第15話 失われし記憶
あれはクレイユが七つになったばかりの頃だ。
鍛錬という名目で、クレイユは王国の優秀な魔法兵士と共に、北の城に滞在していた。
この頃のクレイユは、些か捻くれていた。
――遊ぶことも、親に甘えることも許されず、勇者として厳しい修行をさせられていたことを考えれば、多少荒んでしまうのも仕方ないことだろう。
「勇者、勇者って、皆してうるさいんだよ」
己に課せられた使命と期待に疲れ果てたクレイユは、世話役の目を盗んで一人、城を囲む森へと繰り出したのだった。
レムカの街の方へ出るつもりだったが、どうやら道を間違え、北に進んでいたらしい。
クレイユはいつの間にか森の奥へ、奥へと向かっていた。
七歳とはいえ、勇者の証を持って生まれ、物心つく前から修行をさせられてきたクレイユにとって、下級クラスの魔物は敵ではない。
薙ぎ払い、進んでいるうちに、湖の
喉を潤そうと水面に顔を近づけたその時――。
「しまった」
蛇のような巨大な魔物が、
初めて見る魔物だった。
最初の一撃はかろうじてかわしたが、クレイユは尻餅をつき、慌てて体勢を整えようとして泥で足を滑らせる。
魔法の発動も間に合わない。
もう駄目かと思ったが、突然現れた白銀の狼が、クレイユを襲おうとした魔物を蹴飛ばした。
「こっち!」
呆気にとられるクレイユに手を伸ばしたのは、自分よりも幼く見える少女だった。
クレイユは彼女の手をとり、後をついて走り出す。
「ここまで来たら大丈夫。怪我はない?」
少女は澄んだ紫の瞳でクレイユに尋ねる。
「平気だよ。だって僕は勇者なんだから」
クレイユは死ぬかと思って恐怖で震えていたのに、口から飛び出したのは強がりの言葉だった。
少女は『勇者』という言葉を聞いて、目を見開く。
「勇者……様……?」
「ほら、勇者の紋があるだろ」
クレイユは右手の甲にある紋様を見せるが、彼女の背後に先ほどの狼が佇んでいることに気づき、びくりとする。
彼女はくすりと笑って、自分の何倍もある大きな狼にすり寄った。
「私、ローリエ。この子は私のお友達のヘイル。このあたりは彼の巣なの。優しい子だから安心して」
魔獣がひしめく森に、狼の魔物と暮らす少女。
明らかに異質で怪しいのに、幼いクレイユは助けてもらって、すっかり警戒心を解いていた。
それよりも、優しくて可愛らしい、少しませたところのある少女の気を、どうやって引こうか――そればかり考えていたのである。
以来、クレイユは夜の城から抜け出して、森の外れで少女との逢瀬を繰り返すようになる。
「勇者様も大変なのね」
「まぁね。朝から晩まで鍛錬、勉強、鍛錬……嫌になるよ」
そんなことを口にすると、ローリエはいつもクレイユの頭を撫でて褒めてくれる。
「よしよし。今日もよく頑張りました」
厳しくされるばかりで、あまり褒められたことのないクレイユは「子ども扱いするな」と口にしながらも、それが嬉しかった。
そして、ある時決意したのだ。
「辛い鍛錬も勉強も死ぬ気で頑張る。必ず魔王を倒すから、その時は僕のお嫁さんになって」
クレイユは、昼間に詰んでおいた花を差し出し、ローリエに言った。
彼女のために強くなりたい。一人寂しそうな彼女の傍にいて、たくさん笑わせてあげたい。
――大人になった今なら言える。あれは幼いながらも本気の恋で、本気のプロポーズだった。
「……お嫁さん? 勇者様の?」
ローリエは少し驚いた様子だったが、しばらくしてから寂しそうに微笑んだ。
「そうなれたら良いな」
あの時、彼女が何故悲しそうに見えたのか、クレイユが真意を理解できたのは随分後になってからだ。
幼いプロポーズのすぐ後に、二人は引き離されることになる。
「クレイユ様、危険です!! それに近づいてはなりません!!」
「魔獣を従えた人型……魔族か……?」
クレイユが抜け出していることに気づいた兵士たちは、ローリエを見てそう言った。
「何を言ってる!? ローリエは魔族なんかじゃ――止めろ!!」
彼らはクレイユの声に耳を傾けようとはせず、ローリエに向かって容赦なく魔法を放つ。
しかし、ローリエはすっと手を前に出しただけで、優秀な兵士たちの魔法を全て跳ね除けてしまった。
「勇者様、いつか私に会いに来てね」
その時、私を倒さなければならない定めだとしても――。
彼女はそう言い残し、白銀の狼とともに、暗い森へと帰っていった。
そして、それ以来、クレイユがどんなに探し回っても、一切姿を見せることはなかった。
ꕥ‥ꕥ‥ꕥ
(今のローリエは、記憶とともに魔力を失っている。魔物に襲われたらひとたまりもない)
ローリエは、きっともう……。
ルビリアの言葉が頭をよぎるが、それでもクレイユは必死になって森の中を探し回った。
そして、森の中心部まで来た時、見覚えのある狼の魔獣と鉢合わせる。
いや、違う。
この魔獣はクレイユを迎えに来たのだ。
『こちらだ』
意思疎通を図ることのできる知能と魔力。白銀の毛に威厳のある佇まい。
間違いない。フェンリルだ。
かつて、ローリエの側についていた魔物と同一の個体だろう。
当時はそれが、超上級の魔物であることなど、クレイユは知る由もなかったが。
「ローリエは無事ということだな!?」
クレイユは食い気味に尋ねる。
『まったく。お前ほどの者がついておきながら、何故こんなことになる。偶然寝ぐらの近くで、気づいたから良いものを』
その言葉を聞いた途端、クレイユの全身から力が抜け、地面にへたり込むところだった。
フェンリルが案内した、
「クレイユ様!」
切り株に座り、不安そうにしていた彼女は、クレイユの姿を見てパッと顔を輝かせ、一目散に駆けてくる。
「優しい魔物が助けてくれたんです」
「良かった……」
クレイユは、ローリエの細い体を強く抱きしめた。
記憶を失って、性格も昔とは少し違っていても、本質的な優しさと温もりは変わっていない。
――彼女がどんな存在であろうとも、間違いなく、クレイユが将来を誓った初恋の人だ。
「言いつけを破ってごめんなさい」
ローリエは怒られると思っているのか、泣きそうな声で言う。
「傍にいなかった僕が悪いんだ。君を幸せにすると誓ったのに。それに、何か理由があったんだよね?」
尋ねると、ローリエはしばらく黙り込んでから言う。
「ルビリア様と一緒に森へ入ったのですが……私がどんくさいせいで、はぐれてしまったんです」
「ルビリアと森に?」
「はい。一緒に散策しようという話になって……」
どうもおかしい。
ローリエも、ルビリアも、嘘をつくような人柄ではないはずだが、二人の話には齟齬がある。
クレイユがじっと考え込んでいると、フェンリルがテレパスを送ってくる。
『勇者……いや、魔王の力を受け継ぎし者よ。聖女には気をつけると良い』
クレイユがローリエを抱えて城に戻った時、ルビリアの姿は既になかった。
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