第4話 二度と君を離さない
黒いマントを
空から降ってきたように見えたが、路地を囲む建物の上を通って来たのだろうか。
立ち姿と声音から、なんとなく若い男のように思ったが、彼もまた、フードを深く被って顔を隠しているので、実際のところは分からない。
「何だお前は」
「こうした取り引きでは、互いの詮索は控えるものでは?」
突然現れたマントの男は、余裕たっぷりに話を続ける。
「その子を渡してくれるなら、お二人にそれぞれ三倍……いや十倍の金額を払います。どうです? 悪い話じゃないでしょう?」
一体何が起きているのだろう。
そう思っているのはローリエだけではないようで、ローリエを連れていこうとしていた男は訝しげに「信用ならんな」と呟く。
「これでどうですか?」
マントの男は、腰元から取り出した布袋を地面に放る。
じゃりんと重たい音が鳴り、落ちた衝撃で中身の金貨がいくつか飛び出した。
「正気か……?」
布袋に気を取られたようで、手錠の鎖を掴んでいた男の手が緩む。
「私にも一袋渡してもらえるということですね?」
これまで静かに傍観していたモントレイ伯の従者も、大金を前に反応を示す。
「勿論。疑わしく思うのなら、先にお渡ししますよ」
マントの男は取り出したもう一つの布袋を、離れた場所にいる、伯の従者に向かって放り投げた。
金貨がずしりと詰まって重たそうなのに、彼の手を離れた袋は放物線を描いて、従者の手元にふわりと落ちる。
まるで魔法のようだと思ったが、本当にその通りだったようだ。
「風魔法使いですか。取引現場を前に、くだらない正義感を抱いた冒険者、といったところでしょうね」
従者は馬鹿にしたような物言いをするが、マントの男は煽りには応じず、軽く笑い返す。
「さぁ、どうでしょう。お金は払ったことですし、その子は僕が連れていきますね」
ローリエの手錠がぱきりと音を立て、地面に崩れ落ちる。
(これも魔法なの……?)
驚き、瞬きしている間にも、マントの男は近づいてくる。
彼は「行こう」と囁くと、ローリエをお姫様のように抱き上げた。
「きゃっ」
「大丈夫、怖がらないで」
ローリエを抱いた男は甘い声でなだめる。
誰なのか見当もつかないが、彼の声には人を落ち着かせる不思議な力があった。
彼はローリエを売買しようとしていた男たちの方を振り返り、警告を与える。
「ああ、変なことは考えないでください。攻撃でもしようものなら、容赦しませんよ」
戦いの心得がないローリエでも、この人は相当な手練れだろうと分かる。
「あなた、まさか……」
モントレイ伯の従者は何かを言いかけていたが、最後まで聞くより先に、マントの男は夜を駆けた。
身体能力が高いのか、魔法のおかげか、彼はローリエを抱いたまま軽々と、塀から建物、建物から建物へと飛び移る。
ローリエは救われたのだと信じ、大人しくしていることしかできない。
(どこまで行くんだろう。私はどうなるんだろう)
ローリエが連れてこられたのは、モントレイ伯の屋敷と、レムカの町が見渡せる丘の上だった。
地面にゆっくりと下ろされたローリエは、夜の町にぽつぽつと灯りが浮かぶ風景に目を奪われる。
「怪我はない?」
「はい、恐らく」
あのまま売られていたら、どうなっていたのだろう。助かったと思ったら、何故か急に恐怖が押し寄せてくる。
(私、本当は怖かったんだ……)
マントの男はカタカタ震えるローリエの手を取り、「もう大丈夫」と言って甲に軽く口づけた。
「ローリエ、やっと会えた」
男は顔を覆っていたフードを外して、とろりと微笑む。
金の髪に碧の目。息を呑むほど美しい青年だった。
(私の名前……何で?)
これまで経験したことのないような優しい眼差しを向けられて、ローリエの心臓はとくん、とくん、と大きく脈を打つ。
もしかしたら、ローリエの本当の家族が迎えに来てくれたのかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。
「あの、貴方は一体……。あんなに大金を払って、どうして私なんかを……」
「君にそれだけの価値があるからだよ」
美しい青年は、しどろもどろに尋ねるローリエの頬に手を添えて、甘やかな声で言う。
「いや違うな。どれだけ大金を積んだとしても君に適うわけがない。君は唯一無二、僕の命よりも尊い存在なんだから」
何を言われているのか、ローリエは理解が追いつかなかった。
けれども、いつの間にか恐怖は消え、代わりにじんわり温かいものが全身を巡っていく。
(それにしても、この人のお顔をどこかで見たことがあるような。これほど美しい人なら、一度会ったら忘れないと思うけど……)
ローリエは、少し前に町で拾った号外新聞の絵を思い出す。
まさか、と思うがローリエは無意識のうちに声を漏らしていた。
「勇者、様……?」
その言葉を聞いて青年はふっと笑う。
「そうも呼ばれているけど、どうか名前で呼んでほしい」
勇者、クレイユ=オルトキア――オルトキア王国の第三王子であり、この国で一番人気と言っても過言ではない天才魔法剣士。
(そんなお方が何故私を……)
助け、壊れ物に触れるように、優しくしてくれるのだろう。
「……クレイユ様」
ローリエは恐る恐る名前を呼んだ。
すると彼はローリエの腰を抱き寄せ、口づけするかのような距離で誓ったのだった。
「ローリエ、僕は二度と君を離さない。幸せにすると誓うよ」
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