第33話 バレたら死亡!?(莉緒視点)




「ねえ、天堂さん。……〝天堂〟かあ。かっこいい苗字だね」


 うふふ、と刃野少年は笑う。その笑顔がどうにも私を不安にさせる。

 笑っているようでいて、心底笑っているのではないように思えて。

 なら、いったいどんな理由で笑顔を作っているのかと怪訝な気持ちにさせられてしまうのだ。


「ちなみにね、悠人くんにはもう話したけどね。僕たちは人を探してるんだよ。それで今日はこの学校に来たんだけどね」


「へぇ、そうなんだ。そういや言ってたね。えーと、なんて人だっけな……」


「海堂さん。海堂莉乃さんだよ」


 彼が探しているという人の名前を聞いて、私は全身が粟立った。

 その名前は、お父さんとお母さんが、私につけてくれた名前。

 そして、私がNo.90と呼ばれたあの研究所を脱出するまでの、私の名前。


 どうしてこの人たちが、その名前を知っているのか?

 もはや、それはこいつらが研究所からの刺客であること以外に考えられなかった。


 そうだとすると非常にマズい状況だ。

 研究所の刺客ということは、こいつらは念動力サイコキネシスを使えるということになる。


 念動力の実態は、そんじょそこらの銃火器をはるかに超える強力無比な凶器であり、その使い手を一人抱えるだけで場合によっては国対国で争う戦争の戦局を丸ごとひっくり返せるほどの威力を発揮することもある代物だ。

 だからこそ、各国が裏で熾烈な争奪戦を繰り広げる最もホットな人的資源なのだ。


 さらに厄介なことに、念動力による殺人は法的に裁くことができない。

 法廷で証明できないのだ。その理由は、念動力の存在が公にされていないことに起因する。

 それはすなわち、最悪の場合、この場で凶行に出られる可能性があるということだ。

 そしてこの場には何も知らない先生と、何より大事な悠人がいる……。


 私は、もう一度脳内会話を試みた。


「……雷人。風華!!」


 ようやく、雷人が私の問いかけに応じてくれた。

 ただ、その声は限りなく緊張感に満ちている。こんな雷人の声は久しぶりだ。


【風華は今、全神経を集中させて迎撃態勢をとっている。俺が話すよ。莉緒、お前も気づいたか?】


「やっぱりそうなの? こいつら、研究所の刺客!」


【間違いないだろう。いいか、決して動揺するな。何を聞かれてもポーカーフェイスを貫け。俺や風華が制御権を持てば殺気で奴に気づかれる。表には、莉緒、お前がこのまま出続けるんだ】


「……わかった」


 心の声で雷人へ返事した私の瞳を覗き込むような刃野の目。

 気持ち悪い目だ。絶対にお友達にはなりたくない。


 と、刃野は何かを思い出したような顔をして、手のひらに拳をポン! としてから天井を見ながら喋り始める。


「全然話変わるんだけどさ」


「ん、どうした?」


「ついこの間さ。新宿のとあるビルで、飛び降り自殺があってさ」


「おー、あったな! ネットニュースにも出てたっけ?」


 ここで、なんでいきなりその話?

 事情を知らない悠人は呑気に会話を続けてくれている。

 それを時間稼ぎとして使い、私は脳内で雷人と喋った。


【奴は完全にお前が海堂莉乃だと疑っている。もう間違いないぞ、集中してしのぎ切れ!】


 不自然な会話の変更。

 雷人の言う通りなら、こいつは今、ここで私の正体を暴いてカタをつける気だ。


「その時の動画がね、SNSにアップされてるんだけどね。その時、撮影者の目の前の女の人から、旋風みたいなのが出てたんだ」


 天井を見つめていた刃野は、ギロっと瞳だけを私へ向ける。

 表上は悠人と喋っているが、流し目を向けながら今や完全に私と喋っている刃野。奴のコミュニケーションの相手は、私だ。

 一見してにこやかに見えるその顔は、もう私には笑っているようには見えなかった。


「その女の人の後ろ姿が、天堂さんに似てるんだよね」


「……へぇ。そうなんだ」


 すっとぼけるのは別に苦じゃない。

 が、私は内心、マズい! と声にならない声で叫んでいた。


 悠人も、風華が出した風の波動と瞳の色が変わったのを見ていて、それを不審に思っている節があった。


 しまった。こんなことなら、事前に説明しておくんだった。

 今ここでその件について悠人に喋られたら──というか、私たちが新宿にいたことをゲロったりし始めたらやばい!


 しかし悠人に目配せするわけにもいかない。なにせ、刃野は一瞬たりとも目を離さずに私の反応を監視してるのだ。

 私は悠人が余計なことを言わないように祈りながら、刃野の反応を待つ。


「あの日、天堂さんって、新宿行ったりしてなかった?」


「……行ってないよ」


 刃野がさりげに悠人の様子を確認したように見えたが、真っ赤な嘘をつく私に、悠人は目立った反応を見せなかった。


 どうしてだろう? 私に合わせてくれたのだろうか?

 しかし、なんの打ち合わせも無くこんなに上手く演技できるものだろうか?


 まあ、思い起こせば確かに悠人は神田さんや上田くんから因縁をつけられた時も上手く言い返していた。もしかしたら、そういうのは上手いのだろうか。私が嘘をついたところから事情を汲み取ってアドリブで合わせてくれたのだろうか。


 そんなふうに私が考えていると、刃野は、今度は悠人に語りかけ始める。


「そうなんだ。でもさ、悠人くん、さっき〝ネットニュースにも・・〟って言ったじゃん。ネットニュースだけ見てた人なら、〝にも〟って言わないよ? どういう時に使うかって言えばさ、……例えば、自分たちもその場にいたとか」


「そうだっけ? 俺、そんな言い方したっけな。だとしたら言い間違えだよきっと」


「あはは。そっか。ほんと相変わらず説明ひどいよねぇ、悠人くんは」


 ははは、と乾いた笑い声が廊下に響く。

 

 刃野はネットニュース以外にはその事件が出ていないことを調査済みで、悠人を引っ掛けるためにこう言ったのだろうか。

 他の媒体で取り上げられていたかどうかまで私たちは調べていないし、刃野が調べていたのかどうかもよくわからないが……。


 そもそも、冷静に考えればそこまで引っ掛かるほど不自然な言い回しでもなかったはずだ。

 おそらく刃野は、悠人を揺さぶるためにこんな言い方をしたのだろう。しかし悠人は「新聞にも出ていたからそう言った」的な嘘をつくこともなく自然にすっとぼけた。


 いずれにしても、これで私は確信した。悠人は事情も何もわかっていないはずなのに、刃野の質問に対して嘘をついた私に合わせてくれているのだ。

 これならなんとか乗り切れるかもしれない!


「ところでさ。悠人くんって天堂さんと付き合ってるの?」


「うん、そうだよ。俺の彼女」


 刃野はじっと悠人のことを見つめる。

 その表情は、完璧とも言える無表情。どういうつもりで見つめているのかまるでわからない。こいつの感情の揺らぎが見えない。やはりそれが不気味で、嫌な予感が拭えない。

 隣にいるメガネの女性は、刃野と私を交互に目で追った。


「へぇ。……あはは。あっはっはっはっは!」


「…………!?」


 突然笑い出した刃野に、悠人がびっくりして唖然とする。

 私は無表情を貫きながら刃野の様子を見守った。


「ど、どうしたんだよ?」


「……はぁ、おっかし。そっかぁ、幸せそうで何よりだよ」


「何より……? 莉緒のこと、前から知ってんの?」


「知らないよ。いやいや、お二人さんが幸せそうで何よりです、って言ってんの」


「あ、ああ……そっか、ありがと」

 

「そういやさ、僕が探してる人の名前が〝海堂莉乃〟で、悠人くんの彼女の名前が〝天堂莉緒〟でしょ。〝堂〟と〝莉〟が同じなんてすごい偶然だね」


「ん? おお、確かにそうだな」


「それと同じことなんだけどね、それって僕も同じでね。実はさ、こんなこと言うのもおかしな話なんだけど、刃野玲偉って名前、本名じゃなくて」


「え、そうなの? どういうこと?」


「本当は刃川瑠偉っていうんだ」



 …………え。


 

 あり得ない名前に心が凍る。

 あれ以来、二度と耳にしなくなった、大切だった人の名前。

 瑠偉が生きているはずはない。

 死んだ。瑠偉は、死んでしまった。

 私のせいで。私が強引に連れ出したせいで、あの研究所で!

 男の銃に撃たれて、苦しそうにもがいて、私を恨むように見つめて……。

 

 その瞬間、私のポーカーフェイスは崩れ去った。

 目を見開き、ただただ目の前の少年を見つめ続ける。

 

 私の表情が変化したことを認識した瑠偉は口端を三日月のように引き上げる。

 同時に、瑠偉の瞳は念動力者エスパーが保有するエネルギーによってサアッと紅蓮へ塗り変わった。

 瑠偉の周りを覆う空気が圧縮されたようにグニュッと歪み──


 直後、目の前で発生した緊急事態に、私から体の制御権が奪われる。

 強制的に入れ替わることはかなり珍しいが、入れ替えの許可を得るための一言の会話すら交わさないケースは、たった一つだけ私たちの間で決め事として存在している。


 私の体を乗っ取った風華は、間髪入れずに超至近距離から風の波動を瑠偉に向かって叩きつけると同時に、柔らかい風を悠人に巻き付けて私の後ろへと引き寄せた。


 が──風華が出したはずの風刃は、瑠偉の体表、皮一枚隔てたところで全て消え去り、ほんのかすり傷さえ瑠偉に付けることは叶わなかった。


「……へぇ。莉乃も腕をあげたんだねぇ」


 ポケットに両手を突っ込んだまま、刃川瑠偉は楽しそうに言った。





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