が見えているはずの刃川は、表情を歪ませた。
「……はぁ? 君が勝手なことを言ってるだけだろ? 莉乃を出せよ」
「君にも伝言だよ、莉緒から」
「……なに?」
「〝ごめんね、瑠偉〟……だとさ」
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