第3話 阿修羅少女



 人生で初めて女の子と二人っきりでお昼を食べることになった俺。

 学校の中庭にあるベンチに座って繰り広げられた会話はこんな感じだった。


「あの。天堂さんって、ずっとこのあたりに住んでるの? 俺はさ、生まれは大阪でさ。でも、生まれてすぐにこっちに引っ越してきたんだ」

 

「…………」


「あ……と、天堂さんっていつもお弁当なの? それって自分で作ってるの?」


「…………」


「うぅ。そういやさ、食べ物では何が好き? そのお弁当のメインは唐揚げだから、中華とかが好きなのかな?」


「…………」


「ぐ……。天堂さんはさ、趣味とかある? 俺は漫画が好きでさ、一番好きなやつは格闘漫画なんだけど。そこに出てくるキャラでさ、壁にピタッと手のひらを密着させたら真空を作れる奴がいてさ、それがすげぇのったら。どんなものでも手のひらを当てるだけでバアン! って破壊しちゃってさ、強化アクリルで作られた牢獄に閉じ込められても全然余裕で逃げられ────はっ」


 好きなものを喋らせたらひたすら早口になるという陰キャ独特の性質をいつの間にか披露していた俺。

 そして、ただただ表情を変えずにお弁当を口に運び続ける天堂さん。


 俺は普段、別におしゃべりとかではない。というかむしろ喋るのは比較的苦手なほうなのだが、彼女もまたうつむいたまま無言でお弁当を食べ続けていたから、俺が喋らないと無言の時間がひたすら支配するのだ。


 だからこのように頑張ってみたのだが、努力の甲斐もなく、今のところ俺は天堂さんから一言たりとも言葉を引き出すことはできていない。

 リアクションを期待すると虚しくなる。大体からして、喋るつもりがないならどうしてお昼に俺を誘った!?


 こうなったら自分の好きな漫画のことをひたすら一方的に語り続けてやろうと心に決めた俺。

 喋ることはまだまだあるぜ。筋肉で散弾銃を止める男とか、自由の女神を拳一つで倒せる男の話とか──!

 俺が鼻息を荒くしたとき、彼女がとうとう口を開いた。 


「……あの時さ。どうして私のこと、かばったの?」


「あの時」とは、おそらく教室で文化祭の話をしていた時のことだろう。俺が天堂さんをかばったのは、後にも先にもその時だけだ。   

 

「何も、あんなふうに責めなくてもいいんじゃないかと思ってさ」


 それは本心だった。神田と上田の言っていることの全てが間違っているとは言わないが、あんなふうに責め立てる必要はなかったはずだ。

 あれはきっと、誰もが認める天堂さんの美貌に対するやっかみみたいなものが混じっているのではないかと思えたし。


「責められてもいい。あれは罰なんだ」


「罰?」


「……私が責められても、別にあなたは辛くないでしょ。あんなことしても、あなたにとってなんのメリットもないし」


「メリット……ですか」


「もしかして、ああすれば私が手に入ると思った? 男ってみんなそうだもんね、ヤレたらいいんでしょ。それとも、偽善ぶって助けて、私が泣いて感謝するとでも思った?」


 思いのほか、キツめの言い方をされてしまった。

 ただ、この点については俺にも思うところはあった。


 あの時、彼女をかばった理由。


 助けたい気持ちはもちろんあったが、言葉が口を突いて出た最たる原因は、弟のことが頭によぎったという個人的理由である気がする。

 そうだとすると、まあ、詰まるところ自分のためにやった……というわけで。


 体裁を取り繕っても仕方がない。

 俺は正直に言うことにした。


「俺、弟いるんだけど。颯太そうたっていうんだけどね。理由はわからないけど、颯太は学校に行くのがだんだん不安になっちゃってさ。

 泣きっ面に蜂ってやつかな。そんな中で颯太をバカにする奴らが現れて、それでどんどん調子に乗った奴らからいじめられた。

 今、颯太は学校へは行ってないんだ。なんとなく、そんな颯太と天堂さんが被って見えて……居ても立ってもいられなくなった。

 迷惑だったらごめん。俺が単にあいつらにムカついただけなんだよね、きっと」


「……思ったからってすぐに行動しちゃったら、後で大変なことになる。きっと神田さんや上田くんから恨まれちゃうよ」


 ほれみろ、自分の都合じゃないかと嘲笑されるのを覚悟したが、天堂さんはそんなことは言わなかった。


 しかし、彼女の言うとおりにするなら、天堂さんが責められていたあの場面で、俺は黙ってなきゃならなかったことになる。

 自分の気持ちを抑えて、じっと。


「自分のことを抑えて生きるよりいいと思うけどね」


「わかったようなこと言わないで。自分を出して、それで大変なことになったことがないからそんなことが言えんの。自分なんて、出さないほうがいいんだ」


 なんか、天堂さんから嫌われてるのかなぁ、俺。

 てか、そもそも嫌ってそうだった。かばった時だって物凄い目で睨まれたし、さっきだって勘違いすんなとか言われたし。

 でも、どうしてこの子は、そこまで自分のことを出さないようにしているのだろう。


 思いつきで行動して、大変なことになった。

 だから、自分のことを一切出さず、誰とも話さず、全く人と関わらずに、ずっとひとりぼっちで生きてきたの? いったい、どんな目に遭ったっていうの?


 つらそうに顔を歪める天堂さんを見ていると、なんだかこっちまで心が痛くなりそう。

 俺に向けられていると思っていた言葉の刃が、実は彼女自身をズタズタに切り裂いている気がして、俺はどういう態度をとったらいいのかわからなくなった。


 でも、心なしか、いつもの天堂さんよりも俺は好感が持てた。


 いつもの天堂さんは、無機質で、冷たくて、近寄るものを跳ねつけるんだけど。

 今の彼女は、俺のとった行動や言動に対して、本音で対応してくれているような気がしたから。


「自分のことなんて出さないほうがいい」なんて言ってるけど、その言葉自体が彼女の意見。モロに自分を出していると思う。それを俺に伝えてくれているこの状況は、まるで俺に心を開いてくれているかのようで。

 そう考えると、俺は少し嬉しくなってしまった。


「……そうやって、自分の思ったことを俺にぶつけてくれる天堂さんのこと、すごく好きだよ、俺は。思ったことをきちんと出していく延長線上に、人を幸せにしたりすることがあると思うんだ。だから、大変なことになんてならないよ、きっと」


 悩んだ末に結局こんなことを言う。きっとまた「わかったようなこと言わないで!」とか言われちゃうんだろう。 

 これもまた、天堂さんのことを傷つけたりしたのかもなぁ……。

 すると彼女はうつむいたまま、


「……幸せになったの?」


「え?」


「私が、思ったことを、青島くんにぶつけて。青島くんは、幸せになったの?」


「うん……そうだね」


 なにも言わずに暗い顔で睨むよりは、と付け加えるのを俺は省いた。

 天堂さんはみるみる頬が赤くなっていき、まるで子供のようにあどけない表情をしながら、膝の上で指先をクニクニし始める。


「……じゃあ、私、どんどん思ったようにしていいの? そうしたら、幸せになってくれるの?」


「えーと。もちろん。……それはもちろんそうだよ! そうすればするほど、幸せになるよ」


 君の周りの人たちが、と付け加えるのを俺は省いた。

 ぽっぽと沸騰したようになる天堂さんを見て、俺はあることに気づく。

 

 これは、日頃から暗い顔で周囲を寄せ付けないようにする天堂さんを、明るくて太陽のように笑う女の子にするチャンスかもしれないのだ。名付けて天堂莉緒太陽化計画!

 そう思った俺は、どんどん褒めていこうと決意する。


「でもね、天堂さんはそもそも幸せにしてるよ! 君はすごく可愛いから、そこに居てくれるだけでも幸せだよ」


 君の周りのみんなが、と付け加えるのを (以下略)


「やめて! そんな……そんなふうに言うの、やめて。キモい。エロい。女ったらしだ。最低だっ」


 耳まで真っ赤になった天堂さんは、両手で自分の体を抱くようにしながら目にいっぱい涙を溜めて俺を睨む。

 ちょっとやりすぎたか。もっと徐々に、段階を踏んでやっていかないといけないかな。


 とりあえず、突発的に思いついた計画が順調に進みそうな予感がして俺は満足していたんだけど……突然、天堂さんの表情がスッと変わった。

 なんというか、一瞬無表情になったかと思うと、急に仁王像のような怒り満点の表情に。

 

 直後、バチーン、という音が鳴り響き、少し遅れて俺の頬がヒリヒリする。

 ビンタされたのだと気づいて、俺は頬に手を当てながら呆然とした。

 次いで、巻き舌になった天堂さんがとんでもなく低いドスの利いた声で言う。


「てめぇ……莉緒が泣いてんじゃねえかコルァ。あいつを泣かす奴はどんな理由があろうとこの俺が許さねえ。教育してやっからかかってこいこの野郎」


 びっくりするくらいヤンキーのような雰囲気が全開。

 顎を上げながら人差し指をクイクイやって俺を挑発する天堂さんは、なぜか目尻から涙を垂らしながらニヤッとしていた。

 

 なにこれ!? どういうこと!? 

 笑いながら泣いて怒ってる!?


 当然、俺は訳がわからず放心していたのだが。

 そうこうしていると、またもや意味不明な独り言が天堂さんの口から放たれる。


「……おい、なんだよ風華。俺が間違ってるってのか? …………ふぅ。ああ、わかったよ。とりあえず俺は一発入れたからな。あとはお前に任せるわ」


 そしてまた無表情になる黒髪の美少女。なんだろう。俺は何を見せられているんだろう。

 次に顔に表情が戻った時には、天堂さんは妖艶で朗らかな笑みを浮かべていた。

 次から次へと表情がコロコロ変わる。この一連の様子から、俺はなぜか頭の中に、三面の顔を持つ阿修羅像を思い浮かべていた。


「……やぁ、悠人。ごめんね〜ホント。バカが勘違いしてぶっ叩いたりしちゃってさあ」


 何言ってんの? とよっぽど言ってやりたかったがまたもや俺は平常心を保てていなかった。

 天堂さんは、指の背でそっと自分の涙を拭う。

 と、彼女は不意に俺の腕へ自分の腕を絡めて抱きつき、まだ潤んだままの瞳で俺の顔を見上げる。

 色っぽいお姉さんを連想させる声で、天堂さんは俺に囁いた。 


「ふふ。風華は嬉しいよ。莉緒はね、誰かをお昼に誘ったことなんて今まで一度もないんだ。男の子をお昼ごはんに誘ってほしいなんて風華に頼んできたのも、君が初めてなんだよ。恥ずかしがって引っ込んじゃったけど、きっと、よっぽど君のことが気に入ったんだね」


「……〝風華〟って、誰ですか?」


 ついに俺の口は、「何言ってんの?」に代わるセリフを──俺の心を代弁するセリフを紡ぎ出してくれた。

 聖女とAV女優を足して二で割った女の子は、さっきから至近距離で見つめ続けていた俺の顔からようやく視線を逸らすと、


「莉緒。いい? 話しても。……うん。もちろん。話すのはそこだけだよ。オッケ!」


 まるで誰かと相談するように独り言を言う。

 誰かに何らかの許可をとったような素振りを見せたのち、大きな瞳を再び俺へ向けた天堂さんからの回答は、俺の想像を超えていた。


「風華ってのはね、あたしのこと。莉緒のカラダに存在する、〝莉緒〟以外の別人格。ああ、じゃあついでだから、もう一人のほうも紹介するね! あんま会いたくないかもしんないけど。あはは」


 カラカラと笑ったかと思うとまたもや無表情。

 直後、もう二度と見たくない仁王のような顔がニヤッと笑みを浮かべて顕現する。

 は、ドスの利いた声で俺を威嚇するように話した。


「……よぉ。ただいまご紹介に預かりました、莉緒の中に存在するもう一人の別人格〝雷人〟です。よろしくな、ボウズ」


 パキパキと指を鳴らし、声色を変えて──いや表情も仕草さえも変えて脅すように喋った天堂さんの話をまんま信じると、どうやら彼女は三重人格らしい。

 これまでの出来事が何となくスッと腑に落ちた反面、「そんなバカな」と俺は心の中で呟いた。




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