第20話 不良から逃げるのとは訳が違うよね



 

 とりあえず、風華ちゃんの彼氏らしい男は帰して、俺は莉緒の家へ上がり込んでいた。


「さっきのは、どういうこと?」


 衝撃のキスシーンを目撃してしまった俺は、あまりのショックで胃液が上がってくるのを感じながら莉緒を問い詰めた。

 何が起こったのかまるで理解できない。だって、今日も「大好き」だとかそんな言葉を俺に言ってくれていたのだ。


 莉緒はモジモジしながら床に正座し、ソファーに座る俺を上目遣いで見上げる。

 一応は、悪いと思っていそうな態度に見えた。それだけは俺を妙に安心させてくれた。


「……ごめん。黙ってて」


「風華ちゃんの彼氏って……それじゃ、あの人と莉緒はどういう関係なの?」


「……どういう関係でもない。ただの他人」


「でも。彼氏なんでしょ?」


「風華が和也かずやくん……あの人のことだけど。和也くんと会っている時は、体の制御権は風華に渡してるの。だから、私は体の感覚からは切り離されてる」


「でも。でも、体は莉緒のだよね?」


「そう」


「……じゃあ、キスをしたのも莉緒だよね?」


「キスをしたのは風華」


「体は一緒じゃん!」


「私はそれを味わってない。味わってるのは風華」


「莉緒は全く感じないってこと?」


「………………」


「……ほら。やっぱ────」


「違う! 視覚と聴覚で得た情報だけは受け取れるの」


「……映像は見れて、音も聞こえるってこと?」


「そう」


 それはまた都合のいいことで……。

 どういうルールなのかは知らないが、よくこんな突飛な話を無条件で信じようとか考えてるな……と俺は自分自身のお人よし加減に呆れた。


 普通の奴ならそもそも多重人格というところから疑って、都合よく俺を騙して単に二股をかけているだけだと考えるだろう。

 きっと、俺は最悪の現実を受け入れたくないんだと思う。莉緒の話を無条件で信じれば、莉緒自身は俺を裏切っていないということになるのだから。


 でも、人格が入れ替わるところを実際に目の当たりにしている俺としては、「莉緒の話は嘘じゃない」というのが結論なのだ。


 雷人くんも、風華ちゃんも、入れ替わった瞬間から何もかもが変化する。

 表情も、声も、振る舞いも、喋る内容も……。

 

 仕方がない。

 莉緒のことが好きなら、信じる以外に方法はない。

 不意に莉緒が尻尾を出すようなことをしない限り、莉緒が嘘をついていることは証明のしようがないのだ。


「……風華ちゃんと和也さんって、付き合ってどのくらいなの?」


「……一年くらい」


「今日は、二人は何をしてたの?」


「部屋にいた」


「部屋で、何をしてたの?」


「………………」


 俺は涙が出そうになってきた。

 もはや聞くまでもなかった。仮に莉緒の言うことが本当だったとしても、少なくとも、風華ちゃんと和也とかいう奴の愛の営みの一部始終を、莉緒は見て、聞いていたということになる。


 さらに言うなら……俺がエロ本の見過ぎなのかもしれないが、風華ちゃんの性格からして「莉緒もやってみなよ」的な感じで莉緒を誘っちゃいそうで。


 それで、引っ込み思案の莉緒も、あの男と風華ちゃんがするところやあの男の裸をずっと見せつけられて、喘ぎ声やぱんぱんと鳴り響く卑猥な音を聞かされ続けていたらそのうちジュン! ってなっちゃって、順番に入れ替わってあの和也とかいう男と──!


 いや、そもそもどの人格であったとしても、実際にしている・・・・のは莉緒の体なのだ。

 なんか頭も目もぐるぐる回ってる。パニックってまさにこのことだ。


「……ごめん。悠人のこと、傷つけたくなかった。きっとショックを受けると思って」


「受けてるよ! マジで混乱してるよ! だって──」


 莉緒の目尻から涙が落ちた。

 そんなこと言っても……俺も全然泣きたいんだが。

 仕方がないか……。莉緒の責任じゃないんだ。


「ごめん。つい……ほんと、どうしていいかわかんなくて」


「うん。わかってる。ごめん」

 

 俺たちは、しばらく無言だった。

 すぐには気持ちの整理がつけられそうにない。 


「……風華が、話したいって」


「……どうぞ」


 何を話したいのだろうか。もう全然頭が回らない。

 莉緒の表情は、いつもの無表情を経由して、すぐに朗らかな笑顔になった。

 でも、その顔にはさすがに感傷的な色が混ざっている。


「ごめんね、悠人。やっぱりショックだよね」


「………………」


「莉緒はね、風華が彼氏とセックスをするときは、自分の意識を心の奥深くに閉じ込めて、出てこないんだよ。そうした時は映像も音も何もかもが遮断されて受け取れない。まあ、さっきみたいにキスをする時くらいはそこまでしないから、見えてるし聞こえてるけどね」


「………………」


「でもね、同じ体をシェアしてるってところは、どうしようもないんだ。この体はベースとしては莉緒のものだけど、でも、風華や雷人も一人の人格なんだ。風華たちも、生きてるんだよ。自分の人生を生きてる。それだけは、悠人にもわかってほしいな」


 少しだけ悲しそうに微笑む風華ちゃんに、俺はどんな顔をしていいかわからなかった。

「あとは莉緒とお話ししてね」と言って、風華ちゃんはまた入れ替わる。

 うつむいて、沈んだ顔をする莉緒が、戻ってきた。


 さっき聞いた話を俺の中で消化するには、まだかなりの時間が要る気がする。

 俺は天井を見ながら考え込んだ。


 莉緒の意識が表に出ていようがいまいが、あの男は間違いなく莉緒の体とヤっている。

 莉緒の体は隅々まであの男にいじくり回され、あの男のいろんな体液を受け入れ、体にそれが残ったまま……その体で俺と会うんだ。


 それに、仮にこれから俺と莉緒が付き合ったとして、俺たちがすることは全て、あの雷人くんや風華ちゃんに見られちゃうんじゃないの??

 だって、莉緒は風華ちゃんがしてる時には意識を閉じ込めてるかもしれないけど、風華ちゃんが閉じこもってくれるかどうかはわかんないよね!?


 えっ、そしたら他二名・・・に見られながらすることになっちゃうじゃん……うわー、それはそれで激ハズなんだけど。


 色んな思いが駆け巡って一人で悶える俺。

 そんな俺の顔色を黙ってうかがっている感じだった莉緒は、いつものようにうつむいて、影のある表情をして言った。


「……こんな女、嫌だよね」


 沈んだように言う莉緒を見て、俺はハッとした。


 莉緒は、友達はいないと言ってた。ずっと人を近寄らせないようにして生きてきたのかな、って俺は思ってたけど、きっとそれは間違いないんだろう。


 前に部屋で二人っきりになった時も、莉緒は俺に寄りかかって泣いた。苦しい過去を背負っていなけりゃ、あんなふうに泣くわけがないと思う。


 それに、前に風華ちゃんも言ってたんだ。莉緒が、男の子をお昼に誘ってほしいって頼んできたのは初めてだって。


 つまり、ずっと一人で生きてきた莉緒が、初めて勇気を出したのが俺だったんだ。俺が、莉緒の一人目・・・・・・に選ばれたんだ。


 その俺が、ただ彼女の事実を知っただけの段階で、色々ややこしそうだってだけの理由で、即座に莉緒を切り捨てて尻尾を巻いて逃げるのかよ?


 不良からは逃げてきたさ。あんな奴らに逆らって怪我するのは馬鹿らしい。二、三千円程度の金で難を逃れられるなら安いものだから。


 でも、ここで逃げるのは訳が違う。莉緒がとんでもなく傷つくんだ。勇気を出して俺を選んでくれた莉緒のことを見捨てて切り捨てるのは、不良に屈服するのとは訳が違う!

 

 莉緒と付き合えたらいいな、って思ってたろ?


 なら、努力してみろよ俺!  

 もしかすると、何か方法があるかもしれない。三重人格をなんとかすることはできなくても、俺や莉緒が幸せになれる方法が、何か。


 だから俺は、敢えての笑顔でニヤッとしてやった。

 莉緒はまさに鳩が豆鉄砲を喰らったように、口を半開きにしてアホみたいな顔をする。


「……は。んなわけねーだろ。俺はお前のことが大好きだ、莉緒」


 唖然としていたが、莉緒はやがてひくひくと小さく震え始める。


 俺をじっと見つめたまま、表情を変えることなくスッと涙の筋が落ちた。

 表情はほとんど変わっていないはずなのに、張り付いていた影はいつの間にか消え失せて、幸せそうな感情がはち切れそうなほどに広がっている。


「……私も好き。あなたのことが大好きだよ、悠人」


 互いの体を無我夢中で引き寄せて、俺たちはまたキスをする。

 この日、俺たちは付き合うことになった。





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