第二章 仮初の夫婦
第9話 北のお城にて
ローリエが暮らすことになったお城には、調理場担当のマリアンヌの他に、メイド三人と、庭師、大工、馬の世話をする者が、それぞれ一人ずつ常駐しているらしい。
勇者であり、第三王子であるクレイユの住む場所にしては使用人は少なく、必要最低限といった印象を受ける。
ローリエの世話は初老のメイド、ハンナがしてくれることになったらしいが、これまで世話をされるのでなく、世話をする側だったローリエは戸惑っていた。
「あの……私は何をしたら良いのでしょうか」
二日目の朝、柔らかなベッドで泥のように眠っていたローリエが目覚めると、ハンナは既に部屋にいて、ちゃきちゃき身支度を整えてくれた。
「旦那様がお待ちですので、まずは朝食へ向かいましょう」
されるがまま、髪を結われ、ドレスを着せられたローリエは、ハンナに案内されて部屋を出る。
向かった先には、白いテーブルと椅子。そして朝日の中で、穏やかな微笑みを浮かべるクレイユの姿があった。
昨日の今日で早速、大きな窓の下に朝食スペースを設けたようだ。
彼の蕩けるような笑顔を見た途端に、ローリエの心臓はドクリと跳ねる。
「おはよう」
「お、おはようございます」
クレイユの金髪は朝日に煌めき、深い碧をした両の目は、モントレイ伯の屋敷で目にした宝石よりもずっと美しい。
(もしかしたら、この人は神様の使いで、ここはあの世なのかもしれない)
そんなことをぼんやり考えていると、クレイユはローリエに座るよう促した。
マナーをよく知らないローリエは緊張し、軽く頭を下げてから彼の前に座る。
「昨夜はよく眠れた?」
「はい」
「その姿、すごく可愛いね」
「ありがとうございます……」
クレイユはハンナが着せてくれた、淡い紫と白のドレスを褒めた。
室内用なのか、軽くて柔らかく、ローリエ自身、モントレイ伯の屋敷で着せられたピンクのドレスよりは似合っていると思う。
髪も、丁寧に梳かしてドレスと同じ色のリボンを編み込んでもらい、見た目だけでもお姫様のようになったと密かに喜んでいた。
褒められ慣れていないローリエが頬を染めて俯いていると、香ばしい匂いが漂ってくる。
しばらくすると、さほど大きくない机の上は、メイドが運んできた朝食と紅茶でいっぱいになった。
「もしかして、私が起きてくるのを、ずっと待っていてくださったのですか?」
「早く目が覚めてしまってね。この城に君がいると思ったら嬉しくて、待ってる時間も楽しかった」
クレイユは優しい言葉とともに、目を細めて笑う。
「申し訳ありません。これからもっと早く起きます」
「疲れているだろうから、自然と起きるまで寝かせてやってくれと僕が頼んだんだ。君が気にするだろうから、これからは毎日決まった時間に食べよう」
クレイユが城にいる時は、毎朝八時に朝食をとることを約束した。
(本当に……絵で見るよりも素敵なお方)
彼の心遣いを通して、きっと見た目だけではなく、心まで美しい人なのだと感じる。
「僕は朝食を終えたら王城へ行く。恐らく夕方まで戻らないから、何かあったらメイドかマリアンヌに伝えて。好きなことをして過ごしていいからね」
ローリエは頷き、それからクレイユの冒険話を聞きながら食事をした。
あまりの緊張で料理の味はよく分からなかったが、外はカリカリ、中はふんわり焼かれたパンに感動したことだけは覚えている。
ꕥ‥ꕥ‥ꕥ
好きに過ごせば良いと言われたものの、何をして良いのか分からず困っていたローリエに、メイドのハンナは「お城の中を歩いてみてはどうですか?」と提案した。
塔へと上る螺旋階段、薔薇の庭園、地下倉庫――あちこち見て回ったローリエが台所をそっと覗くと、可愛らしいレースのエプロンを纏ったマリアンヌは何かをかき混ぜる手を止め、ふふっと微笑んだ。
「あらぁ。可愛らしいお姫様。どうしたのかしら?」
「お城の中を見て回っていました。何もない一日を、どう過ごせば良いか分からなくて……」
モントレイ伯のお屋敷にいた時は、朝から晩まで母や姉にこき使われていたので、悩む必要なんてない。
もしも一日、自由にできたら何をしよう、と妄想する暇さえなかった。
「何かしたいこと、してみたいことがあったら言ってみて。すぐに手配するわ」
「してみたいこと……」
クレイユにも同じようなことを言われたが、これといって思い浮かばない。
(でも、何か言わないと)
うじうじしていても相手を不快にさせるだけだ。
焦るローリエに、マリアンヌは嫌な顔一つせず候補を挙げてくれる。
「ありきたりだけど、刺繍なんてどうかしら? 刺繍の入ったハンカチを作ってプレゼントしたら、きっとクレイユが喜ぶわよ。クレイユがいる時なら、乗馬を教えてもらうのも良いかもしれないわね」
そして、彼女はかき混ぜていたドロドロの液体を、泡立て道具で掬って見せた。
「それから、お菓子作りも楽しいわよ」
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