第3話
「杏?」
聞き覚えのある声に思わず顔を上げてしまった。
ここから一刻も早く抜け出したいのに。
「浩二…。」
「久しぶり。もう帰るの?」
「…帰らない。」
「そう、なら良かった。中でゆっくり話そう?」
「…そうだな。」
大坂浩二は杏が劇団に在団中、密かに想いを寄せていた人物である。
杏は「冷静になれ」と心の中で繰り返した。
「杏の男、リアルすぎてびっくりしたよ。」
「…皮肉のつもりかよ」
「この前の舞台で思い知らされたよ。杏が男だってこと」
「…そりゃどうも」
浩二の言葉の数々がやさしさのように感じて杏は徐々に震えを隠せないでいた。
こんなことは初めてだった。
「…けど、周りは男役って言うんだ。女のくせにって。俺は…生涯男で居たいんだ。なのに…みんながバカにして…。」
「杏…。苦しかったね…。…ここから抜け出そう。話を聞かせてくれないかな?」
杏は頷くことしかなかった。
浩二はその場から杏を連れ出したくれた。
「大丈夫?苦しかったら帰ろうか?タクシー呼ぶよ」
浩二がタクシーを呼ぼうと上げようとした手を杏は思わず止めた。
自分でも分からないほど身体が、心が、焦げ付く感覚がして何より「そばに居たい」と思ってしまった。
「…今日だけで良い。今日だけで良いから、そばに居てほしい。」
浩二の気持ちを考えずに言ってしまった自分に杏は我に返ると嫌気がさした。
けど、止められなかった。
「…そんな顔されたら君を女の顔にさせたくなる。狡いな、君は。」
「…させられるもんならさせてみろ。」
二人は手を握り合い杏が浩二にキスをした。
そして、ホテルのベッドで愛し合った。
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