第3話 金貨三枚の価値

 真っ暗で、じめじめとした地下牢に閉じ込められてから、既に数日は経っただろうか。

 

(どうして私がこんな目に遭わなければならないの)

 

 しばらくはそう嘆いていたが、今ではこれが運命なのだろうと思うようになった。

 

 どこからともなく聞こえる、水の滴る音。かさこそ走り回っては、足を齧りにくる鼠。

 不衛生な環境の中、壁にもたれて力なく座ったローリエは、ただぼんやりと、時間が過ぎ去るのを待っていた。

 

 鉄格子を挟んで向かいの壁に、ぱっと明かりが灯り、モントレイ伯の従者が階段を下りてくる。

 壁に設置された燭台に明かりをつけたのは、彼の魔法だろう。

 

「食事の時間です」

 

 従者は鉄格子の錠を開け、石畳の床に食事が盛られた大皿を置く。


 ローリエが怪力女であれば、この隙に男を突き飛ばして逃げ出せたかもしれないが、どう考えても現実的ではない。

 

「折角食事をやっているのに、どうして食べないのですか。今の見た目では娼館でも売れ残りますよ」

「……」

 

 ローリエは出された食事はおろか、飲み物にもほとんど手をつけていない。

 そうすれば、自分の体は数日ともたないだろうと思ったが、少しやつれただけで何故か今も普通に生きている。

 

(まさか自分がこんなに頑丈だったなんて、驚きだわ)


 無視を決め込んでいると、従者はローリエの髪をぐいと引っ張り、口に無理やり乾いたパンを突っ込んだ。

 

「本当に腹の立つ小娘ですね」

「んぐっ」


 パンになけなしの水分を奪われたローリエは、仕方なく咀嚼する。


「あんまり言うことを聞かないなら、目をくり抜いてやりますよ。珍しい色の目だ。娼館へやるより高く売れるかもしれません」


 従者は恐ろしいことを平然とした顔で言う。脅しではなく、本気の口ぶりだ。


「……貴方はその道に精通しているのですね」

 

 地下牢に入れられてから、一つ分かったことがある。

 モントレイ伯が用済みの人間を始末するのは、これが初めてではないだろう。


 牢に落ちていたリボンは、ローリエがかつて仲良くしていたメイドのものだ。

 少し鈍臭いところはあったものの、笑顔が可愛くて心優しい子だった。


 仕事が辛くて田舎に帰ったと聞いていたが、ここに入れられた痕跡があるということは、彼女もどこかに売られてしまったのかもしれない。


「長くモントレイ伯に仕えていれば慣れることです」

「最低な領主」

 

  自身の髪を掴む男を見上げ、ローリエは唾でも吐きかけるような口調で言った。


(いつか天罰が下ればいい)


 けれど、神様というのは何故かお金持ちには甘いのだ。


「このままここに置いといても、商品性が損なわれるだけのようですね」

 

 従者は髪から手を離したと思ったら、鉄格子にかけてあった手錠をとって、ローリエの腕にはめる。


 罪人のように歩かされて地下牢を出ると、老齢のメイドに身包みを剥がされ、全身を乱暴に洗われた。

 そして着せられたのは、皮肉なことに、今まで与えられたドレスの中で一番上質なものだった。


(この派手なピンクのドレス、お姉様が気に入らないからって一度も着ずに捨てたものだわ)


 ローリエにはぶかぶかのサイズで、色も全く似合わない。


 一度で良いからセリナのように着飾ってみたい――。

 ようやくその願いが叶ったというのに、嬉しいとは思えなかった。


 従者に連れられ、いよいよ屋敷を出ようとしたところ、運悪く廊下でセリナとすれ違う。

 

「お姉様……」

「ローリエ! 私が頼んだドレスを放って、今までどこで何をしていたのよ!?」

 

 セリナは、ローリエが約束を破って逃げたとでも思っているのだろう。

 こめかみに青筋を立て、カンカンに怒っている。

 

「落ち着いてください、セリナ様。彼女はモントレイ伯の命で、遠くへ嫁に行くのです」


 ローリエを売りに行こうとしているモントレイ伯の従者が、今だけは救世主に見えた。


「結婚するってこと? この子が? 冗談ではなくて?」

「ええ。でも可哀想なことに、相手は醜悪な男ですよ」


 セリナの表情は怒りから驚きへ、そして嘲りへと変わる。


 ローリエは醜悪な男の元に嫁に行く、ということが彼女の自尊心を満たしたのだろう。

 

「あら、そうなの。良かったじゃない、醜いもの同士お似合いだわ」


 すれ違いざま、セリナは「でも――」と付け加える。

 

「断言してあげる。貴女みたいな女はどこへ行っても、一生愛されないわよ」


 その呪いじみた言葉と彼女の嘲笑う声は、いつまでもローリエの耳に残って離れなかった。

 

 

ꕥ‥ꕥ‥ꕥ

 

 

 取り引きは裏町の、人気ひとけのない夜の通りで行われた。

 従者は身元がわからぬよう仮面をつけ、相手の男も目元だけくり抜かれた布を被って、顔を隠している。


「随分と痩せた娘だな」

「貧乏暮らしで、ろくに食べていなかったのでしょう。顔立ちは悪くないので、肉がつけば見栄えは問題ないかと」


 従者は慣れた様子で商品を売り込む。


「金貨一枚だな」

「よく見てください。珍しい紫の髪と目をしています。これだけでも金貨数枚の価値はあるでしょう」


 相手の男はしばらく黙った後、強い口調で言い切った。

 

「金貨三枚、それ以上は出せん」


 従者は短い溜め息をつき、「それで手を打ちましょう」と返事をする。


 どうやらローリエの価値は、金貨三枚に決まったようだ。

 奇しくも実父が毎月送ってくれていたという金額で、ローリエは急に悲しくなる。


(実の父親は、預けた先で私が幸せな生活をしていると信じていたのかもしれない)


 そうだとしたら、モントレイ伯のことが本当に許せない。

 涙はとうに枯れ果てたと思っていたのに視界が滲む。


「おい、行くぞ」


 男にぐいっと手錠の鎖を引っ張られ、強引に連れていかれそうになったその時――。

 

「すみません。その子、僕が買っても良いですか?」


 どこからか優しい声がした。

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