第30話 妙な少年との出会い



 お泊まり翌日。朝起きると、ベッドに莉緒の姿はなかった。きっともう先に起きたのだろう。

 

 思いのほか寂しかった。

 目が覚めた時はすぐ真横に愛しい彼女の寝顔があって、スー、スー、と静かな寝息を立てる彼女にそっとキスをするとそれで彼女が起きて「ん……もう、悠人ったら」とか言いながら彼女が俺に抱きついてきてシャンプーやボディソープと混ざった彼女の肌の匂いを嗅いでいるうちにそのまま二人はぐっちゃぐちゃに──……


「あ〜あ……」


 思い出した。今回は襲わないと決めてたんだった。

 妄想を蹴っ飛ばして、俺はあくびをしながら体を伸ばして体を起こす。

 見慣れない他人の家のベッドから降りると、すぐそこに見える部屋のドアを開けた。


 開けてすぐ、いい匂いが漂ってくる。この時点で、お、これはもしかして! と期待感が膨らんだ。俺は鼻をすんすんしながら、そしてニヤニヤしながらリビングのほうへと行ってみた。


 案の定、キッチンで朝ごはんを作る莉緒。

 リビングへ入ってくる俺を目に留め、まるで愛しいものでも見るかのように微笑む。


「おはよっ。すっごい良い匂いするね!」


「……全然大したもの作れないけどね」


 味噌汁と、卵焼きと、ウインナーを焼いたやつと、味のりとご飯。

 マジで十分です。感動です。

 めっちゃ可愛い彼女の手作り朝ごはんを食べれるなんて、憧れの夢を叶えた気分だ。


 俺は別に体育会系ってわけでもないし、朝は普段そんなに食わないんだけど、この状況が幸せすぎてついおかわりまでしてしまう。

 急いで食ってしまって喉に詰まらせ、お茶を飲みながら莉緒に背中を叩いてもらうというお決まりの展開までしっかり実行。


「……慌てすぎ」


「だって、マジで美味いよ」


 俺は本当に嬉しかったし、ボソッと呟く莉緒もなんだか嬉しそうだ。

 

 海へ行くというプチ旅行を楽しんだところなので、今日は最寄駅から三駅くらい行ったところにある繁華街でデートでもしようということになった。


 俺たちの仲を深めるための海デートを台無しにしちゃったということで、風華ちゃんと雷人くん、それに和也と結衣さんは、この日は完全に俺たち二人に空けてくれたのだ。まあ、和也は嫌々だったみたいだが。


「私、お化粧するね」


「おー! 俺さ、近くのコンビニでコーラ買ってきていい? 莉緒はなんか要る?」


「……朝からコーラ飲むの? 私、ロイヤルミルクティ」


 どこまでもミルクティを愛する莉緒。俺は今日は浮気してコーラだ。

 どうしても炭酸の喉越しが味わいたくなってしまった。ビールとか飲む大人はこんな感じの喉越しを味わってんのかなー、とか想像すると、仕事帰りに飲みたくなる気持ちは分からんでもない。

 コンビニがすぐそこなので、自販機へ行くより近かった。そしてそのまま家に帰って、今日着ていく服へ着替えようという段取りを俺は想定している。

 

 莉緒の家の玄関を出て、エントランスとは逆側方向へ進む。莉緒の家の玄関から道路へ出るには、こっち側が近いのだ。

 そりゃ今まで俺と会うこともなかったわけだね……その上、登校時刻が一〇分も早ければ尚更。


 いつもとは違う道を歩いてコンビニのほうへ向かっていると、歩道上で一人の少年がキョロキョロしていた。

 少年……だろうか。俺より背が低くて、ストレートのボブだったから遠目には幼く見えたのかもしれない。近づいてよく見てみると、もしかすると俺と同い年くらいかもしれないな、と思った。


 彼は歩道のど真ん中につっ立っているので、俺が通り抜けるのには邪魔だった。

 すみません……と小声で言いつつ脇をすり抜けようとしたら、その少年は俺の顔を見るなり、


「あっ、あのっ! すみません、道を教えていただいてもいいですか?」


 がっつくように助けを求められる。

 そんなに困っていたのだろうか。このスマホでなんでもできる時代に道に迷うとは。

 

「えっと、はい。どちらへ?」


「あの、海堂さんという人を探していて」


「海堂さん? そういう名前の人の家を探してるってことですか?」


「そうなんです。女性の方なんですけど」


「住所とか、他に何かわかるものあります?」


「いえ、ないんです……」


 道を教えるというか、実質的には人探しだった。


 そんなことを言われても、俺は自治会長とかじゃないんだから別にこの辺り一帯に住んでいる人を全て把握する立場にはないし、同じマンションに住んでいる人のことすら──なんなら同じ階の住人すら全部知ってるわけじゃない。

 というか、この人、探し人の住所すらわからないのに、どうしてこのあたりを探そうと思ったんだろう?


 名前以外の情報がない状態で人を探すなんて絶対に無理だ。全く協力してあげないってのも可哀想だと思ったが、時間もなかったので、俺は断ることにした。

 

「あ──……ごめんなさい。俺、ちょっとわからないです。あ、交番で聞いたらどうすか」


「交番って、どっちですか?」


「えっとね、この道をまっすぐ行ったら右に大きくカーブするんで、曲がった直後を左に曲がって、それからまっすぐ行ってドンつきを右に──」


 うるうるした目つきで俺を見る少年。

 冷たく対応するのがつい可哀想になっちゃうけど、交番までの道のりくらいスマホ使って自分で探してくれないかなぁ。


「……あの。スマホあります? マップアプリで経路設定するんで、その通りに歩いて行ってもらったら」


「わぁ、ありがとうございます! はい、これ!」


 少年が取り出したスマホを借り、経路設定をしてあげる俺。どうやらスマホの取り扱いも怪しいレベルらしい。

 衝撃吸収タイプのケースに入った少年のスマホを借り受けて操り、マップアプリを使って経路設定を終え、「じゃ」と言って俺が歩き始めようとすると、


「す、すみません! あの、コンビニは近くにあります? 喉乾いちゃって」


「ありますよ。ほら、そのマップにも出てるでしょ」


「ほんとだ! これってあっちですよね?」


「いえ、こっちです」


「あぅ……」

 

 方向オンチもなかなかだった。

 ま、事のついでだ。


「あの、俺もコンビニ行きますんで、一緒に行きます?」


「助かりますっっ!!」


 ぱあっと太陽のような笑顔を浮かべて俺の手を握りしめる少年。

 なんかちょっと恥ずかしくなるようなリアクションをする人だ。少年少年と言ってはいるが、話している感じ、やっぱりこの人、俺と同い年くらいだと思う。

 

 コンビニに向かって歩き始めようとしても、握った俺の手を離さず、というか俺と手を繋いで歩き始める少年。


 なんだこれ? 


 見知らぬ男子にいきなり手を握られてだんだん怖くなってくる。

 早くコンビニに辿り着いてこの少年から解放されたい気分になってきた俺は、コンビニに着くなり「じゃ」と言って手を離そうとした。が、


「何か買われるんですよね? お礼をさせて欲しいんで、僕がここの代金、支払います!」


「いや、そんなことしなくていいっす! 大丈夫っす!」


「ダメです! 親切にされたのに受けた恩も返さないなんて、人間としてダメダメですからっ! 僕、こんなだから、いっつも人に助けてもらうことが多くて。子供の頃からなんですよね……だから、せめてお礼くらいはするようにしてるんですっ!! ぜーったいに、ダメです! 僕が払います!!」


 うるうるした瞳でここまで言われると、なんか断りずらい。

 そしてまだ俺の手を離そうとしない少年。

 そんなわけで、仕方なく少年とお店の中を回ることにした。


 えーと。俺のコーラと、莉緒のロイヤルミルクティと……

 お菓子も買っておこう。莉緒のやつチョコレート大好き人間だからな。それに、俺はスナック菓子大好き人間だし。その辺りのやつをガサっと。

 あ。このままだと、それを全部この人に支払わせることになっちゃうな。


「俺、色々買うんで。マジで支払いとかいいっすよ」


「ぜーんぜん大丈夫ですっ! むしろ遠慮されないほうが嬉しいです! 僕がドン引きしちゃうくらいガッツリ買っちゃってください!」


 なんかこの子マゾ気質なのかな、とか思いながら真性マゾの莉緒のことを思い出す。

 俺の持ってきた水着をただひたすら受け入れて着続ける莉緒はたまらなく可愛かった。

 莉緒は、ああいう感じにされたほうがきっと嬉しいに違いない。次からは徹底的に責め切ろう。

 

 そんなことを思い浮かべてニヤニヤしながら少年と二人でレジの列に並ぶ。俺たちは前から五番目だったから、ちょうど陳列棚の間に立っていた。

 見ると、少年の買い物はジュース一本。やっぱなんだか払わせるの悪いな……


 そんな感じで俺と少年が並んでレジ待ちをしていると、突然、店内にキャアっ、と短い叫び声がした。


 普通、コンビニの店内ではあまり聞かないタイプの……むしろ完全に「悲鳴」と言える感じの声。それと同時に聞こえた別の声が、俺の体をこわばらせた。

 俺の耳がおかしくなければ、「金を出せ」と言っていたような──……


 左右に並ぶ陳列棚のせいでレジのほうはよく見えないが、店員が驚いてぎこちなく動いているのは見える。それとは別に、陳列棚越しにヘルメットのようなものが見えていて。


「早くしろコラぁっ!!」


 次の怒号は明確に聞こえた。

 店内に何人かいた他の客がザワザワし、レジの列に並んでいた前の客は後退りして俺にぶつかってきた。

 

 どうやらコンビニ強盗らしい。


 俺は姿勢を低くして、レジのほうから遠ざかろうとした。

 レジから離れれば、通報する電話の声は聞こえにくくなるだろうと思ったからだ。


 見た感じ、メット野郎はコンビニの入口から入ってきてそのままレジの前に居座っているようだから、出入口から逃げるのはちょっと難しそうだし。

 それに、単純に強盗からは離れたかったというのもある。


「あの、後ろのほうへ行きましょう」


 俺はビビりながら小声で少年にそう言った。

 が……こんな状況なのにもかかわらず、どうしてなのか少年は顔色ひとつ変えていない。


「これもお礼になりますかね! まあでも、これは僕のためでもあるし、さすがにならないかぁ」


「しっ……声が大きいっすよ!」


 少年はヒソヒソ話のレベルじゃなく、普通に店内に聞こえるような音量の声で俺に話してしまった。

 こいつ何やってんだ、と俺が訝っていると、レジのところにいた強盗は、少年の声に反応したのか俺たちのいる陳列棚のところを覗き込んできた。


「おらあっ、てめえら動くんじゃねえぞ! 黙ってそこで──」


 フルフェイスのメットを被っていて全く顔が見えない強盗は、そこそこでっかいサバイバルナイフみたいなやつを手に持っていて、俺たちに大声で警告してきたのだが──。


 瞬間、バン! と派手な音を立てて、強盗が被っているフルフェイスのメットは突如として破裂した。

 誰も、何もしていないはずなのに、勝手に・・・ヘルメットのシールドやメット本体が粉々に飛散して男の顔が露出する。


「こっ……のガキぃ! まさかテメェが? いったい何を投げ────」


 このガキ・・・・というのが誰のことか、俺には一瞬わからなかった。

 強盗は何故かこっちを見て言っているのだが、このレジ待ちの列で「ガキ」に該当するのは俺と隣にいるさっき出会ったばかりの少年くらいだろう。

 しかし少なくとも俺は何もしていない。ならば残るは少年、ということになる。


 そう思った俺が少年を見た時、彼は、俺を含む他の一般客のように屈んだり怯えたりせず、凛として立っていた。


 少年の顔は全くの無表情である。事ここに至って微塵も恐れの見られない完璧とも言える無表情はむしろ異質で怖さを感じるほどだったが……しかしそんなことよりも俺の目を釘付けにしたのは別のものだ。


 少年の瞳は、真っ赤になっていた。

 

 メキョっ、と鈍い音がしたかと思うと、強盗の腕が妙な方向に曲がってサバイバルナイフが床に落ちる。これもまた、誰も、何もしていないのにもかかわらず、勝手に・・・そうなったのだ。


 あまりの出来事に叫ぶことすらできず、折れた腕をもう一方の手で押さえてその場に崩れる強盗。

 次の瞬間には、強盗は体ごとレジの台にひとりでに・・・・・勢いよく叩きつけられた。


「警察を呼んでください」


 事の成り行きを唖然として見守ることしかできなかった俺に、少年は落ち着いた声でこう言う。

 俺が視線を少年に戻したときには少年の瞳は黒く、さっきまでと同じように彼はまたニコニコと微笑んでいた。




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