第2話 私は用済み
執務室の扉は僅かに開いており、そこから灯りが漏れている。
あと数歩のところまで壁伝いに近づくと、中から男の声が聞こえた。
「魔王討伐により魔物の動きが弱まっているようです」
「くそ、勇者め。北の荒れ地に向かう冒険者が減ったら、通行税が減るじゃないか」
モントレイ伯とその従者の声だ。
酔っ払っている様子はなく、領地について真面目に話し合いをしているらしい。
「農作物や領民への被害も減るので、悪いことばかりではないかと」
「作物? 領民? 大事なのは金だ。金さえあれば大抵のことはどうにかなる。収支の増減見通しを試算しろ」
ローリエはモントレイ伯の言葉にがっかりする。
彼が利己的な人間であることは知っていたが、こうも領民をないがしろにしているとは。
モントレイ辺境伯領の税金が高いことは有名な話だ。
魔物たちの巣食う『北の荒れ地』との境目まで領土を有し、防衛の責務を担っているため莫大な資金が必要となる。
世間にはそう説明しているが、実際のところ魔物の討伐は冒険者たちに任せきりで、モントレイ伯はただ私腹を肥やしているのではないかとローリエは思う。
この家にいれば、彼らがいかに贅沢で我儘な暮らしをしているかが分かる。
特に、お祖母様が亡くなってからは拍車がかかっていた。
例えば、王都から連れてきた有名な料理人に毎食大量の料理を作らせているのに、食べきれなくて残す。
例えば、夫人や娘のセリナは最新のドレスや高価な宝石類をふんだんに身に着け、美容のためにワイン風呂に入っている。
例えば、今年十二になる長子には最高の教育を施すため、王都にある貴族令息のための教育機関に行かせた。
例を挙げ始めると枚挙にいとまがない。
残念ながらローリエは、一度もその恩恵を受けたことはないが――。
「例の金はどうなっている」
「先月の結婚支度金を最後に途絶えました」
盗み聞きを続けていたローリエは、モントレイ伯と従者の会話に違和感を覚える。
(結婚支度金? 何のことだろう……)
実の娘であるセリナは既に結婚し、息子は結婚するにはまだ若いので、この家に支度金が必要な人間はいないように思う。
「ローリエももう二十になりますし、あの金で最後ということだったのでしょう」
従者の言葉にローリエは目を見開いた。
(え?)
ローリエが預けられて以来、実父は消息不明で、一度も養育費を受け取ったことがないと言われていたのに、これまでローリエに対して定期的な金銭の受け渡しがあったような口ぶりだ。
「チッ、そうか。良い金ヅルだったが、これでもうあの女は用済みだな。娼館にでも売ってしまえ」
「あんな不健康そうな娘、大した値はつきませんよ」
「二束三文でも、食い扶持を減らされるよりましだろう」
モントレイ伯は吐き捨てるように言う。
(どういう……こと……?)
これだけはっきり話を聞けば、彼らがローリエを騙していたことは明らかなのに、すぐには信じられない。
(実父は約束通り養育費を払っていたけど、それを伏せ、私には育ててやった恩を返せと言っていたの?)
あまりにショックで眩暈がする。
ローリエは実父の顔を覚えていない。物心がついた時にはこの家にいて、肩身の狭い思いをして生きてきた。
自分は実の子でないのだから、愛されないのは当たり前。
養育費が支払われていないのだから、ひどい扱いを受けても仕方ない。
これまで育ててもらった恩を、働いて返さなければ――。
そう自分に言い聞かせ、これまで何とか頑張ってこれたのに、もう一歩も動けそうにない。
ローリエが立ちすくんでいるうちに、室内の足音がこちらに向かって近づいてくる。
(早くここから立ち去って、売り飛ばされる前に逃げないと。……でも、どこへ?)
お金も、行く当てもない。ひどく頭が痛む。
絶望したローリエは諦めてしまった。
ぎぃと扉が開いて、薄笑いを浮かべた従者が顔を覗かせる。
「ああ。覗きをするなんて、躾のなっていない子だ。しかし、出向く手間が
「……私の実父から養育費の支払いがない、というのは嘘だったんですか」
乾いた唇で、なんとか言葉を絞り出すと、従者はあっさり非を認めた。
「そうですね。毎月金貨三枚をいただいていましたよ。素性はよく知りませんが、貴女の実父はよほど裕福な人間なのでしょう」
金貨三枚。毎月でなくて良い。一年に金貨三枚あれば、ローリエは一人で暮らしていくこともできただろうに。
「丁度良い。さっさと捕まえて連れていけ」
部屋の奥、赤いベルベットのソファでくつろぐモントレイ伯は、ローリエを視界に入れることなく淡々と言う。
「きゃっ!」
ローリエは従者に髪を思い切り引っ張られ、地下牢へと連れて行かれる。
売られるのを待つだけの最悪な状況だというのに、明日までにドレスを仕上げる必要がないと思うと少しだけほっとしてしまった。
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