春 浪人ということ 試験の出来はどうでしたか?
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は大学一浪中の身。
最愛の彼女「ベーデ」や留学生の親友「エリー」が海外に去った後、ベーデの従姉「閑香」と知り合うが、受験失敗と共にその関係も押し流される。
常に優柔不断、相手任せ、なりゆき次第、で生きている駿河も、否応なしに予備校での生活が始まった。
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高校を卒業したての三月ある日の昼下がり。僕は神田駿河台
大学の合格発表もまだだというのに、なぜ予備校の入校試験を受けに行くのか、非常に
それに大学受験なら兎も角、予備校に『推薦』で入るという言葉を聞いて驚愕したが、面接さえ通れば学力試験は課さないというので、「まあ大学に合格すれば予備校には行かなければ良いだけの話だし。」という担任の薦めに従って足を運んでいた。
「大学は、何処を受けたのですか?」
「京都大学の理学部受験で物理学科を志望しました。」
「試験の出来はどうでしたか?」
「一応、全科目、完答はしてきました…。」
「じゃあ、まだ、結果は合格かも知れないですね?」
「ええ、結果待ちといったところです。」
予備校の面接担当者の問いかけに対して、決して嘘を言うこともなく、また、完全に本当の言うこともなく、淡々と答えていった。面接はいとも簡単に、三分もかからずに終わった。
* * *
入学試験の出来は、正直なところ、自分自身でもよく分からなかった。
国語には自信があった。数学と理科も八割以上は出来た自信はあった。
問題なのは独語だった。独文和訳には自信があった。しかし、和文独訳が、自他共に認める《説明独語》といわれ、慣用句が判らなくなると、ごく初歩的な構文で徹底的に説明する独訳に対して、日常文を大事にする京都大学の採点官がどれだけの点数を与えて呉れるか、其処に自信が無かった。然も、物理学科であれば、おそらく数学と理科も満点近くを得る受験生が多いだろう。
僕は、級友の多くが東京大学を受験することに対する少しの反発をもって、京都大学を受験していた。
「駿河は普段の点の採り具合や得意分野から考えたら、京大より東大の方が良いんじゃないのか? 模試の出来からしても…。」
とアドバイスを受けていた。
それでも東京大学ではなく、京都大学を受験しようとしたのは、《東大至上主義》というか、何か飽くまでも《東京大学》に対して特別の感情を抱いている母校に対する幼い反発と、
そして、世俗から離れ
最終的に京都大学を受験することを伝えたとき、東京帝国大学の哲学科を首席で卒業した後、母校のみでン十年と教鞭をとり続けている
「うん…まぁ…良いんじゃないかな。」
* * *
「受かっているような気がしたんだがな…。」
という父の期待とは裏腹に、受験は不本意な結果となった。
(『持ち帰って良いですよ』と言われた机の受験番号を鴨川に流したのが良くなかったかな…。)
などと下らないことを考えつつも、僕は淡々と其の結果を受け容れた。
一方で、予備校は僕の推薦入校を認め、『午前部理科Ⅰ類』という新しい居場所を与えて呉れた。
『午前部理科Ⅰ類』といえば、受験界の花形らしい。
A~Dまで4クラスあり、A、Bクラスなら東京大学、京都大学合格は確実、Cクラス、Dクラスでも旧帝大、東工大なら確実と言われていた。
不合格にも関わらず、其のBクラスに席を用意して呉れたのは、おそらく「京都大学で全科目、完答」と淡々と答えたからだろう。
一方で、同様に推薦の面接を受けたにも関わらず、「東京大学の試験当日は熱が出て受験出来ませんでした。」と真っ正直に答えた隣のクラスの奴は、『午前部理科Ⅱ類』になっていた。
予備校にとっては、あくまで実績と前向きな態度が信用の指標であるということだろうか。
* * *
四月、日本武道館で行われた予備校の入校式の帰り、
「あぁ、駿河。伝えるのを忘れていたけれど、推薦で駿台に入るとだな。最低でも旧帝国大学の何処かには入って貰わないと、次の一高の推薦枠が一人削られることになるから。そのぉ、後輩に迷惑がかかるっていうやつだな。まぁ、大丈夫だとは思うけれど、其の
と、普段の笑顔で釘を刺された。
(あらららら…。)
京都大学で、
さぁて、捲土重来か、それとも他の帝大か。
こうして僕の浪人生活は始まった。
* * *
《何事も最初は真面目に始めてみる》。
それがモットーというか、そういうところが気弱な僕は、予備校にも真面目に通い始めた。
流石に斯界に其の名がとどろいた『午前部理科Ⅰ類』だけあって、校舎に入るにもチェックが厳重だった。講義のある午前中は、入口で職員に学生証を見せなければ一歩たりとも中に入ることは出来ない。
それは、『午前部理科Ⅰ類』が人気講師を集めているので、他のコースに振り分けられた予備校生たちが潜りで聴講に来ることを防ぐための措置だった。実際、入校を試みながらも押し戻され、また隙を見て潜り込む他コースの人間も少なくはなかった。
僕は、《推薦》などという恵まれた条件で入れて貰ったためか、『午前部理科Ⅰ類』の有難味を最初から、そう信じ込むことが出来なかった。確かに、講師の話は面白味と実益を上手く兼ね備えたものであったし、Bながらもクラスの中は名うての名門校の然もお行儀の良い生徒で満ち溢れ、前向きな思考と捲土重来の意気で熱気を帯びていた。隣席の人間も、全国に名の知られた名門校から京都大学を受験して不合格だったとのことで、直ぐにうち解けて話をすることが出来た。
何週間かは真面目に講義を受け、テストを受け、と非常に模範的な予備校生活を送った。一方で、僕は、《予備校》という大学進学のみを目的とした変則的な学校に対して、何か得も言われぬ反感を抱いていた。高校の間は、駿台ではなく、別の塾に席を置いていたが、予備校OBによるお世話が鬱陶しかったりして、あっというまに幽霊塾生となり、辞めて了った。
元々、中学校も高校も《応援団・応援部》に在籍していたように、母校愛というか、学制上の学校にしか愛情を注げなかった。
学校と予備校の違いは何か、と問われれば、学校には《人格の形成》や《教養主義》といった高邁な理想があるが、後者には先ず《大学に合格する》という目的が最も最初に来る。先に書いたように、《良い講師》の講義を受けるために予備校の学生証を偽造までしたりする人間の行動は、僕には全く理解出来なかった。
(講師だけのおかげで合格できる訳でもなかろうに。)
そして、いつまでも高等学校の影を引きずり、(人間として生まれたからには、人格の形成と完成への努力、そして教養が必要である)などと嘯き、予備校が段々と嫌いというか、他人事のようになって了った。
つまり僕は、自分自身の目的が
* * *
予備校生活も二か月を過ぎれば五月病が出始め、ぼちぼちやって来なくなる人間も多くなる。最初のうちはぎっちり詰まっていた教室も少し余裕が出始める。バラバラなクラスに振り分けられた旧友たちにも心の余裕が出来て、午前の講義が終わったところで一緒に昼食に出ることも多くなった。
「駿河は真面目に講義に出ているのか?」
「他にすることも無いしなぁ。基礎で忘れていたことを思い出すには丁度良い。」
カレーのスプーンを動かしながら、僕はまた嘘でもなく本当でもないことを答えていた。
「
ウィニーは紙コップの氷をじゃらじゃらしながら再び訊ねてきた。自業自得とは言いながら、
「食堂で自習か、帰って過去問の復習ってところだな」
本当は、他にもデパートに寄ったり、神保町の書店をひやかしていたりもしていたのだけれど、全部を言うのも億劫なので、一応、一番時間の占有率も高くで、予備校生らしい答えをしてみた。
「午後部の授業で復習したりはしないのか?」
「違う講師で同じことを聞くと混乱するから嫌なんだ。」
「ならば、明日、研数に行ってみないか?」
《研数》というのは研数学館。当時は
「研数? なんだってまた研数なんだ?」
自分に興味のないことでも、一度は覗いてみるということも嫌いではなかったけれど、こういう生活の毎日にあって、わざわざ、これまた他の予備校まで行かなくてもと思って否定的に訊ねてみた。
「
「別に俺は構わないよ。何も決まった予定は無いから。」
研数は、国立大学よりも私立大学志望者が多く集まると聞いていた。一高では国立志望といえば、まあ地味で一般的な人間、私立志望といえば、どちらかというと個性の強い芸術肌の人間が多かった。
応援部に居たり、文科でドイツ語選択のくせに理学部を受験したり、僕とてお世辞にも地味で一般的だとは言えなかったが、研数には、僕からしても少し近付き難い世界観の人間が居る、というようなイメージを漠然と持っていた。
そうは言っても、研数に行ってみることで、毎日がそう大きく変わるという気も起こらず、食事よりも自分自身の生活自体が味気ない状態の中で、相変わらずカレーのスプーンを動かしていた。
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