秋 秋のはじまり (1)もっと知り度い

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は大学一浪中の身。

 充実していた筈の学生生活も自身の受験失敗等諸々で全てはご破算に。

 今は「ソウシ」と手をつなぐ仲だが、お互い気持ちを表すこともなく、気も漫ろ。

 そんな中で、ソウシに想いを寄せる男子が他にも居ることに、少なからず駿河も動揺する。

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 翌日からは、以前のように、研数でソウシと落ち合い、ランチをして神保町で分かれた。


 懇親会の帰りに豊科さんが北山にアドバイスした《「お前なりのアプローチ》が、既に有ったのか無かったのか、これから有るのか無いのか、少し気にはなっていた。

 其様なことを、現状を知りながら他人が促すということは余計なお世話だとも思ったが、それはお互い様で個人の自由だし、それをまた判断するのも彼女の自由だと思い、割り切って考えるようにしていた。


 *     *     *


 何日か過ぎた日の帰りがけ、彼女が普段のようにあっさりと切り出してきた。


「ギエン、済まないんだけど、明日は一人でご飯食べて呉れるかな?」

「良いよ。何か用事があるんだ?」

「うん、鳥渡ちょっとね。」


 ハッと思い出し、「あれが来た」と思った。

 今日、彼女は待ち合わせの場所に普段より少しだけ遅れて来た。彼女は頭の回転が早い。余程のことでも無い限り、其の場で即断即決していくタイプだ。遅れて来たということは、其の場で解決しない、持ち越さなければならない案件が持ち込まれたということだ。

 明日、北山がモーションを起こすアポイントをとったのだろうということは、容易に予想出来た。


 *     *     *


 明くる日、僕は勉めて平静を装い、普段通りに行動した。坂を下りて研数に寄らなかった以外は。

 一日が迚も長く感じた。気にしていないと思いながら、畳みかけるように議論を楽しむソウシの口癖を思い出していた。隣に彼女の居ない、何となくしっくりとしない靖国通りを歩きながら家路を辿った。


 *     *     *


 彼女との昼食が再開した日、僕は動悸を感じながら研数の前で待っていた。

 ドイツ語の問題集を見ていても、鳥渡ちっとも頭に入って来なかった。

 もう一人の自分が「其様なに気になるなら、何故お前も積極的にモーションをかけなかったんだ」と僕を責めていた。

 不意に横から軽く肩を叩かれ、振り返るとソウシが居た。其の顔は普段のように笑ってはいなかった。


「ヤ…。」

「やぁ…。」


 此様こんなとき、うして良いのか分からない自分が歯痒かった。

 あっという間に人が抜け、閑散とした予備校の暗い廊下に佇む。


「昨日はごめん、常時いつも私にご飯付き合って貰っているのに、急に一人でご飯食べさせて。」

「否、構わなかったよ。用事は済んだの?」

「うん、一つは。…でも、もう一つある。私、ギエンに言わなきゃ不可いけないことがある。」

(来た。)


 そう思った瞬間、目の前が暗くなった。

 えい、どうせ棚からぼた餅のように転がり込んだものだ、然も、それを自分で大事に育てなかったのも悪い、

 そもそも始まりだって今だって、ただの契約の履行だったのだ、彼女が決心したのなら、ぐっと堪えて身を引こうと覚悟をした。

 それに元々浪人生だ。全てを失って始まった《浪人》という辛さをとうに忘れた訳でもないだろう。


 とは言いつつも足が震えて腰が砕けそうだった。心臓が口から飛び出そうだった。

 中学生の時、ベーデに始めての告白をしたとき、神宮球場で応援のリードを取ったときでさえ、此様なに緊張したことは無かった。

 実に久しぶりの対人の緊張感。僕は、知らず識らずのうちに、それだけソウシの存在が自分にとって必要になっていたことを、今更ながら強く思い知らされた。


「私たちさ…。」

「うん。」

「同じ一高といっても、正直よく知るようになったのは卒業して、六月頃からでしょう?」

「うん。」

「でね、其の一方で、もっと前、一高時代から知っている人もいっぱい居る訳さ。」

「うん。(北山のことだ。)」

「そういう人は私のこともよく知ってるし、私も其の人のことをよく知っている訳だ…安心なくらい。」

「ん…。」

「でもね…。」

(ほらきたぞ、逆接だぁ…。)

「ギエンのことはね、…よく分からないんだよぉ。」

「…ん」

「知ろうとすればするほど、…分からないんだ…。」


 彼女は、鳥渡ちょっと下を向きながら、一つ一つ慎重に言葉を選びながら話そうとしていた。


 *     *     *


 其の様子を見ていて、彼女に対して実に申し訳ない気でいっぱいになった。

 たかがサラダのことで、馬鹿馬鹿しい約束を履行させ続けたり、今では、それを断ち切るための言葉を此様こんなに選ばせて了っている。

 きっと昨晩から一生懸命考えてきたのだろうと思うと、申し訳けなさでいっぱいになった。サラダ完食記念日にイチから言われた通り「間違っても二日目を続けちゃいかん、傷が深くなる」と言われた言葉が、頭の中をスッと切り裂くようによぎった。


(もう良いんだ、はっきり言って呉れて。)

『罰ゲーム、もう終わりにして良いかな?』


 そう軽く言って呉れさえすれば、「うん」と答えて、全てが楽になるんだから、そう思った。


「分からないんだ…、知ろうとしても知ろうとしても、どうしても、だから…、」

「うん(来る…)」


 彼女の決心の言葉を待った。

 全てを受け容れる覚悟は出来ていた。

 彼女は、少し下を向いた儘、唾を飲み込み、また言葉を選んでいた。

 それは回りから見れば、ほんの一瞬のことだったのだろうけれど、僕には五分にも十分にも感じられた。

 そして、彼女は、漸く次の句を語り始めた。


「だから…、もっと知り度い。もっとギエンが何様な人なのか知り度い。…教えて貰って良いかな…。」

「…。」


 僕は三度目の真珠湾攻撃をくらい、返事に窮していた。


「…。」


 其処まで言うと彼女はゆっくりと顔をあげ、僕の方を見ている。其処には珍しく弱気で、今まで見たこともない、迚も女らしい(此様な言い方をしたら叱られるかも知れないけど、まさにそういう)表情をした彼女が居た。


「ん!」

 僕は、彼女の目を見て、小さいけれどはっきり無言で頷いて答えた。 彼女の苦悩と勇気に応えるには、少しでも早い答えが必要だった。


「ありがと…。」


 ソウシは矢渡重荷を降ろしたように再び少し俯いた。鳥渡泣いているようだった。


「大丈夫?」

「うん、コンタクトにゴミがね…、でも大丈夫。」

「そう…。」


 僕は、ハンカチを取り出して彼女に渡した、そして代わりに差し出された右手をしっかり握った。


「今日は何処へ行こうか。」

「何処でも良い。静かな処なら…。」


 神田カソリック教会の裏道から錦華公園を抜け、ゆっくりと歩いて、神保町のあめりかまるに落ち着いた。

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