雨降り懍ちゃん

増田朋美

雨降り懍ちゃん

その日ものんびりと時間が過ぎていくひであった。なぜか時間がたつのは早いというのは、晴れているより、寒い日のほうが時間がたつのは早いなあと感じてしまうのは、なぜ何だろうか。

その日、御殿場の小久保法律事務所に杉ちゃんがたずねてきた。一体なんだろうと思ったら、小さな男の子を一緒に連れていた。男の子は、一応Tシャツをきてジーンズを履いていたけれど、なんだかそれが新しいものではなく、もうボロボロになっているところから、訳ありの子供さんではないかということがよくわかった。

「一体どうしたの杉ちゃん、こんな小さな子供さん連れてきて?」

弁護士の小久保さんがそう言うと、

「いや、こいつが、駅前で寂しそうにしているから、それで連れてきてしまった。」

と、杉ちゃんは言った。

「親御さんを探してみたけど、だれも来ないし、反応はないし、だから、可哀想だなと思ってさ。それで連れてきて来たんだよ。」

「そうですか。それでは、彼の名前はなんですかね?」

と、小久保さんがきくと、

「はい。小橋一也。」

と、彼は言った。

「そうか、じゃあね、一也くん。親御さんとはどこではぐれたの?」

と、小久保さんが言った。

「親なんて、いるのかな?」

一也くんは小さな声で言った。

「だって親御さんがいなければ、お前さんも生まれて来なかったじゃないか。そうだろう?」

杉ちゃんがいうと、

「でも、いるかどうかわからない。僕の方なんか見向きもしない。パソコンばかり見てる。」

一也くんは小さな声で言うのであった。

「パソコンばかり見てるのか。それじゃあ、ライターとか、そう言う仕事をしているのかなあ?」

と、杉ちゃんが言った。

「ううん、そう言うことなのかわからないけど、今日もパソコンの画面を眺めて、また発送とか、そんなことを言ってるよ。発送して、送り状書いて、おじいちゃんの世話して、それで終わりなんだ。僕なんか、いないほうがいいんだよ。だから僕、逃げてきた。」

「フムフムなるほどね。つまりクラウドワークスみたいなサイトで働いているのかな。それもまた仕事ではあるが、それだけがすべてというわけではないよねえ。お母さんは、そう言う仕事してるのかもしれないけど、でも、お前さんのことほっぽらかしってのは寂しいな。」

杉ちゃんが一也くんににこやかに言った。

「お母さまにちゃんと言ったらどうですか?仕事ばかりしていないで、僕の方みてって。それとも他のことで悩みがあるのですか?」

小久保さんが一也くんに聞くと、

「はい。どうしても発送ができなくて。仕事が忙しすぎて、お客さんのことかまってやれない。お客さんは、何日までに届けてとか、いろいろ指定してくるけど、そのとおりにはできないんだっていってました。」

そう言う一也くんの話から、なにか物品の販売をしているのかなと思われた。 

「まあねえ、でも、お母さんに、僕のことちゃんと見てって言うのは、悪いことではないと思うよ。一応、子供であっても、言論の自由は保証されてるんだからね。それは、ちゃんと子どもの権利条約ってのがあるんだから、それはちゃんとしよう。」

小久保さんが弁護士らしくそう言うと、

「でも、本当は僕が消えたら良いと思ってるんだよ。ママも、そう言ってるよ。」

と、一也くんは言った。

「はあ、つまり、お前さんに消えてしまえと直接言ったのか?それは人権侵害だ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「だってそれが一番いい方法だって、ママが言ってた。」

という一也くん。杉ちゃんと小久保さんは顔を見合わせた。

「ということは、つまり、お母さんがネグレクトをしていると、考えられますね。そういうことなら、もしかしたら、警察に訴えることが必要になってくるかもしれませんね。どうでしょう、お宅を訪問してみましょうか?」

小久保さんがそう言うと、

「だってママが、僕が消えれば一番だって。」

一也くんは涙をこぼした。

「だから、僕が消えることは一番じゃないの。お前さんは、消えてしまえばいいって思ってるんでしょうけど、それは、やってはいけないことでね。だから、なんとかしなければいけないことだと思って頂戴!」

杉ちゃんが一也くんの肩を叩くと彼は、わーんと声をあげて泣き出してしまった。

「ああすまんすまん。それなら、お風呂屋さんでも連れて行ってやるか。だってお母ちゃんに、なんとかしてくれって言ったって、無意味なんでしょう?そういうことなら、お母ちゃんが悪い。お前さんは何も悪くない。それなら、もっと、責任持ってなんとかしてくれる大人がいるところに行ってみようよ。法律的なことは、この小久保さんというおじいちゃんにまかせてさ。小久保さんは、そういう悪い人をやっつける任務を背負ってるのさ。だから、お前さんをここへ連れてきたわけ。お前さんのお母ちゃんのしていることは、悪事に当たるわけだから、それは罰されなくちゃいけないの。それは、わかるね?」

杉ちゃんがそう言うと、一也くんは、

「でも、僕はママが好きで。」

と、言った。

「そうなんだね。じゃあね一也くん、お母さんの名前は?小橋何ていうのかな?」

小久保さんが聞くと、

「はい。小橋冴子。」

一也くんは答えた。

「小橋冴子さんね。それで、仕事は何をしているのかな?」

小久保さんが聞くと、

「わかんない。」

と、一也くんは答える。まあ確かに、一也くん位の年の少年では、お母さんが何をしているかなんて、言えないかもしれなかった。それなら仕方ないと思って、杉ちゃんも小久保さんも納得した。

「わかりました。じゃあ、そういうことなら、僕が調査してみます。杉ちゃんは、とにかく彼になにか食べさせてあげて安心させてあげてください。」

小久保さんがそう言うと、杉ちゃんはわかったといった。とりあえず小久保さんが用意してくれたタクシーで杉ちゃんと一也くんは、小久保法律事務所を出ていった。小久保さんは、小橋冴子さんという女性を調べるため、カバンを取った。

杉ちゃんと、一也くんは、小久保さんの用意してくれたタクシーに乗って、富士市の製鉄所へ戻った。ちなみに、富士市へ戻るのは御殿場からではあまりむずかしいことではない。山道を使っていけば、すぐ行ける。それはタクシーの運転手も知っていて、二人を送ってくれたのであった。

「ただいまあ。」

と、杉ちゃんが製鉄所の玄関の引き戸をガラッと開けると、

「ああおかえり杉ちゃん。いま青柳懍先生が来てるよ。何でも、これからまたすぐに中国へ行くんだって。それで、飛行機まで時間があるから、よって見たって。」

水穂さんが、杉ちゃんのところにやってきた。それと同時に、車椅子を動かす音がして、青柳懍教授がやってきたことがわかった。もう、83歳のおじいさんであるが、白髪の髪を腰まで伸ばしていたし、マルファン症候群特有の尖った長い耳を持っていたところから、一也くんは思わず、テレビゲームのキャラクターと考えてしまったようで、

「妖精が車椅子に乗ってる!」

と言ってしまったのであった。青柳先生は、一也くんに、

「どこから来たのですか。この少年は。」

と杉ちゃんに聞いた。

「御殿場駅の前をウロウロしてたから連れてきた。何でもお母ちゃんが育児放棄してるみたいでさ。それで小久保さんに調べてもらってるの。まあ、逮捕されるのは時間の問題だろ。可哀想だけどしょうがないよな。まあこういうのは親が悪い。」

杉ちゃんが答えると、

「そうですか。いわゆる児童虐待というわけですね。日本では、それが流行っているみたいですね。先日までいた、トゥルン族のむらでは、子供に暴力を振るう親は一人もいませんでした。子供はトゥルン族の宝だと言って、みんなでかわいがっていましたけどね。」

と、青柳先生は言った。ちなみに青柳先生は、現在ベルリン芸術大学で教鞭をとりながら、時々、未開の部族に絵を描くことを指導に行ったりすることもある。というより、一年の大半はそれで過ごしている。トゥルン族は、中国の少数民族で、大変貧しい暮らしを強いられている部族でもある。

「そうなんだねえ。そういう奴らは、みんな子供を大事にしてるんだな。少し原住民を見習えだな、日本人も。」

と、杉ちゃんがでかい声でいうと、

「ええ。でも、そういう人たちだからこそ、日本人は信用できないっていうんですよ。なんでもスマートフォンで操作してしまうやつは、信用できないというのです。それよりも、狩猟と採集生活のほうがよほど良いって言われました。だから、苦労しましたよ。トゥルン族の人に、受け入れてもらうの。」

と、青柳先生は言った。一也くんは、それを興味深そうに聞いている。

「で、どうして受け入れてもらったんだ?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい。ちょうどトゥルン族のむらで、旱魃が発生しましてね。それで、雨が降るのはいつかと僕に聞いてきたんです。ちょうど、頭上を見たら、積乱雲がたくさん出ていましたので、あと数分で降ると言ったところ、本当に降ってきましたので、皆さん仲間に入れてくれました。僕はトゥルン族から、雨降り懍ちゃんと呼ばれてました。」

と、青柳先生は答えた。

「雨降り懍ちゃんね。意外にそういうことで、原住民は受け入れてくれるんだね。」

「ええ、テレビもなければ、ガスも水道もなく、天気の予想だって全くできないわけですからね。そういう天気の話をすると、意外に受け入れてもらえるんですよ。お金も無いし、文字もないし、着るものは布を肩に巻くだけの簡単な生活です。ですが、彼らはそれで十分やっていけるんですね。いろんなものに頼る必要もないですしね。」

青柳先生がしみじみとそう言うと、

「僕、お腹すいた。」

と一也くんが言った。杉ちゃんが急いで、

「わかったわかった。よし食堂へ行こう。そこで何か食べさせてやるから。」

と言って、一也くんを食堂へ連れて行った。そして冷蔵庫を開けると、餃子があったので、とりあえずそれを焼いて、一也くんの前へ出してあげた。一也くんは本当に食べて良いのかという顔をしたが、杉ちゃんが食べろというと、彼は急いで食べ始めた。始めの一口は慎重だったけど、すぐにガツガツ食べ始めた。

「うまいか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ウン!ありがとう!」

と一也くんは言った。

「それで、あなたは、お母様から虐待があったと言っていますけれども、直接暴力を振るうとかそういうことがあったんでしょうか?」

青柳先生が、杉ちゃんに聞いた。

「ううん、そういうことはないよ。ママは、僕のことはほとんど見てくれないから。僕は、一人で起きて、一人でご飯を食べて、一人で保育園のバスに乗る。そして家に帰ったら、一人で夕飯を食べる。」

一也くんはそう虐待の実際を話してくれた。

「そうですか。そんなこと、トゥルン族の人が聞いてたら、絶対怒るでしょうね。大事な子供をそんなふうに放置するとは何事だと。」

青柳先生がそう言うと、

「そうなんだ。ねえ、雨降り懍ちゃん、僕も、トゥルン族のむらに行っていいかなあ?だって、そこの人たちは、僕らを大事にしてくれるんでしょう?もう、こんな寂しい生活はもう嫌だよ。」

一也くんはそんな事を言った。

「いやいや、それはいけません。日本人は、ちゃんと日本のために働かないとね。それは、しっかりするんですよ。それは、ちゃんと日本の未来をになっていくんだからそれはきちんとしなければね。」

と、青柳先生は一也くんに優しく言った。

「でも、僕いつまでも寂しい生活を強いられるんだね。」

一也くんは小さな声でいうと、

「いえ、そんなことはありません。あなたは、変わる権利があるんですから。それは、ちゃんとしなければだめですよ。もしかしたら、あなたを大事にしてくれる新しいご両親のもとへ行くことになるかもしれません。でも、それは、あなただからできることもきっとあるでしょう。それを大事に、生きていかなければだめなんですよ。」

と青柳先生は言った。

「さすがとんがり耳の雨降り懍ちゃん。教育者らしくそういうことをいう。」

と、杉ちゃんがでかい声でいうと、

「杉三さん、人をばかにするようなことは言ってはいけません。」

青柳先生はすぐ杉ちゃんに言った。杉ちゃんのことを杉ちゃんと言わないで、杉三さんと本名で呼ぶのは青柳先生だけである。そこは今も昔も変わらなかった。

「ほら、もっと食べろや。きっとろくなもの食べてなかっただろ。多分、カップラーメンとか、そういうものばっかり食べて、ちゃんと栄養のあるもの食ってなかったんじゃないのか?だから、ほらもっと食べるんだ。」

と、杉ちゃんに餃子を追加してもらって、一也くんはガツガツと餃子を食べ始めた。

一方その頃、小久保さんは、小橋一也くんが通っていた保育園を突き止めて、保育士の先生から話を聞いていたところだった。

「それで、小橋一也という園児は、なにか問題があったのでしょうか?」

小久保さんが保育園の保育士に聞くと、

「ええ。ありましたねえ。とても深刻な問題が。一也くんのお母様に何度も抱きしめてあげてくださいって言ってるんですけど、何もしないんです。それではいけないって何度も言ったんですが、全く聞いてくれませんでした。何でそうなってしまうのかなと思いますけどね。」

と、保育士の先生は言った。

「それではどうして、一也くんのお母様は、一也くんの育児放棄をするようになったんですかね?なにか理由でもあったんですか?お母さんが、新しい恋人ができたとか?」

と小久保さんが聞くと、

「ええ、、、。それがですね。」

別の保育士がそういうことを言った。

「なにか特別な理由があったんですか?」

小久保さんはすぐきくが、

「何でもお母様に負けたくないって言ってましたよ。お母様が、一也くんに手を出してくるから、それをなんとかしたいって言ってました。だけど、あたしたちにしてみれば、一也くんはおばあちゃんのいるところに行ったほうが、良いと思ったんですが?」

と、先程の保育士は、そう答えるのである。

「なるほど。つまり一也くんにとってはおばあさまとの確執があったということですね。」

小久保さんがそう言うと、

「ええ。そうなんです。でも別に大変な作業をしているとか、生活に困っているとかそういうことではないんですよ。ただ、その高校のこととか、そういうことで、なにか揉め事があってそれがいつまでも頭に残っているらしいんです。だから、お母さんに勝つんだ勝つんだって、よく言ってました。もう良いじゃないかって、思い直すべきじゃないかと思うんですけどね。それで一也くんに、当たり散らすようになったんじゃないかって、あたしたちは思ってました。」

最初の保育士が言った。

「はあなるほど。そういうことですか。わかりました。一也くんの育児放棄をしているのは、そういう理由だったんですね。そうなると、お母さんの方に、反省の必要がありそうですね。お母さんは、仕事は何をしているのでしょうか?」

と小久保さんが聞くと、次の保育士が、

「ええ。なんでも、介護施設で働いているとか言ってました。まあ、そういうことなので、需要がある仕事ですから、生活には困らなかったんでしょうけど、でも、一也くんには寂しい生活ですよね。」

と、言った。小久保さんはそれを丁寧にメモをした。

「わかりました。一也くんにとってはおばあさまですが、その方は今でも存命なのでしょうか?」

小久保さんがそうきくと、

「はい。今でも元気でいるみたいですよ。何かケアマネージャーの仕事してるみたい。」

次の保育士が答えた。

「はあそうですか。ケアマネージャーと言うなら、すごいことですね。それでは人望も厚いでしょう。そうなると、一也くんのお母さんの孤独感はまたすごいことでしょうね。」

小久保さんは、なるほどという顔をした。これは非常に難しい問題だなと思った。確かに、一也くんがお母さんから育児放棄をされていることは間違いないが、それは同時に、一也くんのお母さんが、子供の頃に受けた心の傷を放置していることでもある。もし、一也くんのお母さんを、虐待で立件することは可能であるが、もし児童相談所などがおばあさんの家に彼を預ける処置を取ることになったら、おばあちゃんの勝利ということになってしまう。

「でも、弁護士さん。一也くんは、保育園で飼っているうさぎの世話も一生懸命してくれる優しい子です。自分がしてもらえなかったことを、ウサギさんにしてあげてるんですね。その優しさを、一也くんから取ってはならないと思うんですけどね。」

と、初めの保育士が言った。小久保さんは、そのようなことを聞いて、余計に大人のわがままというのはすごいなと思うのであった。

「ねえ、雨降り懍ちゃん。トゥルン族の人は、本当に優しい人ばっかりで、怖い人はいないの?」

一也くんは、青柳先生に言った。

「どうしてそういうことを言うのですか?」

と、青柳先生が聞くと、

「だって、僕のママはいつも、何であんたはこんなこともできないのって怒ってるから。それはどうしてそうなのか、わからないんだ。なんでだか知らないけど、僕のことを、怒るんだ。でもおばあちゃんが、怒りすぎるというと、何も言わないんだ。」

一也くんはそういった。

「そうですねえ。確かに、トゥルン族の人たちは、電気もガスも水道も無いわけですから、よほど苦労は多いので、怒ることは少ないと思いますが、間違いなく、子供を放置したりすれば、激怒すると思いますよ。」

と、青柳先生が答える。

「そうなんだ。僕も、雨降り懍ちゃんといっしょにトゥルン族のむらに行きたいな。」

「だから、もう一度いいますが、あなたは日本の未来をになっていく人間なんですから、そのようなことを言ってはいけませんよ。それに、トゥルン族の人たちは、こんな不良を見習ってはいけないと、笑うでしょう。」

一也くんの言葉に、青柳先生は、にこやかに笑って、そう答えたのであった。一也くんは、にこやかに笑って、はいと小さな声で答えたのであった。


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雨降り懍ちゃん 増田朋美 @masubuchi4996

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