第8話 初恋の人
初恋の彼女と、念願の再会が叶った。
クレイユは浮かれていたが、強引に事を進めすぎたようだ。
自分には釣り合わない。本物が現れるまで身代わりを務める。
そう申し出たローリエの表情を見て、ようやくそのことを悟った。
壁に背をもたれたクレイユは、反省の溜め息をつく。
「クレイユ、あの子のことだけど……」
ローリエを部屋まで案内したマリアンヌは、戻るなり心配げに尋ねてくる。
十六の時に魔王討伐の旅に出て以来、マリアンヌとは五年以上の付き合いだ。最後まで聞かずとも、求められている答えは分かる。
「人違いではない。ローリエが記憶を失っているだけだ」
「それは確かなの?」
クレイユは無言で頷いた。
「彼女の父親に聞いた」
「その父親は今どこに?」
「……僕に彼女を託して、この世を去ったよ」
「そう……」
マリアンヌはそれ以上、尋ねようとはしなかった。
父親が誰であるかの見当がついたのか、それとも、詳細を話したくないクレイユの気持ちを悟ったのかもしれない。
彼女は首もとまで長く伸ばした前髪を、くるくると指に巻きつけながら言う。
「あの子が自信を取り戻すまでには、時間がかかると思う。本当に彼女を愛しているのなら、焦らず、寄り添ってあげて」
「分かってるよ」
幼い頃に出会ったローリエは優しい性格をしていたが、今よりは自分の意見をしっかり述べる子だった。
今の、内気な人格が形成されたのは、記憶を失った影響もあるだろうが、モントレイ伯の屋敷での生活が原因だろう。
ローリエの居場所を突き止めることができたのは、魔王討伐が終わってからのことだ。
戦いの反動で寝込んでいたクレイユが、ようやく回復し、上がってきた報告を読んだ時には怒りで震えが止まらなかった。
養女として預かり、養育費まで受け取っていたというのに長年虐げ、挙句の果てに娼館へ売ろうとするなど、そこらの魔物よりよほど醜悪だ。
クレイユは唇を噛み、ぎゅっと拳を握りしめる。
ローリエを虐めたモントレイの人間たちを、魔法でじっくり焼いてやりたい。
そう思うほど、胸の内は今も怒りで煮えくり返っているが、そんなことをしたらローリエが悲しむと、理性がどうにか押しとどめている。
「早急に契りを結んだのは、僕が浮かれていた……というのもあるけど、モントレイ伯との縁を断つためだ」
教会で祝福を受け、この国の長たる父の承諾を得た今、モントレイ伯はローリエを連れ戻す権利を完全に失った。
そうでもしなければ、あの欲深い男は難癖をつけ、ローリエを嫁にやる条件として更に金をせびってくることだろう。
「ローリエが僕との夫婦関係を望まないというのなら、それでも良い。彼女を護れればそれで良いんだ」
クレイユは自らに言い聞かせるように言う。
ローリエが記憶を取り戻した時。
本当に離婚を望むというのなら、クレイユは手を離してやらなければならない。
(もしそうなったら、暴走しないようにしなければ……)
二度と手放したくないというドロドロとした感情が、胸の奥で渦巻いている。
彼女が自分のもとを去ると決めた時、果たして平静を保っていられるだろうか。
ずくり、と右腕が疼いた気がする。
マリアンヌは眉尻を下げ、ふっと息を吐き出す。
「それを聞いて安心したわ。でも、その話。ルビリアが聞いたら、大変なことになるわね」
「?」
クレイユは何のことだと目を瞬かせる。
ルビリア=マルトゥールは、弱冠十八歳にして大聖女の称号を持つ光魔法の使い手で、普段は王都の中央教会に属している人物だ。
勇者パーティーの一員だったが、クレイユの知る限り、騒ぎとは縁遠い、穏やかで優しい性格をしていたように思う。
魔王討伐の道中でも、行く先々で人々に愛され、崇められていた。
「全くあなたは、本当に鈍いんだから……」
物憂げに溜め息をつくマリアンヌを見ても、話の意図は全く分からない。
ルビリアなら魔王討伐の後、中央教会に戻ってしまったので、しばらく顔を会わす機会はないだろう。
「そんなことより、まずはモントレイ伯の追放が先だ。証拠集めは進めているな?」
「勿論。そのあたりは抜かりないわ」
マリアンヌは小指を分厚い唇に当て、くすりと笑う。
「さて。今日のお昼はマリアンヌ特製、鴨肉のコンフィよ〜」
去っていくマリアンヌの背中を見送りながら、クレイユはこれからのことを考える。
あの黒い紋様が、いつまた体を蝕むか分からない。
(今はとにかく、ローリエを幸せにすることだけを考えよう)
クレイユは城で働く使用人の一人に、三階の大きな窓の前にテーブルと椅子を、早急に準備するよう頼んだのだった。
ꕥ‥∵‥ꕥ ‥∵‥ꕥ
モントレイ伯に仕えること、早十年。
時に暗躍する従者――デニス=エイデンは、酒に酔ったモントレイ伯に怒鳴りつけられていた。
「できませんとは、どういうことだ!! 一刻も早く、黒焦げの屋敷を修繕しろ!!」
飛んできた唾が顔にかかる。
横柄な主人の息の根を今すぐ止めてやりたかったが、ここは大人になろう。
「そうしたいのは山々ですが、提示された金額と納期では、誰も請け負いません」
「役立たずの領民め。金ならいくらでも払うと言って働かせろ。上手いこと契約書で騙せばいい」
デニスは「かしこまりました」と言って、愛想笑いを浮かべる。
いつもの汚い手だ。これまで、どれ程の善良な領民を騙してきたことか。
(好きにしてください。私はここを去りますから)
廊下に出ると、下の階から金切り声が聞こえてきた。
「治らない!? そんなわけないでしょ!! 役立たずの下級術師め! お金なんていくらでもくれてやるから、大聖女様とやらを連れてきなさいよ!」
モントレイ伯の実の娘であるセリナだ。
不運なことに、自慢の旦那であったユリウスが、先日の落雷で酷い火傷を負ったらしい。
血が繋がっているだけあって、言うことがモントレイ伯とそっくりだ。
(長居は無用ですね)
デニスはそのまま、騒々しい屋敷を出た。
この家の養女を売った際、思いがけない収入を得たので懐は潤っている。
あの時、金に糸目もつけずに女を連れ去ったのは、恐らく勇者クレイユ=オルトキアだろう。
魔法の残滓で分かる。屋敷に巨大な雷を落としたのも、彼の仕業に違いない。
そうであれば尚更、さっさとモントレイ伯のもとを去るに限る。
これまでの悪事に対する制裁が、雷魔法一つで済むはずがないのだから――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます