第20話 生誕祭のどよめき

(どうして……どうしてあの子が勇者様の隣に立っているのよ!!)

 

 今年の国王生誕祭には救国の勇者――クレイユ第三王子が出席する。魔王討伐が済んだので、結婚相手を探しに来るのかもしれない。


 嘘か誠か、令嬢たちの間で噂になり、それは王都から遠く離れた辺境伯領まで流れてきた。


 セリナは噂の勇者様を一目見たく、両親に頼んで同行させてもらったのだ。


 招待状が出ているのは、モントレイ辺境伯と辺境伯夫人のみだとエントランスで大いに揉めたが、確認しに行かせた結果、セリナは歓迎されることとなった。


 なんと、「長年、モントレイ家が北の荒れ地との境を治めてくれたことをねぎらいたい」という勇者様の意向だという。

 

 セリナはパーティー会場で他の令嬢たちに挨拶する度、「私は勇者様直々の招待なの。既婚者なのに言い寄られてしまったらどうしよう」と自慢しまくった。

 

 そして、夫のユリウスは魔物にでも食わせて死んだことにして、悲劇の未亡人として勇者様のもとに嫁ごうか。それが良い。火傷跡のある夫なんて、死んだも同然だ――なんて妄想を膨らませ、クレイユに挨拶するのを心待ちにしていたのだ。

 

 しかし、颯爽と現れた勇者様はパートナーを連れていた。

 着飾り、化粧をし、見た目は随分と変わっているが間違いない。あれは、醜い男のもとへ嫁ぎに行ったはずの義妹、ローリエだ。

 

(一体どういうことなの!? 私を会場に入れてくださったのも、単にあの子の姉だから!?)

 

 体にかぁっと熱が昇っていくのを感じる。


 自分は勇者様のお気に入りなのだ、というセリナの自慢話を聞いた他の令嬢たちは、今頃鼻で笑っていることだろう。

 

 ひどい辱めを受けた。赦せない。

 羞恥は次第に怒りへと変わっていく。その怒りはクレイユではなく、当然ローリエに向いた。

 

(きっと全てあの子が仕組んだことね。生まれも分からない卑しい女のくせに、きっとモントレイ辺境伯の名を騙って勇者様に取り入ったんだわ)


 セリナ=モントレイは自信過剰で感情的、思い込みが激しく、浅慮な女だ。

 両親がローリエよりも実の娘を贔屓し、甘やかして育てたこともあって、大人になるにつれそれは輪をかけてひどくなった。


(もしかして屋敷に落ちた雷もあの子が? きっとそうよ。世話になった恩を忘れて私たちを陥れようとするなんて、本当に赦せない!!)

 

 感情的になったセリナは後先考えず、給仕人の盆からワイングラスをつかみ取ると、クレイユの隣で微笑む憎たらしい女の顔に中身を浴びせたのだった。

 


ꕥ‥∵‥ꕥ ‥∵‥ꕥ


 

 ぱしゃん、という音とともにローリエの顔に赤い液体が打ち付けられる。

 ふわりと香る葡萄の匂いで、すぐにワインをかけられたのだと分かった。

 

 ワインをかけられたのは、これが初めてのことではない。

 モントレイの家にいた時は、何か気に食わないことがあると、義母や義姉が料理やワインを床に落としたり、使用人に浴びせたりと散々だった。


「クレイユ様はこの女に騙されていますわ」

 

 当時の情景を思い出していると、懐かしの声が聞こえ、ローリエの体は反射的にびくっと震える。


(セリナお義姉様……?)

 

 ワインが目に入らないよう、細心の注意を払って目を開ける。

 目の前にはやはり、深紅のドレスを着たセリナの姿があった。


「ローリエ、すぐに着替えを用意させよう。ひとまずこれで顔を拭いて」


 クレイユは庇うようにローリエの前に立ち、ハンカチを渡してくれる。

 

「クレイユ様! どうか私の話を聞いてください! クレイユ様ってば!!」

 

 話を無視されて苛立ったのか、義姉は癇癪を起したようだ。甲高い声で何度もクレイユの名前を呼ぶ。


 それがどれほど無礼な行為なのか、社交の経験がほとんどないローリエにだって分かる。案の定、周囲の視線は冷ややかだ。

 

「騙されている? どういうことでしょう」

 

 クレイユは笑顔を貼り付けて振り返った。

 ローリエには怒りを隠すための笑顔だと分かったが、セリナは何を勘違いしたのか安堵の表情を見せる。

 

「その女はモントレイの人間ではありません。父がどこからか預かってきた、生まれも分からぬ卑しい養女ですわ」

 

 聴衆はざわついた。


 ワインをかぶり、化けの皮が剥がれたような心地になったローリエは、急に人々の視線が怖くなる。

 髪からぽたぽた垂れた赤い雫が、真っ白な大理石の床を汚していった。

 

「それが何か?」

「彼女はクレイユ様のような方のパートナーには相応しくありません!」

 

 セリナはローリエを嘲笑うような目で見て、自信満々に宣言する。

 しかし、クレイユはいつもより低い声で、ぴしゃりと言い放った。

 

「僕には、いきなりワインを浴びせてくるような育ち方をした娘の方が、よほど卑しく映るけど」

 

 辺りは急にしん、と静まり返る。


 それからしばらくすると、「勇者様の言う通り」「貴族が養子をとるなんてよくあること。それを卑しいだなんて非常識にもほどがある」とクレイユを擁護する意見で溢れかえった。

 

 恥をかかされた――いや、自分で墓穴を掘ったセリナは顔を真っ赤にさせ、わなわな震えている。


「行こう」

 

 クレイユはローリエの手をとり、一時退出を促した。

 彼に微笑まれると、体の強張りが解けるから不思議だ。


「着替えを用意している間に、髪と体を洗ってもらって。僕の魔法を使えばすぐに乾く」


 控室に戻ったところでクレイユは言う。


 どうやら、火魔法と風魔法を組み合わせて使うらしい。旅の途中は沐浴や洗濯時に重宝したのだとか。


(魔法ってそんなことにも使えるのね。便利だわ)


 モントレイ伯の屋敷にいた時代のローリエに、その力が使えていたらどんなに楽だっただろうか。


(そうだ!)

 

 ワインの汚れは比較的落ちやすい方だ。今から洗えば綺麗になるだろう。

 

「先にドレスの染み抜きをさせてください。クレイユ様が私のために用意してくださったこのドレスを着ていたいんです」

「……分かった。お姫様の仰せのままに」

 

 クレイユは一瞬呆気にとられたようだが、にこりと笑ってローリエの手の甲に唇を落とした。

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