第2話 風を操る少女




 天堂さんに不良から助けられ、無事に──とは言えないが、ボディブロー一発で済んだ俺は、なんとか学校へ行くことができた。


 俺の席は窓際の最後列で、天堂さんの席はその隣。お隣同士の俺たちだけど、今まで一度も話したことはない。

 でも、可愛くて影のある表情をする彼女のことが気になっちゃう俺は、普段からちょいちょい眺めたりしていた。そう、どこか別の場所や別の人を見るふりをしながら横目でさりげなく。


 そんなふうにしていくら眺めてみても、いつもなら隣席の美少女の視線は黒板と机を行ったり来たりするだけなんだけど。

 さりげなくを装った俺の視線が、今日は天堂さんの視線とバッチバチに合う。すなわち、天堂さんも俺をチラチラ見てくるのだ。

 ただ……なぜか軽蔑したような冷たく暗い目つきで。



 莉緒は、お前と交尾したいと思っている────。



 事情も何も全くわからない中で唐突に天堂さん本人から言われた謎のフレーズが、いつまでも俺の脳に刻まれている。


 それが本当ならマジですぐにでもお誘い申し上げるところだが、さっきからちょいちょい俺に向けられている凍てつく視線が、危うく燃え上がりそうだった俺の情欲をカチンコチンに冷やしてくれる。


 まさか、ぱんぱんに侮蔑を含んだ天堂さんのこの視線は、俺が内に抱いた情欲に向けられているのだろうか?

 だとしたら全くもって心外だ。そんなの、「交尾したい」だなんて意味不明なアピールを先にしてきた天堂さんが悪いのだ。


 まあでもよく考えればそもそも怪しい会話だった。

「莉緒は」って、お前が莉緒だろ、という至極当然のツッコミすら反射的には出てこない異常な状況下だったし。


「異常な状況下」ってのが何かって言うと、具体的には……

 天堂さんは、実はスタンガンを常時携行していてゴツい不良を一撃で倒して。

 不良みたいな男口調で喋って、自分のことを「俺」って言うことだ。


 その後、なぜかまた一人称が「俺」から「私」に戻った天堂さん。こっちはあの不良チックな雰囲気じゃなくて、表情に影のある大人しい印象。なんとなくいつもの天堂さんだと思った。

 そこで俺は、あの後、念の為もう一度天堂さんに尋ねてみたのだが。


「ス、スタンガンって、いつも持ち歩いてるの?」


「そうだよ……」


 流し目でボソリと言われ、背筋にゾワっと寒気が走る。


 美しさと暗さが混在した天堂さんの顔は何だか魔界の冷気を纏っていて、そのとき受けた印象が影響したのだろう、俺の頭の中には陰キャなサキュバスが思い浮かんでいた。


 色々気になって仕方がない。とりあえず休み時間になったのでトイレに行くため席を立ち、通り過ぎざま、俺は天堂さんをさりげなく窺った。

 

 天堂さんは、そんな俺に目ざとく気づいてすかさず冷たい視線を向けてくる。

 どうやら嫌われているようだ。そのとき受けた印象が影響したのか、俺は、なぜか塩対応をする大好きなアイドルの顔が思い浮かんでいた。

 

 トイレを終え、教室前の廊下の窓から曇った空を眺めた。まだ午前中なのに空はかなり暗くなっていて、今にも雨が降りそうだ。

 あれ、こんな天気だったかなと思ってスマホで天気予報を見ると、どうやら今日は昼から雨らしい。俺は全くもって天気予報など見ていなかったから、余裕で傘は忘れた。

  

「うわ──……。こりゃ帰りはびしょ濡れかぁ……」


「悠人くん?」


「うおっ」


 突然声を掛けられて飛び上がる。

 振り向くと、そこには天堂さんがいた。


「あ……と。ごめん、ちょっとビックリしちゃって。突然、声を掛けられたから──」


 彼女は後ろで手を組んで、小首を傾げながらふふ、と笑う。

 口端をスッと上げて、柔らかく、だ。こんな天堂さんは見たことがない。


 じっと俺を見つめる瞳は、まるで俺のことが好きなんじゃないかと思うほど妖艶な気配を漂わせている。俺は知らず知らずのうちに、聖女とAV女優を足して二で割ったらこんな感じかな──なんて考えていた。

 いずれにしても、最初天堂さんだと思った顔の印象は、見れば見るほど違って見えてくる。


「天堂さん? ……だよね?」


「そうだよ。他に誰に見えるかな? 〝天堂さん〟って、ちょっと他人行儀だよね。あたしのこと〝莉緒〟って呼んで欲しいな。あたしも君のこと〝悠人〟って呼ぶから。……ん? いいじゃない、別に。じゃああなたが自分で言う?」


 彼女はまたもや訳のわからんことを呟く。

 しかもその声はいつもの天堂さんらしくなく、色っぽくて、なんだかエロい妄想を俺の頭によぎらせるものだった。


 今まで一度も話したことなかったのに、こんな可愛い子をいきなり呼び捨てするなんてすごいプレッシャーだ。

 俺はまだそこまでの馴れ馴れしさを発揮できそうもなかったので、苗字で呼ぼうと心に決めていた。


「ね! 悠人、もしよかったら今日のお昼、一緒に食べない?」


「え……あ、ああ、いいよ別に……」


「約束だよ。莉緒も喜ぶよ」


 彼女は遠慮なく俺のことを呼び捨てにする。

 だからお前が莉緒だろ、とまた言いそびれた。彼女と対峙する時は、今のところ俺は平常心を保てていないのだ。




◾️ ◾️ ◾️




 お昼休みになったが、こちらから声をかけるべきかどうかで迷ってしまった。俺はまだ、彼女と仲良く喋ることに慣れてはいなかったから。

 隣の席にいる天堂さんのことをチラチラしながらまごまごしていると、天堂さんは迷いなく俺へ声を掛ける。


「悠人、いこっか」


「……はい」


 振る舞いに余裕がありすぎて一方的に気圧された。童貞が経験豊富なお姉さまに対してとってしまう態度がこれかも、と心の中で自然に今のこの状況を定義しまう。


 学校でも指折りの美少女、しかも普段誰とも話をせず独りを貫き通す謎多き美少女とのお昼に、何故か平民中のド平民である俺が付き合うという奇怪な現象。

 当然、クラスメイトたちはコソコソ話しながら俺たちのことを好奇の目でジロジロ見てきた。


 群衆から色眼鏡で見られることに慣れていない俺は、堂々と歩く天堂さんの後ろについて、気まずい思いを抱いたまま背中を丸めて教室を出る。

 廊下の窓から見える外は雨がシトシト降っていて、天気予報の通りとなっていた。


「あー。せっかく中庭で食べようと思ったのにぃ」


 天堂さんは、横目で空を睨みながら忌々しげにそんなことを言いつつ廊下を歩いていく。

 

 それにしても、一体どうしたんだろう。今日の天堂さんはあまりにも明るく、ともすれば陽キャの部類に属するのではと思うほどだ。

 いつもの天堂さんは、うつむき加減で、表情に影があって、ボソボソと囁くように喋るのに。


 中庭に隣接している食堂の中ではたくさんの生徒たちが列を作っていたが、俺と天堂さんはお弁当。だから列には並ばず、食堂を通り過ぎて中庭への入口に立った。

 だが、外は依然として、あいにくの雨。


「中庭はちょっと無理じゃない? そんな大降りじゃないけど、これじゃ──」


「うん。ちょっと待っててね」


 そう呟いた天堂さんは空を見上げる。

 つられて、俺も空を見上げた。


 暗い雲で覆われた空はちょっと待ったくらいでは晴れそうにない。中庭は諦めたほうがいいんじゃないかと、俺は思っていた。


 それにしても、やけに速い速度で雨雲が動く。

 ずっとこんな感じだったっけ? なんて思いながら呑気に眺めていると……


 空を埋め尽くす雨雲は、何故かみるみるうちに俺たちの頭上だけを避けるように掃けていく。

 あっという間に、まるで台風の目のように、俺たちの周囲だけ──おそらくこの街の直上だけが、ぽっかりと円形に晴れ渡った。 


「ほら、雨、止んだよ! ベンチは濡れちゃってるけど、風華ふうかは──違った。あたしはタオル持ってるから大丈夫。拭いて座ろうよ」


 天堂さんはバッグからタオルを取り出し、鼻歌を歌いつつルンルンしながら濡れたベンチをささっと拭く。


 さっきまであんなに厚い雨雲があったのに、突然この学校の周りだけが、まるで雨雲の侵入を許さない聖域にでも指定されたのかと思うほど綺麗な円形に晴れている。

「ちょっと待っててね」と天堂さんは言った。彼女は、今からこの場所だけが晴れることを知っていたとでもいうのだろうか?


 この怪現象を首を捻って考察しながら、ベンチを拭くために前屈みになっている天堂さんを後ろから何気に観察する。

 ああ、案外スカート短いなぁ……とか思っている時点で頭の中は煩悩でいっぱいになり、俺は知らず知らずのうちにIQが3くらいまで落ちていて。


 さらには、思いのほか肉付きの良い太ももが俺の理性をガッツリ削り取る。

 チラリとでもパンツが見える瞬間が訪れた場合にそれを絶対に見逃さないようにするため視線をスカートの裾に固定し垂れ落ちる涎にも気づかないほど神経を全集中させ始めた矢先。

 彼女はお尻を手で隠して不意に顔だけ振り向き、意地悪そうにニヤッとした。


「見たいの?」


「あっ……! いや、その」


「ふふ。さ、終わったよ。座ろっ」


 見えそうで見えない桃源郷が尾を引いて、理性の戻りは緩やかだった。

 何なんだよ! 見せてくれるのかくれないのか……いや今のは怒られなかっただけ良しとするか。


 いつもと真逆とも言える天真爛漫な天堂さんの様子は、まさにクラスの中心に祭り上げられ多くの男女に慕われるべき存在そのもののように思えた。

 人を寄せ付けないオーラを全開にしている普段の彼女の雰囲気は影も形も見られない。


 そういや、今朝、不良と対峙した時も天堂さんは様子が変わっていたが、そっちはとんでもなくワイルド……ってか不良みたくガラ悪かったし、マジで一体どういうことなんだろう。

 

 などと考えながら、隣に座る天堂さんのことを横目でチラ見する。

 と……天堂さんは固まっていた。

 グーにした両手を膝の上に置いて、うつむいて。


「どうかした? 食べようよ」


「……勘違いしないでよね」


 途端に暗い声と影のある表情になって、ボソボソと喋る。

 これは、間違いなくいつもの天堂さんだ。俺はそう思った。


 しかし、何のことを言われたか理解できなかった。前後の行動や言動を思い出しても脈略がないように思えて意味はよくわからない。

 スカートの中を見せてもらえると勘違いしたのを窘められたのだろうか。そうだとしたなら至極当然のことを怒られている。


「確かにお昼は一緒に食べるけど、別に、それだけだから。他になんかある訳じゃないから」


「あ……うん。〝他に〟って?」


「その……私があなたと仲良くなりたいだとか。こっ、こここっ、恋してる……だ、と、か」



 ん?



「うーん……と。仲良くなりたくないなら、どうして誘ったの?」


「それは。……積極的に仲良くしたい訳じゃないけど、仲良くなりたくない訳でもないというか。気になった訳じゃないけど万が一、いや幾千万分の一くらいは気になったのかもしれないし念のためっていうか。ってか風華が勝手に言っちゃったからどうしようもなかったというか。だから私のせいじゃないし、私的には、その──」


「え? 何?」


 小さい声で早口にゴニョゴニョ言う天堂さんは、頬を真っ赤にして、プイッと向こうを向いてしまった。




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