第21話 莉緒のカラダは、みんなのもの



 翌朝、朝食をとるリビングダイニングで、キッチンカウンターの向こう側にいる母さんと喋っていた父さんが、会話が途切れたついでに俺に尋ねた。


「昨日の女の子、泣いてそうだったけどよ。大丈夫だったか?」

 

 父さんの隣にいる妹が、スマホから俺に視線を移した。

 今年から中学に入ったこいつは、恋愛事の話なんてそりゃあ大好物だろう。


 しかし、あれは大丈夫だったと言えるのかな。

 大丈夫じゃなかったのかもなぁ。つーか、大丈夫じゃなかったから家まで押しかけて来たというか。きっと完全に錯乱してたな、あれ。

 ま──……でも、最終的には大丈夫、ってことになるか。


「大丈夫だよ」


「女友達が泣いて家に来るって、どういうシチュエーションだよ? 悩み相談か?」


「訂正する」


「あ?」


「彼女、だわ」


「だよな。そうだと思ったよ。そうならそうと言やぁいいのによ」


「あの時はそれが正しかったの」


 無言の時間。

 父さんと妹が、俺をジロジロ見てきやがる。

 

「へぇ。一夜にして変わったってわけかぁ……」


 父さんは、顎を指でスリスリしてからニヤニヤしつつ、俺を指先でツンツンした。

 こら、脇腹弱いんだからやめろ。


「初カノおめでとさん。めっちゃ可愛いじゃねえか。今度連れてこい」


「うまくいきゃ、そのうちね」


「それで今日は一緒に登校するってわけか」


「なんでわかんだよ」


「起きてくる時間が違ったからな」


 莉緒は俺よりも十分くらい早く家を出るらしい。

 だから、まあいつもそうすると決めたわけじゃないけど今日は莉緒の時間に合わせることにしていた。それを目ざとく見破られていたのがなんか恥ずかしい。


 朝食を終えて玄関へ走る。が、俺は急ブレーキをかけた。

 リビングから玄関に至るまでの途中にあるドア。そこは颯太の部屋だ。


「颯太。兄ちゃん、学校行ってくるな!」


 いつものように返事はない。

 どうしていいかわかんないけど、いつも俺は声を掛けるようにしている。


 玄関を出て、急いで一階に降りた。

 エントランスを出ると真っ直ぐ公道には出ず、方向転換してマンションの周囲を回り込むように敷地内を進む。


 そうして見えてくるオーナー部屋の玄関ドア。

 俺はチャイムを押した。

 インターホンに応答はなかったけど、すぐにカチャ、とドアは開く。

 

 うつむき加減で無表情なのはいつものこと。

 でも、今日はいつもの影はなくて、俺の顔を見るなりまるで幸せが漏れ出すように上目遣いで微笑む。どうやら、「天堂莉緒太陽化計画」は、順調な進捗を見せているらしい。

 俺はカバンを放ってすぐに彼女を抱きしめ、キスをした。


 ま、早く家を出た一番の理由はこれだ。この時間を、朝イチから確保したかったという……。

 十分間早く家を出たのに、結局は十分間くらいいつもより遅れそうだ。


 二十分間キスをしても、全然足りなかった。

 名残惜しいけど早く行かないと遅刻だ。はっきり言ってこのままサボって一日中二人でいたかったけど、そんなことをすると完全にタガが外れそうだった。


 繋いだ手の感触から妄想を広げながら学校への道のりを歩いている途中、莉緒がこう言った。


「風華がね、私たちの様子を見ていちいち〝うわ、初々しいわー〟って言うの」


「はは。風華ちゃんはガンガン穢れてんもんね」


 会話上、俺は軽く返したけど、風華ちゃんの話が出ると、その彼氏のことも無条件に思い出してしまう。

 そうすると、毎回同じ妄想が俺の頭を占拠して、その度に吐き気を伴った苦痛が俺を襲ってくる。


 莉緒のカラダを他の男が穢している。その事実を思い出すだけで俺は気が狂いそうになる。

 でも、それを口にしても莉緒が困るだけだ。だから、その点についてだけは、俺は我慢しなければならない。割り切らなきゃならない。


 そうなんだよなー。莉緒の考え方だけの話ならまだしも、別人格の権利ということなら、どうしようもないわけで。


 そもそも、全てのことは「三重人格が本当である」という仮定の上に成り立っている。

 いったん信じると決めたのに、いつまでもこの命題が俺の頭を占領している。


 考えながらも莉緒をふと見ると、何やら顔を赤らめながらうつむいていたので、俺は莉緒に声をかけた。


「どうしたの?」


「…………さっきの悠人のセリフに、風華が抗議してきただけだよ」


「そうなの? なんて?」


「……すぐにあなたたちも……いや、やっぱ秘密」


 ゴニョゴニョと小声すぎて何を言っているのかわからない。

 なぜ秘密にする。そんな顔を真っ赤にさせられるようなことを言われたわけ?

 

「あ、そうだ。今日の放課後さ、カフェ行かない? 俺、新作のやつが飲みたいなー」


「……ダメなの。今日は」


「そうなの? 何か用事?」


「…………」


 黙り込む莉緒。

 ……まさか!


「和也くん?」


「えっとね…………きゃっ」


 俺は強引に莉緒を抱きしめた。


 さっき割り切らなきゃって思ったばっかなのに。

 瞬間的に燃え上がった嫉妬の炎が、俺の頭も心も、何もかもを焼いていく。

 我慢ならないんだ。俺の莉緒が、他の男に……。


 莉緒に、指一本触れさせたくない。 

 莉緒のカラダを、あんな奴に抱かせたくない。

 

 俺は、自分の存在を莉緒に刻みつけたくて、まさにマーキングするためにキスをした。でも、このくらいのこと、あの男もずっと前からやっている。

 今日にでも……いや、もはや学校を休んで今からでも、莉緒の体に俺の痕跡を注ぎ込みたい。

 あんな男よりも先に、取り返しのつかない痕跡を──……


「……悠人、痛いよ」


 力任せに抱きしめる俺に、莉緒が小さく悲鳴をあげる。

 ハッとした俺は、慌てて「ごめん」と謝り、妙な考えに囚われていた自分の意識を正常値へ戻すために頭を振る。

 莉緒はすげぇメールを昨日俺に送って来たけど、俺も大概なのかもしれないな……。


「……わかった。何時頃帰ってくる?」


「……わかんないけど……たぶん、夜の八時頃とか」


 ……学校が終わってから、夜の八時まで、莉緒の体は穢され続けるのか。

 誰の邪魔も入らない密室で、二人っきりで、あんな奴の好きなように。

 って、いい加減落ち着けって俺。付き合って初日からこんなんじゃ、マジで体が持たんわ……。


「帰ってきたら、会いたい」


「……うん。私も悠人と会いたいよ。嬉しい」


「約束だから」


 そう言って、小指で指切りげんまんする。


 確かに、莉緒を行かせることは納得した。

 帰って来たら会う約束もした。

 だけど、莉緒が奴に会いに行った後、俺がどうするかまでは約束していない。


 俺は、奴らの跡をつけてやろうと決意していた。

 ヤバい奴に成り下がっていることは十分承知している。もちろん、二人が会っているところに乗り込もうってんじゃないし、あの男と一緒にいるのは莉緒じゃなくて風華ちゃんであることもわかってる。

 

 でも、もう止められない。

 黙って家で待ってることなんてできそうにない。


 俺は、学校が終わってから、正門のあたりで莉緒を見送った。

 莉緒は、俺たちの家がある方角ではなく、最寄駅があるほうへと歩いて行った。


 莉緒は、どうやら駅で奴のことを待つようだ。駅の改札の前あたりで壁に寄りかかってスマホを見ている。

 真正面から見張ってしまうと莉緒──というか風華ちゃんに見つかってしまうだろうから、俺は少し離れた場所から見守っていた。


 すると、女子が一人やってきて、莉緒に話しかける。

 茶髪の、スラッとした感じの女子。制服はうちの高校のやつじゃない。


 知り合いか……? たまたま通りすがりに出会ったのか?

 莉緒も、普通に知り合いとかいたんだな。ま、いないなんて思ってたこと自体が失礼な話だったか。


 少し立ち話をするだけだと思っていたが、莉緒はその女子と一緒に歩き始める。

 駅前を抜け、繁華街の方向へ向かっているようだ。俺は慌てて二人の後を追った。


 しばらくすると、繁華街に入ったところで、二人は手を繋いだ。

 

 お! まあ、友達同士で手を繋ぐってのも、わりかしレアな光景じゃないしな。相当仲がいいんだろう。

 とか思いながら跡をつけていると、繁華街を歩いていた二人は狭い路地に入る。


 路地なんかにまともに入るとさすがに跡をつけていることがバレちまう。

 だから俺は、路地に入る手前で立ち止まり、こっそり路地先を覗いたのだが……目に入った光景があまりに予想外だったせいで、意図せず体が固まることとなる。



 莉緒は、その女子とキスをしていた。


 

 …………えっ。 


 隠れて覗く俺には気づかず、二人は激しくキスをする。

 というか、その女子もまた激しくキスをし返してくる。互いに首の後ろへ腕を回して、貪るように舌を絡めて唇を擦りつけ合っていた。


 莉緒はその女子の体を壁に押し付けると、逃がさない態勢を構築した上で耳を噛んだり首筋を舐めたりしながら胸を揉みしだき、今度はその女子のことを一方的に愛撫し続ける。

 

 なんだこれ!? り、莉緒、どうしちゃったの!?

 というか、風華ちゃん、何やってんの!?


 おそらく莉緒ではないだろうから、風華ちゃんだとすると……百合とかいうやつなのだろうか。

 でも風華ちゃんは男である和也と付き合ってる。

 どういうこと!? 風華ちゃん、バイセクシャルってこと!?


 流し目気味の莉緒の視線が、油断していた俺を捉える。

 あっ、と思った時には遅かった。まるで殺意を宿したかのような鋭い視線で絡め取られて俺は微動だにできない。もちろん、思わぬキスシーンのせいでさっきから体の自由はさっぱりだったのだけど。

 そんな感じで固まる俺へ、莉緒は不敵に顔を歪ませて言った。


「へっ。跡をつけさせるとはよ、莉緒の奴もやるじゃねえか。ここまで悠人の心を縛るとはな」


 この口調。この表情。

 まさか……と気づいた俺へ、莉緒は不良テイスト全開の口調で言い放つ。


「勘違いすんなよ。こいつは俺の彼女・・・・だ。今日は俺の日・・・だからな」




 え────────っっっっっ!!!!

 

 

 

 

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