夏 夏の終わりに 二人で世界を作る奴らは認めねぇ!
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は大学一浪中の身。
充実していた筈の学生生活も自身の受験失敗等諸々で全てはご破算に。
今は「ソウシ」と手をつなぐ仲だが、お互い気持ちを表すことのないまま、気も漫ろ。
こんなことで捲土重来は達成できるのか?
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夏休み期間が終わる日、同窓会の委員懇親会があった。
成績が学校を通じて伝わっていたのか否か、僕とソウシにも久々に声が掛かった。懇親会の前に、少し作業があるというので食事の後、直ぐに一高に向かった。簡単な事務作業を二人一組ですることになっていて、僕らは、自然と机を向かい合わせて作業を始めた。
「作業も懐かしいよね。」
「前はバタバタしてたから、あんまりお互いのことも知らなかったしね。」
「上の期の人の名前の方がよく頭に残っていたりして。」
「そうそう、同期の方が意外とよく知らなかったね。」
「私はギエンの事、前から知っていたよ。だって、普段下駄でガラガラやってきて。髭ぼうぼうで、学生服も綺麗なんだか汚いんだか分からなくてさ。それなのに、バービー人形みたいに綺麗な女の子とか、ブロンドのお姫様と常時一緒で、『何あれ、凄く怪しい奴』て思ってた。」
「まあ、
ブロンドのお姫様はエリーのこととして、バービー人形がベーデなのかシィちゃんなのか、多分ベーデなのだろうとは思いつつも、残暑見舞いの轍を踏まないようにさりげなく話題を変えた。
「そうそう、高校野球の予選が神宮であった日の夜、テレビに大写しにもなっていたじゃん。」
「あ、見た? あれ案外自己嫌悪だったんだけど。俺だって、ソウシは知ってたよ。一年の音楽祭。」
「うぅ…、それは鳥渡あまり触れられたくないぞ。いやあ、美術系なもんで、今ひとつみんな音楽祭にピンときてなくてさ、ええい、お前らにヤル気が無いんなら私がやってやるって、手を挙げたら、其の
「ソウシはY中の出身でしょう? どうして地元方面の学校に行かなかったの?」
彼女の家は横須賀の老舗料亭だ。
「近親憎悪かな、地元って矢っ張り良いところもあるけれど、どうしても飽きちゃうっていうか、厭な所も見え易いっていうか。勿論、自分の厭なところも知られている訳だし。何より明け透けすぎて自由が無いね。ギエンだって、わざわざ其様なに通学に時間かけるくらいなら、此処ほどではなくても自分で勉強すれば帝大に進学出来るくらいの学校は近くにあったんじゃないの?」
「以下同文だな。」
「あ! そうそう、最近のベスト盤を持って来たんだ、ヘッドホン持ってるでしょ? 聞く?」
「あぁ、聞く聞く、単純事務作業には音楽が一番だな。」
ソウシがヘッドホンジャックが二個付いた小さなラジカセを持ち出した。
夏も盛りを過ぎた午後の教室で、つい数ヶ月前まで使っていた少しだけ懐かしい机で作業をしているうちに、おケイさんのことを思い出した。去年の今頃は、丁度おケイさんに勉強を頼まれて一緒に勉強を始めた頃だった。あの頃は当然、二人とも制服だった。白を基調にした夏服が眩しかった。ポニーテールに結んだ髪を揺らしながら、身体を小刻みに揺すってクスクスと笑っていたおケイさんの姿が思い出された。イチの指摘通り、おケイさんからは、其の後、例の残暑お見舞い以上の手紙や連絡は無かった。
去年から更に遡った二年前、三年前の頃を思うと、懐かしさよりも切なさが壁のように立ちはだかって、記憶に鍵がかかったように前に進めなかった。そして卒業間際にまで戻ってみても、矢張り自分の不甲斐なさが故に手から離れて了った豊潤な期間が封印されていた。己の記憶の鮮やかさを呪いたくなるほど、それらの時日は明確に脳裡に再現された一方で、自分と其のフラッシュ・バックの間には現実と記憶以上のある厳格な透明な障壁が聳え立っていた。其の障壁を取り除いて素直に記憶として眺めるにも、これから将来の支えとするにも、自分が現在ある状態からどのような方面についても一歩前進しなければならないのだということは、嫌でも自覚は出来ていた。
ヘッドホンからは、キャント・テイク・マイ・アイズ・オブ・ユーが流れている。
今は目の前にソウシが居る。過去と向き合って透明の壁にぶち当たり、すごすごと現状に戻るなかで、淡々と事務作業をしている彼女を久しぶりというか、改めてじっくりと眺めた。
これまでの女の子達との出会いが全てそうだったように、憧れと日常の境というのは迚も偶然にやって来るものだと思った。僕が彼処でサラダを残さなかったら、手をつなぐことが出来ただろうか。そして、今、こうして二人で同じ曲を聴きながら、自然に何かをすることが出来ただろうか。解決しない問題がある一方で、踏み出してもよいものなのか否か悩みながらも、時間的にあと半年はどうにもならないことに諦めも感じていた。
カセットテープをA面からB面へとひっくり返す間、防音の聞いたガラスの向こうからアブラゼミに混じって、蜩の鳴く、もの哀しげな声が聞こえて来た。
彼女は黙々と俯き加減でカセットを操作している。軽く横分けにしたショートボブの髪が、黄色みを帯びたレンズの眼鏡にかかり、ゆったりとした曲線を作っていた。最初に目に焼き付いて離れなかった淡いピンクに細いブルーのストライプのボタンダウンのシャツ。すっきりと整えられた眉と、きりりと引き締まった唇に、生来の気の強さと意志の強さが滲み出ていた。
ソウシは、おケイさんの持っていたような内面の芯の強さが映えるのとは違ったタイプの女性だった。そう、おケイさんが典型的な大和撫子ならば、ソウシは欧米型の自己主張する強さをもった日本女性だった。見た目は純粋の日本人でも、どちらかといえばまだベーデやエリーに近い言動をする娘だった。
(あぁ、出過ぎず引っ込み過ぎず、今迄の中庸か?)
僕が、其様なことを頭で考えてぼーっとしていると、彼女は顔をあげてニッコリと微笑んだ。
「お待たせ。さあ、B面だよ。」
さて作業を始めるか、という時に、ラジカセをむんずと掴んだ手があった。
「ナーニしてんだよ!」
三期上の豊科さんだった。一九〇センチを越える長身で、元バレー部の主将。同窓会の役員を勤める弁の立つ人だ。
「俺は一人で世界を作る奴は認めるが、二人で世界を作る奴らは認めねぇ!」
そう言って、僕らを睨みつけると機嫌悪そうに向こうへと去って行った。
僕は豊科さんが苦手だった。大学でバリバリのマルクス経済学を専攻していて凡そ浪漫とか叙情とか、そういったものを一切認めない彼は、事あるごとに人間の心情などというものは無駄で軟弱だと言い放ち。議論と駆け引きだけで物事を解決することを好む人だった。
確かに委員会の作業の席で二人だけの世界を結果的に作って了ったのは良くなかったのかな、と少し反省したが、ソウシは豊科さんの後ろ姿を上目遣いで睨みつけていた。そして向き直ると小さな嘆息をついて、
「気にしない、気にしない、どうせ、またナツミちゃんにフラレたんだよ。」
と言い放った。
豊科さんは人間の心情を認めないとは言いながらも、僕らと同期の女子バレー部出身のナツミちゃんが大のお気に入りで、何度も告白してはフラレ、一人でファンクラブを作っては再チャレンジを繰り返していた。だが今で言うストーカーというような非道いものではなくて、道化にさえ思えるほどの哀れさをもった挑戦に見えた。
「でも何だかケチついちゃったね、止めとこか。」
ソウシがラジカセを鞄に仕舞い、他愛ない話をしながら懇親会までの作業を進めた。
懇親会では案の定、江別さんが成績の話をしてきた。今で言えば個人情報のなんたるやであるが、当時は其様なことは考えもしなかった。まあ、其の調子で頑張れと、励まされたが、ウィニーが来て居ないのが気になった。
懇親会で遅くなった時には、先輩方がハイヤーと称して自家用車(偶にレンタカーのときもあったけれど)で後輩を送り届けて呉れるのが通例だった。方角からして、ソウシは江別さんの車に、僕は豊科さんの車になった。
厭な予感が的中した。
「ギエン、お前、ソウシと付き合ってんの?」
高速道路に乗ると、いきなり直球の剛速球で質問が飛んで来た。僕は一番遠いので最初に降りるから助手席、後部座席には、同期で浪人中の北山が乗っていた。僕は現状とソウシの立場を考えて一瞬、口をつぐんだ。
「正直に言ってみ。」
答える義務などないことは分かっていたが、豊科さんの性格からして、僕の家までの凡そ一時間ほどの間、黙秘権が続くとは思えなかった。
「付き合っているとは思っていないです。」
「お前ら、常時手をつないで歩いているそうじゃないか。ウィニーが『あいつらは余裕ですよ。成績も付き合いも上々ですから』って昨晩言ってたぞ。」
ウィニーが来て居なかった理由は単純で、駿台での成績が落ちたのだろう。しかし、それが僕とソウシに因るものだとまでは考えていなかった。
「お前な、彼奴にとっては毎日毎日、ソウシの所に通って誠意を見せていたところが、突然
「…。」
僕は何も言えなかった。春の遠足でソウシのことが気になってはいたが、あの頃は正直まだ高校三年間の出来事から全然立ち直れていなくて、好きだとか嫌いだとか、告白するだとか意思を伝えるだとか、其様なことは、あのサラダ完食記念日まで一瞬だって考えたことはなかった。
「で、それでも付き合ってないって言う?」
「手をつなぐ約束をしたことは認めますけれど、付き合おうとかそういうことを言った覚えはないですから。」
僕は、また正解でも不正解でもないような事実だけを話した。
「じゃあさ、お前、手をつなごうって、そういうことを彼女に約束させた訳か?」
男女間のことを、こういう言葉尻で説明したり、解決出来ると考えている人の頭の中を、僕は理解出来なかったけれど、外国語には外国語で応じるしかないと思った。
「約束を持ち出したのは僕ではありません。彼女です。」
たとえ事実ではあっても男女の仲のことを、女性の側からのアプローチで語ることに、僕は些かの嫌悪感を覚えた。しかし、ソウシならば、きっとそういう回答を選ぶだろうと思い、正直に言った。
「うわぁ…。」
ドキリとするほど思わぬ悲鳴が後部座席から聞こえた。ルームミラーにちらりと目をやると何故か北山が頭を抱え込んでいた。なぜ彼が悲鳴をあげる?
「何言ってんの? ソウシから手をつなごうって言ってきたっていうのか?」
「そうです。」
車の中が沈黙で五分間ほど満たされた。
「ハァッー…」
諦めというか、怒りにも聞こえるような嘆息がまた後部座席から聞こえ、頭を抱えていた北山が起きあがってドサッとシートに身をもたれ、顔は窓ガラスの向こうをぼんやりと見ているようだった。
「でも、お前は付き合っては居ないと言う。じゃあ、お前達は一体何なんだ?」
「付き合うという定義が、手をつなぐということを指すのなら付き合っているということでしょう。しかし、僕は付き合うという定義は、手をつなぐことだけだとは思っていませんから。」
また真っ正直に考えていることをぶっつけた。豊科さんには此の方法しか通用しないからだ。
「じゃ、聞くけどさ、お前自身は、どう思ってるんだよ、ソウシのことを。」
「好意は持っています。」
「彼女はどうなんだ? 好きですとでも言われたのか?」
警察の取調室でもあるまいし、何で此様なことに具に答えなきゃ不可ないのかと思ったが、答えない儘で解決するとも思えない。
「それは分かりません。確かめたことがありませんから。」
車の中にまた嫌な沈黙が流れた。此の年頃というのは、どうして此様なに恋や愛を他人に詮索されなくてはならないんだろう。後部座席でまた小さな嘆息が聞こえた。
「北山、まだ付き合っていると決まった訳じゃないだろ。お前はまだ何もアクション起こしてないんだから、お前なりのアプローチを掛ければ良いじゃないか。」
豊科さんがルームミラー越しに北山をちらりと見遣り、そう言った。彼は何も答えず、窓の外を見ているようだった。
* * *
頭の中で、
女子の人数が少ない一高では、実行委員会での女子の結束は鉄の結束だ。ウィニーが毎日、研数に通っていることを杉野さんはソウシから聞いていたのだろう。ウィニーはただ通っていただけじゃなかった。ソウシに好意を抱いて毎日誠意を見せていた。
北山はソウシと同じフランス語選択で、しかも美術系。彼女とは一年の頃からの昵懇とのこと。それは北山本人から懇親会の席で聞いたことだ。
豊科さん曰く、国立志望の北山は、ソウシに惹かれて同じ研数に通いたかったが、担任の以降で駿台にされてしまったことを悔いているとのことだった。
そうした以前からソウシに好意を抱き、いつからだかは知らないが、僕よりも先に努力を続けてきた彼らから見れば、僕のような存在は、まさに急転直下、天から降ってきて、自分たちのお姫様を攫って行って了った悪魔か化け物にしか見えなかったのに違いない。
況してや、其の契機が僕からではなく、彼女からだということが分かれば尚更のことだろう。
「まあ、出来るだけ早いうちに自分で納得出来る解決法をとってみろよ。悶々としていても解決しない。道は自分で切り拓け。」
豊科さんは、北山に対して暗に告白することを促し、僕を降ろすと都心方面へと戻って行った。
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