第16話 一件落着したようで

「クレイユ様……あの……」

「あれから変なことはない? 何か思い出しそう、とか」


 森での一件以来、クレイユは一層過保護になった。

 ローリエの側から離れず、今も庭園のベンチで隣にぴたりとくっついて座っている。


(近い……近いです……!!)


 離れてもすぐに距離を詰められるので、ローリエはずっとドキドキさせられている。


 いい加減慣れなければと思うのに、彼の整った顔を前にすると、ローリエの心臓は意思とは真反対に、激しく脈を打つのだ。


「あれから、特に何ともありません。怪我一つなかったですし」

「酷い靴擦れを起こしていたじゃないか」

「クレイユ様がすぐに治してくださったので平気です」


 しかし、この人は王城に行かなくても良いのだろうか。

 心配していたローリエに代わって、背後から現れたマリアンヌが、紙の束でぽんとクレイユの頭を叩いて言う。


「クレイユ、あなた、レインベルク王子から、山のように手紙が届いてるわよ……」

「あの人は僕をいいように使いたいだけなんだ。断固拒否する」


 クレイユはふん、とそっぽを向いた。

 やはり、マリアンヌを前にすると、いつもの彼より幼く見える。


(私にも、そうやって接してくれたら良いのに)


 ローリエは勇者様の意外な一面にがっかりするどころか、そんな風に思っている。


「旦那が働かずにべったりじゃ、ローリエも嫌になるわよなぇ」


 マリアンヌは溜め息混じりに尋ねた。


「いえ……そんなことは! ですが、私のせいでお仕事に支障が生じているのだとしたら、申し訳ないです」


 クレイユは、しゅんと項垂れたローリエの手を取り、「安心して。僕は既に一生分働いたから、君を十分養えるだけの蓄えがあるよ」と甘い声で言う。


「モントレイ辺境伯に代わって、領地を治めることになるんでしょ? 領主様がそんなんでどうするのよ」


 マリアンヌの一言に、ローリエは「えっ」と目を丸くする。

 モントレイ辺境伯の代わりということは、モントレイ家の人たちは、どうなってしまうのだろう。


「そういえば、ローリエには説明していなかったね」


 クレイユが王城に出かけていたのは、モントレイ伯の爵位剥奪ならびに、今後の統治に関する調整のためだったらしい。


「そう、ですか……」

「君は本当に優しいね。あんな奴らのために、心を痛める必要なんてないんだよ」


 投獄されるのは主犯であるモントレイ伯のみ。妻や娘のセリナは、ある程度の生活が保障され、息子もこれまで通り学院に通えるらしい。


 かなり寛大な処置だ。


 しかし、一度は「天罰が下ればいい」と思ったローリエであっても、いざ処罰の話を聞くと、明るい気持ちにはなれなかった。


「それよりも、どうにかしなければならないのは例の件ね」

「……そうだな」


 マリアンヌとクレイユがそう言って顔を見合わせた後、気まずい沈黙が流れる。

 ルビリアのことだろうか。


 森から救出された後、ローリエはルビリアが無事だったかを尋ねたが、二人は「心配ない」とだけ言って、詳しいことは教えてくれなかった。


(ルビリア様、大丈夫だったのかな……)


 気がかりだが、今もう一度聞いても、きっと反応は同じだろう。


 どんよりとした雰囲気の中、側に控えていたメイドのハンナが、すっと何かを差し出した。

 ローリエは彼女の言わんとすることを察し、それを受け取ってクレイユに差し出す。


「クレイユ様、これ……もし良ければ……」

「ハンカチ?」

「刺繍をしてみたんです」


 昨晩、出来上がったばかりのものだ。

 白いハンカチの隅に小さく、オルトキア王国の紋章が縫われている。


「ローリエが? 僕のために?」


 クレイユは突然、顔の前でぐっと拳を握る動作をした。


 よしっ、と言わんばかりのクレイユに対し、マリアンヌはニヤニヤ笑って、エプロンのポケットからハンカチを取り出す。


 クレイユより先に渡した試作品のハンカチを、マリアンヌは勝ち誇った表情で見せびらかした。


「私ももらったわよ」

「何でいつもマリアンヌが先なんだ」


 クレイユはがくり、と肩を落とす。

 その様子を見ていたら、無性に頭を撫でてあげたくなって、考えるより先に動いていた。


 ぽんぽん、とクレイユの頭を撫でてから、ローリエはハッと我に返る。


「わっ、私ったら、なんて無礼なことを!? すみません、すみません!」


 慌てて謝るローリエだったが、クレイユの泣きそうな、それでいて嬉しそうな表情に目を奪われる。


「ありがとう、ローリエ。宝物にするよ」


 そう言われた瞬間、胸に熱いものが込み上げてきて、何故かローリエまで泣きそうになった。


 今すぐ、抱きしめてあげたい。抱きしめられたい。


 この気持ちは、きっと――。


 好きになってはいけないと言い聞かせてきたが、ローリエはもう、戻れないところまで来ているのだと気づく。


(私はクレイユ様の初恋の人にはなれないけれど、彼が必要としてくれる限りは傍にいよう)


 ローリエは密かにそう誓ったのだった。

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