04:2022年9月28日

 武道館を抜け、左手に出るとそこは九段坂公園。


 4回目と5回目の有識者会議は、過去3回のヒアリングを踏まえた上での取りまとめとなっている。

 会議の際に用いられた資料は300ページを超える、まさに今までの総集編というべき絶大な分量のものが用いられていた。

 だがそこでもやはり、過去に開催された新型インフルエンザに関する有識者会議について触れられていた。


『こういう立派な行動計画とかガイドラインがありながら、かつ、何が問題かということが共有されながら、医療体制の充実が重要であるとか、政府側のスポークスマンが大事であるとか、この会議の論点は様々網羅されたような議論は出尽くしているにもかかわらず、なぜ新型コロナウイルスの流行ではそれが実現されなかったのかということが一番大きな問題だと思っていまして、この会議の取りまとめというか報告書においても、計画はいいのですけれども、それにどう実効性を持たせるかということをきちんと書かないといけないなということは思っていまして、そうするとまた同じことが繰り返されると思うのです。』


 喉元を過ぎれば熱さ忘れる。

 2020年初頭より日本および世界が、新型コロナウイルスの感染拡大により複数年に渡って沈黙に包まれるなど、誰が信じたであろうか。こうなることがわかっていたなら、議事で度々触れられていた2010年の新型インフルエンザ対策会議の議論ももっと有用に生かされていたことは想像に難くない。

 だが仮に時空を超えるタイムマシンがあって2020年以前の日本に戻っても、今の世界の有り様を信じる人間など誰もいないだろう。

 そんなこと、起こるわけがない。

 だが実際にそれは起きてしまった。世界は一変してしまった。


『20歳代は第5波で大体1.8%感染したことになります。10歳未満は合わせても1%未満です。ところが第6波では、今年1月~5月までの5か月間に、10歳未満の人口の10.4%も感染してしまった。ピークを抑えるどころか、感染の様相が大きく変化しました。こうした流行をどのように抑えるか、もっと対策を考えるべきです。そういう意味で、市中感染に対するサーベイランスが重要です。しかし、どのような感染対策を取っても情報収集や説明が問題です。専門家の方々に伺っても、情報がなかった、新聞報道で分析したという話がでてきます。このあたり、個人情報保護法条例を過度に恐れることなく、自治体が情報を提供できるような仕組みの検討が今後必要です。既に災害対策基本法ではそういう点も議論され、体制ができているということを考慮する必要があります。』


 目の前には九段坂公園の広場。つい1日前には多くの参列者が献花に訪れるため、数キロに渡る長蛇の列をなしていたという。


 第90・96・97・98代 内閣総理大臣 安倍晋三


 過去4代に渡って内閣総理大臣職を歴任し、戦後最長の任期を務めあげた人物。

 2022年(令和4年)7月8日、奈良県奈良市で選挙の応援演説中に銃撃を受け、殺害された。

 日本において戦前、首相がテロの標的となって殺害される事件は起きていた。


 初代首相を務めた伊藤博文、第19代原たかし、第20代高橋是清これきよ、第27代浜口雄幸おさち、第29代犬養いぬかいつよし、第30代齋藤まこと、計6人。そのどれもが第二次大戦前である。

 現代のこの日本において総理経験者が、公衆の面前で銃撃を受け暗殺されるなど、誰が想像できたであろうか。


『コロナウイルスは歴史的に何度もこのようなことを繰り返してきたようです。最近はSARS、MERSで警戒心も高まりましたけれども、今後も起こるといわれています。そのためにも全体の司令塔機能を、法的なことも含めてきちんと整備することが重要です。ただ、感染症法には負の歴史もありますので、しっかり議論して国民的合意を得る必要があります。その議論のためにもまず、情報収集、分析、データの利活用、データセンターなどについて、しっかり方向性を示す必要があると思います。』


 ポケットに入れていたスマホを取り出す。新調して一年以上経つスマホだが朝から充電していないにも関わらず、まだ80%超のバッテリー残量を示していた。以前のスマホは朝から夕方までには何もしていなくても電池切れを起こしていた事から考えれば、今は快適そのものである。

 ブラウザを開くと聞こえてくるのはピアノの音色。ピアノの演奏者は安倍晋三その人である。


「ありがとう 安倍総理 デジタル献花プロジェクト」


 有志によって制作されたと思われるそのHPには、2022年9月28日現在まで405,000名以上の献花があったと表示がされていた。


 いかに総理といえども国葬など執り行う必要などはない。


 死んで当然と言わんばかりに、殺された安倍総理に対して公然とそう主張する人々もいた。むしろテレビや新聞などのメディアでは、その主張をする人々が大半に見えた。

 なんでそこまで冷たい、血の通っていない言葉が吐けるのか。

 ……握る拳に力が入り、のど元まで出かかった言葉は、ぎりぎりと歯を食いしばって抑え込む。


『昔、脚気論争があって、森鴎外は高木兼寛の食事説に対して、統計が分かっていないわけではなかったのですが、厳密な科学でないという理由で反対しました。全く新しい経験の場合には、厳密なメカニズムを待っていたら、間に合わないわけです。科学というのは、帰納的、つまり経験から法則をつくっていく場合と、既にある法則から演繹的に考えるというのが大きな柱ですけれども、もう一つ、アメリカの哲学者のパースが言っているのが、説明的仮説を織り込んでいくということです。不十分であってもデータを集めて、情報を公開して、みんなで考える。それは説明的仮説なわけです。その考え方が、日本全体に若干弱いように思います。そういう意味で、今回のコロナ対策、あるいは原発事故対策でも同じだと思うのですけれども、科学の考え方をもう一度見直して、データをみながら足元の問題に取り組む必要があることを教えてくれたのではないかと思います。』


 要は理屈ではない、感情から端を発した屁理屈。

 安倍総理とは、ありがとうと言えるほどの繋がりはない。

 だが2007年の辞職の時も、そしてそこから這い上がって、2012年の総裁に返り咲いて見事、政権を取り戻した時のことも強く印象に残っていた。


「教えるのは週4日。火、木、土、日の4回、平日は夜19時、土日は14時から。だいたい四時間くらい。2か月で五万円でいいネ」


 当時、勤めていた会社の帰り道に「講習生募集」と書かれた張り紙のマッサージ店があった。一見するとアヤシイお店にも見えたが、勇気を出して訪ねてみたところ、あっさりマッサージを教えてもらうことになった。

 受講料支払いの五万円は一括で出せる金額ではなかったため、2か月分割の二万五千円ずつにしてもらった。

 講習初日、ほぼ母親と同世代の女性とはいえ、いきなり「じゃあ手の平でお尻を押してみるネ」と言われたときはかなり抵抗があった。

 確かにお尻であれば、多少ツボを外しても問題ないし、柔らかいためうまく力を伝える訓練に適しているというのは、今ではよくわかる。

 とはいえ、当時の右も左もわからない自分からしてみれば、とにかくやるしかない。ただただ言われるままに最初の一週間は先生のお尻で力を伝える練習に終始した。

 もちろん言葉ではなく、身体で覚えなさいとばかりに先生は、自分にマッサージの施術をしてくれた。

 二週間目からはひたすら、先生が自分に行った施術を、肩、背中、腰、足とただただなぞるように繰り返すだけ。


「1で押して2で引いて、3でしっかり指を離す」


「ゆっくりがいいの。ゆっくりが気持ちいいネ」


「指先は小さいからダメ。指のおなかが大きい。広く押した方が気持ちいいネ」


 広く、大きく、ゆっくりと。


「腕は曲げない。伸ばしたまま押すの。力じゃなく、ゆっくりで押すネ」


 1か月ほど経つと、全身指圧の他に足つぼのマッサージや頭部のマッサージ。施術の練習台にと、知り合いのママさんも呼んでくれた。


「ちょっとお客さん来たから手伝うネ。大丈夫、半年ぐらいの経験って言えばバレないネ」


 講習も終わりの時期に差し掛かったとき、突然の3人組の客の来訪に急遽、その中の一人の施術をさせられることになった。


「お客さんとはダンマリはダメ。痛いとこないですかー、ここ気持ちイイですかー。色々話すの大事ネ」


 かねてから言われていたことをそのまま実践し、初めての足つぼともみほぐしの施術45分をどうにかこうにかやりとげる。


「はいコレ、今日の分」


 施術の報酬として受け取った2000円。

 差し出されたその手には、労働の対価。そして、たとえ未熟であろうとも働いた分はしっかりと報酬を受け取るべし。言葉には出さないが、そう言われていた気がした。

 思えば先生は言葉ではなく、態度や行動で物事を教える人だった。

 講習が終わったあとも時々、教えてほしいと言えば教えてくれたし、新しい講習生が来た時も練習相手に自分を呼んでくれた。

 自分の事は何も聞いてはこなかった。自分も話すことはしなかった。

 多少、文化が似通っているとはいえ、異国の地で10年以上も店を経営していたのだから、それなりに感じるところもあったのだろうと思う。

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